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ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」

9月26日(水) 今日は、詩編88篇と、マルコの福音書7~8章を読みましょう。 [それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」] (マルコ8:27~30) 【ペテロの信仰告白】 この文章に、ほんの少し手を加えた箇所がマタイによる福音(16:13-20)にも、ルカによる福音書(9:18-21)にもあります。聖書学者の研究によれば、マタイとルカは共にマルコによる福音書を手元に置いて、これを元にして自分の福音書を書いたと推論します。

娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。

9月25日(火) 今日は、詩編87篇と、マルコの福音書5~6章を読みましょう。 マルコの福音書は他の福音書に比べると「教え」が少なく、病人の癒しや奇跡が多く書かれています。これはイエスが神の子キリストであることに重点を置いているからだと思われます。 ●悪霊に取り憑かれた人をいやす ●十二年長血をわずらっている女性、イエスの着物に触れていやされる ●五千人の給食の奇跡 ●湖の上を歩く など [ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか。』とおっしゃるのですか。」イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」] (マルコ5:25~34)

それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。

9月24日(月) 今日は、詩編86篇と、マルコの福音書3~4章を読みましょう。 安息日にも苦しみを持つ人が解放されるのを望み、イエスは手の萎えた人を癒します。 そして、イエスは十二人の弟子を選びます。 「種を蒔く人」、「ともし火と秤」、「からし種」などのたとえにより、「神の国」の宣教を伝えます。   また、突風を静めます。 [「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」 (マルコ4:30~32)

あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。

9月23日(日) 今日から聖書通読も39週目に入ります。 そして、今日から新約聖書に入ります。 今日は、詩編85篇と、マルコの福音書1~2章を読みましょう。 【イエスの時代のユダヤ地方を知りましょう。】 ローマ帝国はその地方の有力者を領主にしたり、ローマから派遣した総督を置いたりして統治しました。イエス・キリストの主な活動地ガリラヤは、土地の有力者が領主となり、また、サマリヤ、ユダヤは、ローマから派遣された総督によって支配されていました。 【マルコによる福音者】 新約聖書の各書の名前がつけられたのは、紀元2世紀になってからです。ですから著者マルコがどんな人であったかは、今となってはわかりません。しかし、紀元2世紀の教父が、使徒12:12に出てくる「マルコと呼ばれたヨハネ」が福音書を書いたと言っていますので、そうかもしれません。 【病人のいやし】 マルコによる福音書は、全体の五分の一近くが、病人のいやしについて書いています。病気は汚れた霊によるものと考えられていました。 [ヨハネは、ラクダの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」] (マルコ1:6~11)

見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。

9月22日(土) 今日で、旧約聖書が終わります。 おめでとうございます。本当にお疲れ様でした。 旧約聖書を通読した感想はいかがでしたか? それは新約聖書に読み進んでみると、感涙するかもしれませんね。 今日は、詩編84篇と、マラキ書1~4章(新共同訳1~3章)を読みましょう。 【正しい礼拝を】マラキ2:1~2 礼拝のことが語られていますから、捕囚から帰り、神殿礼拝も再開された後の預言書ですが、詳しいことは不明です。 【突然来られるメシアの予言】マラキ3:1 メシアの到来は突然であるから、そのための心の準備をするように。 【メシア到来の予言】マラキ4:1~2 (新共同訳3:19~20) 【メシア到来の準備をする者】マラキ4:5 (新共同訳3:23) バプテスマのヨハネにおいて成就されました。 [見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。 彼は父の心を子に 子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって この地を撃つことがないように。] (マラキ3:23~24) +++ 旧約聖書のまとめ +++ (1)アダムの罪…アダムの罪(原罪)は、とどまることなく続きました。 (2)神の賛美…罪人を祝福しようという神の約束(アブラハムへの約束)は、決して曲げら れることなく続きました。 (3)メシア予言…やがて出現するメシアの到来が、見え隠れして、一貫して流れています。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。

9月21日(金) 今日で、ゼカリヤ書は終わり、明日のマラキ書で旧約聖書は終わります。 気を緩めないで、最後まで旧約を読みましょう。 と言っても、通読の最初に、マタイ、ヨハネ、使徒を読んでいるので、 マルコからですね。 今日は、詩編83篇と、ゼカリヤ書12~14章を読みましょう。 ゼカリヤ書の特徴は、やがて神が全く新しい祝福を注いでくださるという、メシア的な希望に満ちた預言であることです。 [その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。] (ゼカリヤ書12:9~10)

見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。

9月20日(木) ここ築地界隈は、10月7日の豊洲市場への移転を控えて、なぜか、場外市場の周辺は、新しい店ができたり、寿司屋もあちこちでリニューアルしたりと変化しています。 どうなるのでしょう? さて、今日は、詩編82篇と、ゼカリヤ書9~11章を読みましょう。 9章以下は、イザヤ書の時と同様に「第二ゼカリヤ書」と呼ばれ、紀元前4~3世紀に追加されたのではないかと考えられています。マタイ福音書21:1~11のイエス・キリストのエルサレム入場の予言になりました。 [シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。] (ゼカリヤ書9:9~10) 旧約聖書の中で最も難しい書と言われるゼカリヤ書の中で、特に難しいく、理解に苦しむのは11章と言われています。

外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。

9月19日(水) みなさま、秋バテなどはされていないでしょうか? 「温かいお味噌汁、お散歩、ぬるめのお風呂にゆっくりリラックス」が良いらしいですよ。 今日は、詩編81篇と、ゼカリヤ書7~8章を読みましょう。 エルサレム神殿破壊の七十周年を翌年に控えた状況です。(7:5) 神は、情熱と憤りを持って、イスラエルの運命の逆転を宣言します。 離散した世界中の神の民の集合を宣言します。 「残りの者よ」と呼ばれていた人々は、「ユダの家よ。イスラエルの家よ。」と国家的な呼び名を得ます。 こうして第一ゼカリヤ(1~8章)は諸国民の告白によって終了し、下記の節のような結論を迎えるのです。 [万軍の主はこう仰せられる。「再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来る。一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、『さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の主を尋ね求めよう。私も行こう。』と言う。多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。」万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。」] (ゼカリヤ書8:20~23)

見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。

9月18日(火) 一雨ごとに、涼しくなり、秋の気配が感じられますね。 今日は、詩編80篇と、ゼカリヤ書4~6章を読みましょう。 捕囚後のエルサレムのユダヤ人は、大変苦しい生活でした。しかし、神殿再建は、必ず成し遂げられます。なぜなら、どんな反対にあっても、再建は主の霊によって成されるからです。 エパ(エファ)升(36ℓ容量)の中に罪を全部詰め込み、シヌアル(シンアル)(バビロンの古名)にもっていくという幻です。これも分かりにくい幻です。言おうとしていることはバビロンがその罪の報いを受けること。そして自分たちユダヤ人がその罪を取り除かれて、神殿を中心にした新しい生活を始めることの預言です。 [あなたは金と銀を取って、冠を作り、それをエホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。』] (ゼカリヤ書6:12~13)

わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。

9月17日(月) 今日は、詩編79篇と、ゼカリヤ書1~3章を読みましょう。 ダリヨス(ダレイオス)の第2年、捕囚後、紀元前520年。 ゼカリヤは続けて八つの幻を見ます。少しわかりにくいかもしれませんが、どれも神殿再建に関係があります。すなわち捕囚の辱めを受けていたユダヤ人の名誉が神によって回復されるという幻です。 [それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。――万軍の主の御告げ。――測りなわはエルサレムの上に張られる。』もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」] (ゼカリヤ書1:16~17)