ブログ – ページ 223 – 聖書検定協会公式サイト

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だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

1月19日 今日はヨハネの福音書7章、8章を読みましょう。(少々長いです。がんばって!) 十字架によって罪赦された私たちは、 清く正しい、全知全能な神の御前に安心して出ることができるようになりました。 神と仲良く交際をしても良くなりました。 この関係を作り上げるために、 神が人となったお方、すなわち、イエス・キリストは十字架の上で人間の犠牲となってくださいました。 十字架の目的のその二は「人と神の和解」です。   「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」 ヨハネ7:37,38

わたしがいのちのパンです。

1月18日 「一緒に通読をしているので、挫折しないで読み進められる」との報告をいただきました。 感謝です。みなさま。励まし合いながら読み進めましょう! 今日は、ヨハネ5章、6章を読みましょう。 イエス・キリストの十字架の目的の第一は、 私たちの罪の一方的なゆるしでした。 イエス・キリストを私たちが、心の中に信じる時、 神が私たちの中にある罪を清めて、無しにしてくださるということです。   「わたしがいのちのパンです。 わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 ヨハネ6:35

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

1月17日。今年は春が早いそうですね。 今日は、ヨハネの福音書3章、4章を読みましょう。 イエス・キリストは、なぜ十字架の上で殺されたのでしょう。 「人は真心と愛をもって、唯一の神を信じよう」というイエスに対し、 「戒律を厳格に守るべき」と言う人々との意見の対立から、 イエス・キリストは抹殺されました。 しかし、イエスは深いお考えがあり自ら死を選ばれたのです。 これこそが、最も大切なキリスト信仰の核心と言えます。   「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」 ヨハネ3:16~17

初めに、ことばがあった。

1月16日 みなさま、マタイの福音書は読み終えましたか? 予定通り読むことができたとの嬉しい報告をいただきました。 さて、今日からは、ヨハネの福音書1章、2章を読みましょう。 聖書の核心はイエス・キリストの十字架(死と復活)です。 旧約聖書は、そのそびえ立つ山に向かって書かれています。 その頂上について細かく説明しているのが、新約聖書です。 十字架という窓を通して聖書全体を見るように読みましょう。   「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」 ヨハネ1:1~5

この方はまことに神の子であった。

1月15日、今日でマタイは最後です。 マタイ27章、28章を読みましょう。 イエス・キリストが殺されたのは、過越の祭という、 ユダヤ人にとって一番大きな宗教祭日の期間でした。 神であり、人となったお方は、金曜日の午後三時に、 あたかも犠牲の小羊のように十字架上で肉体を裂かれ、 血を流して静かに殺されてゆきました。 そして、墓に葬られたイエスは日曜日の早朝、復活の姿を現されました。 十字架の死も事実。復活も事実。 この驚くべき事実をありのままに記録、証言されているのが福音書です。 明日からは、別な角度から書かれた、ヨハネの福音書に進みましょう!   「この方はまことに神の子であった。」 マタイ27:54 「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。 「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28:18〜20    

これは、わたしの契約の血です。

今日は1月14日、日曜日。 さて、聖書通読も第3週に入ってきました。 今日は、マタイ福音書26章を読みましょう。 イエスの説教は、一般の人にとっては、 慰めに満ちたわかりやすいものでした。 また、イエスは多くの病人をいやしました。 それで、一般のユダヤ人には歓迎され、尊敬されていました。 反対していたのはおもに宗教指導者でした。 それで、一般の人々のいない夜の間に、イエスは逮捕されました。   「彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。 『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。 『みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。』 マタイ26:26〜28  

最も小さい者の一人にしたのは、 わたしにしてくれたこと

今日、明日はセンター試験ですね。 寒波、大雪など、交通機関が乱れるかもしれないですね。 早めに行けるといいですね。無事をお祈りします。 さて、今日1月13日はマタイ福音書25章を読みましょう。 今日は1章だけです。 イエス・キリストが、あたかも神が教えているように、 権威を持った教えをし、また癒しをすることは、 当時のユダヤ人の宗教社会を根底から覆すものでした。 それで、彼らは、イエス・キリストを抹殺しようと企て始めました。 『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、 わたしにしてくれたことなのである。』マタイ25:40

わたしのことばは決して滅びることがありません。

今期最強寒波!冷え冷えの極寒列島の1月12日。 みなさま暖かくしてお出かけください。 さて、今日はマタイ福音書の23章、24章を読みましょう。 ユダヤ人たちは、ローマ帝国の言うことは、いやいや聞きましたが、 旧約聖書の教えは喜んで聞きました。 旧約聖書の教師が律法学者と呼ばれ、尊敬されていました。 また、その教えに非常に熱心な人々がパリサイ(ファリサイ)派の人々と呼ばれていました。 彼らの教えの中心は、旧約聖書に出てくる戒律を厳格に守ることでした。 人々にもそれを守るように強く求めました。 イエス・キリストは「本当はそうではない。愚かな人間が誤解しているだけだ。」と、 神からの権威を持って教えました。 「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。 」 マタイ24:35〜36    

あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。

1月11日、今日はマタイ福音書21章、22章を読みましょう。 ローマ大帝国の中のユダヤ地方は、 他の地域に比べると変わった地方でした。 外面的にはローマから派遣されてきた総督や、 ローマ帝国に認められた領主によって治められていましたが、 一歩人々の日常生活の中に入ると、完全な宗教社会でした。 旧約聖書を読み終わる頃には、これらのことがよくわかってきます。   「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」 21:22 イエスは彼に言われた。 「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 22:37~39

贖いの代価として、 自分のいのちを与える

今日は、1月10日。 ここ、東京築地界隈は、昨日は暖かく小春日和のようでした。 皆さんのお住まいのお天気はいかがでしたか? さて、今日はマタイ福音書の19章、20章を読みましょう。 聖書は、何度読んでも新しい発見がありますね。 ですから、もし、初めて聖書を読む方も大丈夫です。 何度も読んでいる方も、初めて読む気持ちでいますから初心者です。 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、 みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、 あなたがたのしもべになりなさい。 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、 かえって仕えるためであり、 また、多くの人のための、贖いの代価として、 自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」 マタイ福音書20:26~28