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その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。

12月21日(金) 今日はヨハネの黙示録9~10章を読みましょう。 [また私は、もうひとりの強い御使いが、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。その手には開かれた小さな巻き物を持ち、右足は海の上に、左足は地の上に置き、ししがほえるときのように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がおのおの声を出した。七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が言ったことは封じて、書きしるすな。」と言うのを聞いた。] 黙10:1~4

小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。

12月20日(木) 今日はヨハネの黙示録7~8章を読みましょう。 〔七つのラッパ〕黙58:1,2 天使がラッパをふくと、天地に大災害などが起きる幻が現れました。それでも悪い人々は悔い改めません。 [小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。]

「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」

12月19日(水) 今日はヨハネの黙示録5~6章を読みましょう。 〔小羊(キリスト)が巻物を開けてくださる。〕黙5:1 巻物を開けて出てきた幻は、恐ろしい地上の出来事でした。人類の歴史には確かにこのような出来事がありました。 [また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。] 黙5:1 [すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」] 黙5:5

「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」

12月18日(火) 今日はヨハネの黙示録4章を読みましょう。 〔天井の礼拝をまず見せてもらいます。〕黙4:1~6 天井の様子がこのように描写されています。聖書の中でも最も美しいところではないでしょうか。 [その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。]

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

12月17日(月) 今日はヨハネの黙示録2~3章を読みましょう。 【黙示録の読み方】 現在のことと思われることや将来のことが、不思議な幻で語られるため、実際になんのことを言おうとしているのか、読む人によって違います。「絶対こうだ」とは、誰も言いきれません。まず、そのことを心に留めておきましょう。無理にこじつけたり、あまりにも空想的な広がりを持った解釈にも気をつけなければなりません。わからないところはいつか光が与えられて、分かるようになるかもしれません。 [見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」] 黙3:20~22

ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。

12月16日(日) 今日からヨハネの黙示録に入ります。 いよいよ今年も残すところあと2週! 今日はヨハネの黙示録1章を読みましょう。 著者はパトモス島に流刑にされていたヨハネです。 黙示とは、今までに隠されていた神の教えが、不思議な方法で示されることです。 [イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。] 黙1:2,3 話の大筋は、 迫害を受けてパトモス島に流刑になっていたヨハネが、幻のうちに神の国を見せてもらいます。さらに次々と将来起こることも見せてもらいます。しかし、それらは不思議な幻で語られますので、実際には何を言おうとしているのかわかりにくいものです。いろいろな幻は主に、地上における神の裁きを暗示していて、恐ろしい内容です。しかし、その間におけるクリスチャンたちの勝利の幻も出てきます。悪魔は次々と人類を苦しめてクリスチャンを迫害します。悪魔は簡単には滅びないのですが、最後には神によって滅ぼされます。そして、すでに死んでいる人々も、地上に生きている人々も、最後の審判を受けます。そして、今までとは違う別の新世界が出現します。 【区分】 (1)第1章…幻を見たときの様子 (2)第2章と3章…現在の教会の様子 (3) 第4章~22章…今後起ころうとしていることの幻 〔七つの教会へ〕黙1:11 「七つの教会」とは「全ての教会」という意味です。 「7」「12」や、その倍数は完全数で良いものを表します。 その半分、例えば「3.5」や「1260日」(約3年半)は悪い数字を表します。 [その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」]

神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

12月15日(土) 今日はユダの手紙を読みましょう。 【ヤコブの兄弟ユダ】1 節 主の兄弟ヤコブの兄弟ユダ(すなわちイエスの弟)からの手紙ですが、やはり色々な意見があります。 [イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟であるユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストのために守られている、召された方々へ。] 【不信心なものへの注意】19~21 節 不信心で淫らな生活をし、混乱を起こしている人々は、神にさばかれますから、惑わされないで正しい信仰の道を歩み続けるように。 [この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。]

善を行なう者は神から出た者であり、悪を行なう者は神を見たことのない者です。

12月14日(金) 今日はヨハネの手紙第二、第三 を読みましょう。 ヨハネの手紙第二 【長老ヨハネ】1節 ↓この「長老」が誰のことであるのか、よく分かりません。 [長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。] 【反キリスト】7,8 節 ↓人を惑わす人々が出てきて混乱が起こったことが伺えます。 [なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。] 【愛というおきてにとどまるように】5,6 節 人を惑わす人々は、真理のうちにいない人々です。すなわち、その人々は、愛の掟に従って歩んではいません。あくまで愛のうちを歩むべきことを教えています。 [そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。] ヨハネの手紙第三 【第二の手紙と同じ長老の極めて個人的な手紙です。】 【愛するガイオへの励ましと依頼】5,6 節 この手紙の受取人ガイオがある人々に誠意を持って協力していることを褒め、その人々を助けて、旅に送り出してくれるように依頼しています。 [愛する者よ。あなたが、旅をしているあの兄弟たちのために行なっているいろいろなことは、真実な行ないです。彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。あなたが神にふさわしいしかたで彼らを次の旅に送り出してくれるなら、それはりっぱなことです。] [愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行なう者は神から出た者であり、悪を行なう者は神を見たことのない者です。] 11節

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

12月13日(木) 今日はヨハネの手紙第一 4~5章を読みましょう。 【神は愛だから】4:7~10 神と交わりをもつ者はなぜ兄弟愛をもつのでしょうか。それは単純なことです。神は愛であるからです。 [愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。] [私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。] 4:19 【神の証】5:1~8 私たちの信仰は、イエスが神の子であることを信じる信仰です。このイエスは公生涯のはじめの「水」による洗礼と、公生涯の終わりの十字架の「血」とによって、本当に神の子であることが証明され、さらに「聖霊」の働きによって、今も証明されています。 [イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。] 5:1~8

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。

12月12日(水) 今日はヨハネの手紙第一 3章を読みましょう。 【キリストのような兄弟愛】3:16 ヨハネの教える愛は、漠然とした愛ではなく、キリストのような犠牲をはらった愛です。 [キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。]