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神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。

12月11日(月) 今日はヨハネの手紙第一 1~2章を読みましょう。 読み始めたら、すぐにヨハネによる福音書と表現方法がにていることを感じると思います。 古くから十二弟子の一人ゼベダイの子のヨハネが著者と信じられてきましたが、 現在では色々な説が出されています。読みやすい文章で、内容も難しくありません。 【交わりについて】1:3~4 「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、 あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。 私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。」 【光の中を歩む者】1:5~7 「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。 これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、 私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、 私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」 【兄弟を愛する者】2:10 「兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。」

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。

12月11日(日) 今日はペテロの手紙第二 3章を読みましょう。 【主の再臨を待ちなさい】3:8~13 主の再臨について色々な議論があったことが伺えます。ここでは主の再臨を心から待つことと、 その時には大きなさばきがあること、また新しい世界が出現することを教えています。 「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。 すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。 その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、 地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、 どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。 その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」

預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

12月10日(土) 今日はペテロの手紙第二 1~2章を読みましょう。 【勝手な解釈をしないように】1:20~21 「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。 すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、 聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」 【異端に気をつけるように】2:1 異端の内容は、イエス・キリストが十字架によって罪をあがなってくださったという信仰の最も大切な教えを拒否するものでした。 「しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。 同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。 彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、 自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。」

そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。

12月9日(金) 今日はペテロの手紙第一3~5章を読みましょう。 「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。 あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 『いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、 くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。 しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。』」 (ペテロ第一 3:9~12) 「そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、 また、やがて現われる栄光にあずかる者として、お勧めします。 あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。 強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、 卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。 あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。 そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」 (ペテロ第一 5:1~4)

キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

12月8日(木) 今日はペテロの手紙第一1~2章を読みましょう。 ペテロの第一の手紙は、迫害を受けている人々を激励している内容になっています。 読んでみると、著者の真面目な信仰的な人柄がしのばれると思います。 第二の手紙は、内容が全く異なり、間違った教えに注意するように教えています。 使徒ペテロが書いた手紙と書いてありますが、内容的に言って、 もう少し後の人のように思われ、学者は色々と推論しています。 【今受けている試練によって強くなるように】1:6~7 「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。 いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、 イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」 【聖い生活を目指しなさい】1:15~16 「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、 あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。 それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。』と書いてあるからです。」 【制度に従いなさい】2:13~15 「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。 それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、 善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。 というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。」 【罪を犯したことのないキリスト】2:22~24 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。 それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。 キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

信仰による祈りは、病む人を回復させます。

12月7日(水) 今日はヤコブの手紙の4~5章を読みましょう。今日で終わりです。 【悪魔に反抗すること】4:7 ヤコブは信仰生活の実践面で、はっきりと自覚的な努力を強調しています。 「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。 そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」 【忍耐すること】5:7~8 「こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。 見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。」 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」 「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。 喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。 その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。 また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」 (ヤコブ5:13~15)

信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。

12月6日(火) 今日はヤコブの手紙の2~3章を読みましょう。 さて、ヤコブの 【行いの伴わない信仰】2:14,24 私たちが義とされるのは、信仰によってであって、行によるものではありません。 したがって、ヤコブ2:24は矛盾しているように思えるかもしれません。 しかし、信仰を持ったからには、美しい御霊の実が成るのではないでしょうか。 【口から発する言葉に気をつけましょう】3:10,11 口数の多い人であれ、少ない人であれ、私たちは口から発する言葉でなんと多くの人を傷つけていることでしょうか。 「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。 そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、『安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。』と言っても、 もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」 (ヤコブ2:14~17)

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

12月5日(月) 今日からヤコブの手紙の1章を読みましょう。 ヤコブの手紙からユダの手紙までの終わりの七つの手紙は、 多くの教会を対象にして、教え、励ましている手紙です。 ちょうど私たちに直接送られてきた文書のようなものです。 信仰の実践生活について、いろいろな教えやいましめが書いてありますから、 大変読みやすく信仰生活の面で大変参考になります。 【実践的な信仰】ヤコブ1:22 口先だけで実践に乏しい人がいました。ヤコブはそのような信仰に常々疑問を抱いていたように思われます。 「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」 (ヤコブ1:22) 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」 (ヤコブ1:2~4) 「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」 (ヤコブ1:12)

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

12月4日(日) 今日はヘブライ(ヘブル)人への手紙の13章を読みましょう。 今日でヘブライ(ヘブル)人への手紙はおしまいです。 少し独創的な内容なので、一度読むだけでは簡単に理解できないかもしれません。 異邦人にはもともとわかりにくい手紙なのです。 「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。 主ご自身がこう言われるのです。 『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。 『主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。』 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。 彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」 (ヘブ13:5~8)

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

12月3日(土) 今日はヘブライ(ヘブル)人への手紙の12章を読みましょう。 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。 イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、 神の御座の右に着座されました。」 (ヘブ12:2) 「あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。 『わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。』この『もう一度』ということばは、 決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、 揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。 こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。 私たちの神は焼き尽くす火です。」 (ヘブ10:26~29)