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角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。

8月31日(火) また今日から1週間、長雨だそうです。 今日は詩編63篇と、ホセア書7~8章を読みましょう。 イスラエルは罪を重ねた結果、自己破綻をきたすと言います。 それは裏返さずに焼かれた菓子のようと例えます。 また、イスラエルはヤハウェとの契約を破ったがゆえに、 審判として外敵の攻撃を受けると警告をします。 [角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、 わたしのおしえにそむいたからだ。彼らは、わたしに向かって、 「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている。」 と叫ぶが、イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。] (ホセア書8:1~3)

私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。

8月30日(月) 今日は詩編62篇と、ホセア書4~6章を読みましょう。 ホセア書の4~14章まで、「神の愛」、「イスラエルのそむき」、「神のさばき」、しかし「最後に神のあわれみと祝福」が繰り返して語られます。預言書は小説のように筋道の通った一つの物語ではありません。メッセージが色々な手法で繰り返し語られるだけです。そのつもりで読んでください。 「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」 (ホセア書6:3)

その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

8月29日(金) 今日は詩編61篇と、ホセア書1~3章を読みましょう。 私たちは預言者というと、何か特別な人のように感じます。 確かに特別な人ですが、今の私たちの社会で言えば、官吏とか学校の先生などと並んで、 社会の中の一員を成していた一つのグループでした。 ただ、自分が預言者だという自覚を持って発言し、行動しました。 もし、本当に神の御旨を語っていなかったら、当然取り残されていたと思います。 結局、その語る内容によって判断され、評価されたと思われます。 ホセアは『愛』を語った預言者でした。そして本当の預言者として聖書の中に生き残りました。 ホセアは、紀元前750年頃(ヨシュアの子ヤブサロムですから)に、北イスラエルで預言活動を始めました。 ホセアは不倫な女と結婚します。そして、不倫の子をもうけます。 子の名は「イズレエル(散らされる)」、「ロ・ルハマ(あわれまない)」、「ロ・アミ=ロ・アンミ(私の民でない)」でした。 私生活を通してイスラエルの民は他の神々と結婚(信仰)していることを言おうとしています。 やがて、ホセアは不倫の妻と離婚します。神はイスラエルをさばかれます。 そして、ホセアは再婚(復縁)します。神はそれでもイスラエルを忘れないで、 哀れみ、愛してくださる。また、イスラエルも神に帰ってゆきます。 『主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。 ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。私は彼女に言った。 「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。 私も、あなたにそうしよう。」それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、 石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。その後、イスラエル人は帰って来て、 彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。』 (ホセア書3:1~5)

あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。

8月28日(土) 今日でダニエル書は終わりです。 今日は詩編60篇と、ダニエル書9~12章を読みましょう。 一週間は七日ですが、これを七年と考えると、7×7=49で、49年となります。 この49年は、昔のバビロン捕囚の年数を表すと考えられます。 62週は62×7=434、この434年はその後の比較的安定した年月を表すと考えられます。 最後の一週は、七年。今のギリシアのアンティオコス・エピフィネス王による迫害の期間を表すと考えられます。 すなわち紀元前170年から164年の七年間です。 このように不思議な数字の掛け合わせで、迫害の期間は決して永遠ではなく、 限られており、迫害者は必ず滅ぼされることを言っています。 ダニエルは不思議な預言書です。 『あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。 それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、 幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、 との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。 また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。 やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。 その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、 荒廃が定められている。彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、 半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。 荒らす忌むべき者が翼に現われる。 ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」』 (ダニエル書9:24~27)

私(ダニエル)が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。

8月27日(金) 今日は詩編59篇と、ダニエル書7~8章を読みましょう。 ダニエルは四頭の獣の幻を見ます。 奇怪な幻が書かれています。 第一の獣は、新バビロニア帝国、第二の幻はメディア帝国、 第三の幻はペルシア帝国、第四の幻はギリシアを表していると考えられます。 これらの国は、ユダヤの人々を苦しめた国々です。 特に第四の幻の獣が、現在自分を苦しめているギリシアの国を表していると考えられます。 ですから、ダニエル書は、紀元前170から164年頃のこととなり、 旧約聖書の中ではなんと一番新しいものということになります。 『ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、」 四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、 その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。その獣は横ざまに寝ていて、 その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、 『起き上がって、多くの肉を食らえ。』との声がかかった。 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。 その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。 そしてそれに主権が与えられた。その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。 それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、 食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。 これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。』 (ダニエル書7:2~7)

ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。

8月26日(木) 今日は詩編58篇と、ダニエル書4~6章を読みましょう。 夢を解くダニエルという青年はライオンの洞窟に投げ込まれるのですが、 不思議に何も食べられず、かえって陥れようとした人々が食べられてしまいました。 神を信じるものは神が守ってくださいます。ともかく、 このような信仰の人ダニエルがいました。 このダニエルのエピソード集が第6章の終わりまで続きます。 異教の中で唯一神への信仰を守り通した信仰の先輩のことを取り上げ、 現在、迫害されている人々を励ましているのです。 『そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。 王はダニエルに話しかけて言った。 「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」 一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。 王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、 ダニエルについての処置が変えられないようにした。 こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。 また、眠けも催さなかった。王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、 獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、 ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。 あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」 すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。 私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、 獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。 王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」 そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。 ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。 彼が神に信頼していたからである。』 (ダニエル書6:13~23)

秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。

8月25日(水) 今日から、聖書通読も第35週目に入ります。 今日からダニエル書に進みます。 今日は詩編57篇と、ダニエル書1~3章を読みましょう。 ◾️旧約聖書の中で最も分かりにくい書と言えます。夢や幻が出てきて、さらにその中に不 思議な獣が現れてきます。こういう独特の表現文書を「黙示文書」と言います。 ◾️いつの頃か正確には分かりませんが、とても信仰のあつい立派な人で、 ダニエルという人の伝説が捕囚後のユダヤ人の間に知れ渡っていたそうです。 ◾️捕囚後のユダヤ人は、ペルシャ、ギリシャ、ローマと大国の支配下に比較的に平和に生 活できました。しかし、一時期、ギリシャの支配下にあった時、 紀元前167年にアンティオコス・エピフィネスという王に宗教的迫害を受けました。 あのエルサレムの神殿に、ギリシャのゼウス神の祭壇を建てました。 ユダヤ人は反乱を起こしました。迫害はより激しくなりました。 ある人が、ユダヤ人を励ましました。それが、このダニエル書です。 伝説の人物ダニエルの信仰を示し、さらに、そのダニエルが「迫害者は、必ず滅びる」という預言を幻や夢を通して語ります。 ですから、紀元前167年頃書かれたものです。 ◾️かつてバビロン捕囚に中に夢を解くダニエルという青年がいて、夢を解いて王に認めら れました。 『ダニエルは王に答えて言った。 「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。 しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。 あなたの夢と、寝床であなたの頭に浮かんだ幻はこれです。 王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、 後に起こることをあなたにお示しになったのです。この秘密が私にあらわされたのは、 ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、 あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。』 (ダニエル書2:27~30)

その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。

8月24日(火) 今日は詩編56篇と、エゼキエル書46~48章を読みましょう。 エゼキエル書は今日で最後です。お疲れさまでした。 神殿から流れ出る水は死海まで達します。 生命の源である神殿から流れ出る水は、生命の象徴です。 (エデンから流れる川とリンクしているようです) 川のほとりは植物がよく成長し、 人が生活するのに最も恵み豊かな土地です。 『彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。 神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。 ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。 見ると、水は右側から流れ出ていた。… 彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか。」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。 海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。この川が流れて行く所はどこででも、 そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。 この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。』 (エゼキエル書 47:1~2,6~9) 最後に句は、エゼキエルにとって、主の臨在こそが希望の源であり、これこそが、この書全体の真ん中に流れている思いです。 『町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、「主はここにおられる。」と呼ばれる。』 (エゼキエル書 48:35)

主の栄光が東向きの門を通って宮にはいって来た。

8月23日(月) 今日は詩編55篇と、エゼキエル書43~45章を読みましょう。 かつてエルサレム神殿をさったイスラエルの神の栄光は、 しばらく捕囚の地に移りましたが、神殿が再建されたならば、本殿の場所に戻ります。 『彼は私を東向きの門に連れて行った。すると、イスラエルの神の栄光が東のほうから現われた。 その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた。 私が見た幻の様子は、私がかつてこの町を滅ぼすために来たときに見た幻のようであり、 またその幻は、かつて私がケバル川のほとりで見た幻のようでもあった。 それで、私はひれ伏した。主の栄光が東向きの門を通って宮にはいって来た。 霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。 なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。 ある人が私のそばに立っているとき、私は、神殿からだれかが私に語りかけておられるのを聞いた。 その方は私に言われた。 「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、 わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む所である。 イスラエルの家は、その民もその王たちも、 もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。』 (エゼキエル書 43:1~7)

神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。

8月22日(日) 今日は詩編54篇と、エゼキエル書40~42章を読みましょう。 【新しい神殿の幻】 エゼキエルは幻のうちにエルサレムに連れて行かれ、神殿の内と外をくまなく見せてもらいます。 これが、エルサレムに帰還して、再び神殿を建てよ!という預言かもしれません。 大変長く、47章まで続きます。 『私たちが捕囚となって二十五年目の年の初め、その月の十日、 町が占領されてから十四年目のちょうどその日、 主の御手が私の上にあり、私をそこへ連れて行った。 すなわち、神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、 非常に高い山の上に降ろされた。その南のほうに町が建てられているようであった。 主が私をそこに連れて行かれると、そこに、ひとりの人がいた。 その姿は青銅でできているようであり、その手に麻のひもと測りざおとを持って門のところに立っていた。 その人は私に話しかけた。 「人の子よ。あなたの目で見、耳で聞き、わたしがあなたに見せるすべての事を心に留めよ。 わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。 あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ。」』 (エゼキエル書 40:1~4)