ブログ – ページ 26 – 聖書検定協会公式サイト

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弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

1月31日(水) 今日は、使徒の働き(使徒言行録)11章、12章を読みましょう。 キリスト信仰は、初めはユダヤ教の中で広まりました。 当時のユダヤ教は、ローマ大帝国のあちこちに会堂を持ち、 ユダヤ人だけではなく異邦人も参加していました。 しかし、ユダヤ人キリスト信者は割礼を受けていない異邦人を差別していました。 この心の狭いユダヤ人キリスト信者が、聖霊の導きによって変えられ、異邦人を受け入れ始めたのです。 「『私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、 どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。』 人々はこれを聞いて沈黙し、『それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。』と言って、神をほめたたえた。」 使徒11:17,18 弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。 使徒11:26

サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。

1月30日(火) 今日は、使徒の働き(使徒言行録)9章、10章を読みましょう。 9章には、有名な「パウロの回心(ダマスコ途上の出来事)」がリアルに書かれています。 これも聖霊の働きです。 聖霊とは、キリストの霊で、人格をもっています。 使徒の働き(使徒言行録)はキリスト昇天後の、神(キリスト)の働きを記録したものです。 その聖霊は今もなお働き続けています。 「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。 彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞いた。 彼が、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、お答えがあった。 『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。』」 使徒9:3~5 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、 主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。 使徒9:31

主よ。この罪を彼らに負わせないでください。

1月29日(月) 今日は、使徒の働き(使徒言行録)7章、8章を読みましょう。  迫害を受け、殉教するとはいかに恐ろしいことでしょうか? そこに味方は一人もいません。 しかし、聖霊が働き、聖霊に満たされ、聖霊が味方をし、 理性では考えられないような、恐怖に打ち勝つ信仰が与えられるのです。 「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。 『主イエスよ。私の霊をお受けください。』 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。 『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。」 使徒7:59,60

人に従うより、神に従うべきです。

1月28日(日) 今日は、使徒の働き(使徒言行録)5章、6章を読みましょう。 使徒の働き(使徒言行録)は、ペンテコステの出来事が、事のおこりで、 今に至るまで続いていることを語り伝えようとしています。 そのようなつもりで使徒の働き(使徒言行録)を読みましょう。   「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。 私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。 そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、 このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。 私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。』」 使徒5:29~32

使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。

1月27日(土) 今日は、使徒の働き(使徒言行録)3章、4章を読みましょう。 ●聖霊の不思議な働きとして「いやし」があります。 聖霊は足の不自由な人をいやしました。(使3:1~10) ●聖霊の不思議な働きとして「信仰をもたせること、説教」があります。 弟子が、イエス・キリストについて語ると、たくさんの人が信じました。 また、弟子たちが語る時には、聖霊が働いて、大胆に語ることができました。(使4:1~10) 「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」 使徒4:31~33

あなたがたの息子や娘は預言し、 青年は幻を見、老人は夢を見る。

1月26日(金) 今日から使徒の働き(使徒言行録)に入ります。 イエス・キリストは「十字架の死と復活」の予告をされたように、 「聖霊が降る」という約束も予告されました。(使徒1:3~5) 2章では、聖霊が突然降り、弟子たちの舌が勝手に働いて、外国語を話し始めたという不思議なことが起こりました。 天地創造の前から存在していた聖霊とは、神(の働き)です。 風のように、目には見えない聖霊が、流暢な外国語を話すという形をとって、弟子たちに現れたのです。 弟子たちはこの不思議な体験によって、神が今も生きて働かれていることを体験しました。   「神は言われる。 終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 すると、あなたがたの息子や娘は預言し、 青年は幻を見、老人は夢を見る。」 (使徒2:17)

イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

1月25日(木) 今日はヨハネの福音書21章を読みます。 ナント、今日でヨハネの福音書も終わりです。 ヨハネ20:19-23で、復活中のイエス・キリストは聖霊について語られました。 これは「使徒の働き(使徒言行録)」の全てにおいて実現しました。 明日から「使徒」を読み進めましょう!   [イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』 ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。 「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」 イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」] (ヨハネ21:17)

これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

1月24日(水) 今日はヨハネによる福音書19~20章を読みましょう。 再び【十字架の窓を通して】 福音書は、神が人となったお方、イエス・キリストの教えられたことと、なされた事とがかいてあります。特に、その方が、十字架上で死に、復活されたことが書いてあります。1.「罪のゆるし」 2.「神と人との和解」 3.「私たちの重荷を共に負ってくださる」 4.「永遠の命の約束」 5.「新しく生まれかわるために」 旧約聖書も、新約聖書もこの五つを明らかにするために書かれている、膨大な書物です。 [この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。] (ヨハネ20:30~31)

父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。

1月23日(火) 今日はヨハネによる福音書17~18章を読みましょう。 【イエスの祈り】 [イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。] (ヨハネ17:1~3) [父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」] (ヨハネ17:24~26) 【裏切られ、逮捕される】 [そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。彼らは、「ナザレ人イエスを。」と答えた。イエスは彼らに「それはわたしです。」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らといっしょに立っていた。] (ヨハネ18:1~5)

あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

1月22日(月) 今日はヨハネによる福音書15~16章を読みましょう。 【神と人間の和解】 神は全知全能で、聖く、正しいお方ですから、私たちはおそれ多くて、神の前に出ることすらできません。しかし、罪が許されて、清められましたので、安心して神の前に出ることができます。神と仲良く交際しても良くなりました。このような神と人間の関係を作り上げるために、イエス・キリストは十字架の上で、人間の罪の犠牲となってくださいました。 神と私たちは良い関係になりました。神があなたの親友です。あなたは気軽に神に話しかけても良いのです。このような神と人との和解の関係は一時的なものではなく、あなたの望む限り、永遠に続きます。何故ならば、あなたの罪は完全に、永遠に許されるからです。そのために支払われた代償があまりにも高価で尊いからです。それは、神が人とtなったお方、すなわち、キリストの命を犠牲にしているからです。 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)