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主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。

3月16日(水) 今日は、民数記9~12章を読みましょう。 律法は、神中心ですから、幕屋での礼拝の仕方も細かく厳格に決められていました。神は聖いお方ですから、あくまでも聖く、特別に注意を払うことが原則でした。このような律法を通して、唯一絶対の神への忠誠こそが、人類の生き方の第一であることを徹底しました。 しかし民は肉が食べたいとつぶやきます。 主は、主のほうから風を吹かせ、海の向こうからうずらを運んできて、宿営の上に落とします。(11:31) 「主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた。」 民数記9:18

モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。

3月15日(火) 今日は5~8章を読みましょう。 少し長くなりますが、礼拝に関して、モーセ五書をまとめてみました。 ①幕屋を作りなさい。(出エ25:8,9)   もちろん幕屋は宇宙に一つだけです。神はひとりだからです。 ②幕屋(神殿)を大切にしなさい。(レビ19:30) ③毎日、朝と夕に一匹づつ雄羊をささげなさい。(出エ29:38,39) イスラエルの民は、幕屋を中心に生活をしました。 荒野の旅行中も朝一匹、夕一匹の雄羊をささげました。 それは、罪の許しと同時に、煙と香りが天に昇ることによって、神に受け入れられるしるしでした。これが千年以上も毎日続けられ、イエスもそのような社会の中で生まれ、育ち、生活されました。そして、ご自分が「最後の羊」として、十字架の上で犠牲の死を遂げられ人類の罪の許しを完成されました。このような背景が理解されると、キリストの十字架が、長い歴史の完成であることがわかり、そして、キリストの信仰が強められると思います。 ④レビ族の人だけが、神殿の仕事にたずさわることができる。(民18:23) ⑤祭司(レビ族の中のアロンの家の人々)は幕屋で仕事につくとき、入り口で手を洗わなければならない。(出エ30:19) 「モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具もそうした。」 民数記7:1

ひとりひとり数えて人口調査をせよ。

3月14日(月) 今日から、民数記に入ります。 今日は1~4章を読みましょう。 「民数記」はむしろ「荒野旅行記」と呼んだ方が、内容をよく表した書名だと思われます。しかし、1章と26章に民の人数を調査しているところから「民数記」と名づけられました。 エジプトを脱出したイスラエルの民が荒れ野で四十年を過ごしたのち、ヨルダン東岸に至るまでの歴史を述べる書です。 「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。『イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。』」 民数記1:1,2

安らかにその地に住みなさい。

3月13日(日) 今日は、レビ記25~27章を読みましょう。 この「第三モーセの書」と言われるレビ記も今日で終わりです。 お疲れ様でした。 しかし、前にも言ったようにモーセ五書(創、出、レビ、民、申)は、ひとつづきの書として読みましょう。 なので、まだまだ続く…(汗)です。 「安息の年」は七年に一度の休耕をし、 「ヨベルの年」は七を七倍した四十九年を経過した次の年、すなわち五十年目に守られ、 雄羊の角(ヨーベル)を吹いて告知した事に由来します。 安息の年はその前年(四十九年目)であったので、収穫できない年が二年も続きます。 しかし、その前年に三年分の収穫が与えられる祝福がなされます。(25:21) 「あなたがたは、わたしのおきてを行ない、わたしの定めを守らなければならない。 それを行ないなさい。安らかにその地に住みなさい。 その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。 わたしは、六年目に、あなたがたのため、わたしの祝福を命じ、三年間のための収穫を生じさせる。」 レビ記25:18,19,21

あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。

3月12日(土) 今日は、レビ記22~24章を読みましょう。 「モーセ律法」は現在でも守られるべきでしょうか。 イエス・キリストはマタイ5:17~20(ガラテヤ3:24,25)で、律法は捨てないように教えています。 隣人を愛すること(レビ19:18) 貧しい者らのために収穫の落ち穂を残しておくように(レビ 23:22) などは、神のあわれみを示し、隣人への愛を表す律法です。 「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」 レビ記 23:22

わたしはあなたたちの神、主である。

3月11日(金) 今日は、レビ記18~21章を読みましょう。 【神に関する律法】 ①ほかの神を信じてはならない。(出エ20:3) ②偶像を造ってはならない。(神が最も嫌う行為)(出エ20:4、レビ19:4) ③霊媒や口寄せにたよってはならない。(レビ19:31) ④神を愛しなさい。(申6:5) ⑤神に仕えなさい。(申6:13) 人が造られる前に、まず神がいました。この神はひとりです。人が神を造ってはなりません。これは、文句なく第一の律法となりました。少しでもこの大原則をくずすものは排除されました。いかなる言い訳も、小さな妥協も許されませんでした。 「霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない。わたしはあなたたちの神、主である。」 レビ19:31

あなたがたは、主の前でそのすべての罪からきよめられるのである。

3月10日(木) 今日は、レビ記15~17章を読みましょう。(3章です。) 第七の月の十日(16:29)、この日にはイスラエルのすべての罪と汚れが赦される「贖罪」の儀式が行われます。 この贖いの儀式が、レビ記全体の中心であることを知れば、11~15章における「汚れ」は最終的には贖われるためにあったのだ、という見方ができますね。 「以下のことはあなたがたに、永遠のおきてとなる。第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない。 なぜなら、この日に、あなたがたをきよめるために、あなたがたの贖いがなされるからである。あなたがたは、主の前でそのすべての罪からきよめられるのである。」 レビ記16:29,30

この生きている鳥は野に放つ。

3月9日(水) 今日は、レビ記12~14章を読みましょう。 これらの律法がよくわかってくると、旧約聖書が古代の他民族のものではなく、 自分のものとして身近に感じられるようになるそうです。 (早くそうなりたい~) また、これらの律法が律法が旧約聖書の中心になっているので 「モーセの律法」を好きになることが、旧約聖書を読む「コツ」となるそうです。 (好きになりたい~) 「清めの儀式を受ける者に七度振りかけて清める。その後、この生きている鳥は野に放つ。」 レビ記14:7

あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。

3月8日(火) 今日は、レビ記9~11章を読みましょう。(3章です。) 律法の真っ只中を通過しております。 お気づきと思いますが、これらの律法は、人間が中心の律法ではなく、 徹底的に神が中心の律法です。 ですから、神を信じることや、神をどのように礼拝すべきかなど、神に関する律法が、 多くの部分を占めます。 これがモーセの律法の特徴です。 「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」 レビ記11:45

こうしてアロンとその子らは、主がモーセを通して命じられたことを残らず行った。

3月7日(月) 今日は、レビ記5~8章を読みましょう。 ユダヤ教のラビ(教師)の伝統的な方法によると、合計613もの律法になるそうです。 それは、太陽暦の一年に当たる365の「~してはならないという禁止律法と、 人体の骨の数に当たる248の「~しなさい」という肯定律法と合わせて、 613と数えられているそうです。 「あなたがたは会見の天幕の入口の所で、七日の間、昼も夜もとどまり、主の戒めを守らなければならない。死なないためである。私はそのように命じられたのである。」 こうしてアロンとその子らは、主がモーセを通して命じられたことを残らず行った。」 レビ記8:35,36