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わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。

7月11日(木) 今日は詩編12篇と、イザヤ書17~19章を読みましょう。 エジプトの審判や、終わりの日の和解を語ります。 エジプトが刑罰の対象から祝福の対象へと進んでいく神の計画を段階的に語ります。 エジプト人は審判を通して主を知り、主への信頼へと入る。 さらにそれはアッシリア救済にまで拡張さる。 イスラエルはエジプト、アッシリアとともに世界の平和と繁栄を支える存在となる。 と語ります。 「その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。万軍の主は祝福して言われる。『わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。』」 (イザヤ19:23~25)

一つの王座が恵みによって堅く立てられ

今日は詩編11篇と、イザヤ書13~16章を読みましょう。 「一つの王座が恵みによって堅く立てられ、さばきをなし、公正を求め、正義をすみやかに行なう者が、ダビデの天幕で、真実をもって、そこにすわる。」 (イザヤ15:5)

その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

7月9日(火) 今日は詩編10篇と、イザヤ書9~12章を読みましょう。 イザヤは不信仰な南北両王国への神の審判を語りました。しかし、いつも将来の明るい希望も語ります。これがイザヤ書の特徴です。もちろんイザヤは700年後、イエス・キリストにおいて成就されることまでは知りませんでした。ただ神のみぞ知る予言でした。ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。 「ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」 (イザヤ9:6) 「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。」 (イザヤ11:1~5)

ここに、私がおります。私を遣わしてください。

7月8日(月) 今日は詩編9篇と、イザヤ書5~8章を読みましょう。 イザヤは南王国ユダに第9代のウジヤから第12代の王ヒゼキヤの時代にわたって活動しました。だいたい紀元前740年頃から700年後まで、約40~50年間になります。北王国滅亡が紀元前722年ですから、ちょうど前後ということで大変難しい時代であったことがわかります。南王国ユダはアッシリアの猛攻の前に全土が敵の手に落ちましたが、城壁に囲まれたエルサレムだけは持ちこたえました。突然アッシリアは国内事情のために撤退し、奇跡的に滅亡をまぬがれました。 イザヤは神殿で仕えていた祭司でした。ある日神殿の中で不思議な体験をして預言者とされました。そのことを回想してここに書いています。「神の聖さ」がイザヤの信仰の中で特に強調されます。また、神が栄光に輝く神であることも強調しました。 「すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。『見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。』私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」 (イザヤ6:6~8)

それはすべての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。

7月7日(日) 今日からはイザヤ書が始まります。 今日は詩編8篇と、イザヤ書1~4章を読みましょう。 これから、旧約聖書第三部「預言書」に入ります。予言とは神の啓示を心に強く受けたり、夢や幻を見て、それを啓示と信じて語ることです。 これから始まる、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書は、どれを見ても長大なものです。細かい専門的なことについてまでわかろうとすることは困難ですので、予言書はこういうものなのかということがわかれば、それでいいと思います。 イザヤ書について(第一イザヤ) 歴史を学んだとき、イスラエルの国ができて、その国が分裂し、やがて滅んでいったことを学びました。そのような歴史の中で神のみ心を語り、宗教活動した人々が預言者です。 国は南北に分裂し、紀元前722年に、まず北王国イスラエルが、大国アッシリア帝国によって滅ぼされました。南王国ユダも攻撃を受けました。そんな時代に有力な宗教家が出ました。それがイザヤという預言者です。 読み始めるとすぐにわかりますが、順序だったストーリーの展開はありません。どんどん読み進み、だいたい、どのようなことを言おうかとしているのかを理解してください。 ただ、一つ知っているとよい知識は、南王国ユダは、北方のチグリス、ユーフラテス川流域のアッシリア帝国(のちにバビロニア帝国やペルシア帝国に取って代わられる)と、南方のナイル川流域のエジプトに挟まれて、常にどちらかの干渉を受けていたことです。 イザヤはどちらとも組まないで、神のみを信頼し、独立を守るようにしました。 「主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき、主は、シオンの山のすべての場所とその会合の上に、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造される。それはすべての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。」(イザヤ4:4~6)

さあ、私の愛する方よ。野に出て行って、ヘンナ樹の花の中で夜を過ごしましょう。

7月6日(土) 今日は詩編7篇と、雅歌7~8章を読みましょう。雅歌は今日で終わりです。 甘~い言葉が出てきます。歌は結婚式の祝宴の歌かもしれません。 あなたが花婿か花嫁になったつもりで、友人たちがお祝いに歌ってくれていると思って読むと良いかもしれません。 「さあ、私の愛する方よ。野に出て行って、ヘンナ樹の花の中で夜を過ごしましょう。私たちは朝早くからぶどう畑に行き、ぶどうの木が芽を出したか、花が咲いたか、ざくろの花が咲いたかどうかを見て、そこで私の愛をあなたにささげましょう。恋なすびは、かおりを放ち、私たちの門のそばには、新しいのも、古いのも、すべて、最上の物があります。私の愛する方よ。これはあなたのためにたくわえたものです。」 (雅歌7:10~13) 純粋な愛の強さを歌います。愛っていいですね。男女の愛も、もちろん神の御愛も。 「私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。」 (雅歌8:6,7)

あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。

7月5日(金) 今日は詩編6篇と、雅歌4~6章を読みましょう。 【思いっきり恋人を愛している言葉】 「ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。あなたの目は、顔おおいのうしろで鳩のようだ。あなたの髪は、ギルアデの山から降りて来るやぎの群れのよう、あなたの歯は、洗い場から上って来て毛を刈られる雌羊の群れのようだ。それはみな、ふたごを産み、ふたごを産まないものは一頭もいない。あなたのくちびるは紅の糸。あなたの口は愛らしい。あなたの頬は、顔おおいのうしろにあって、ざくろの片割れのようだ。あなたの首は、兵器庫のために建てられたダビデのやぐらのようだ。その上には千の盾が掛けられていて、みな勇士の丸い小盾だ。あなたの二つの乳房は、ゆりの花の間で草を食べているふたごのかもしか、二頭の子鹿のようだ。」 (雅歌4:1~5)

あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。

7月4日(木) 引き続き、豪雨に気をつけてください。無事を祈っています。 今日から雅歌に入ります。 今日は詩編5篇と、雅歌1~3章を読みましょう。 雅歌は率直な愛を表現している恋愛歌です。どうして、そのようなものが聖書の中に含まれているのでしょうか。男女の愛は純粋で、情熱的で、性的で、創造的で、喜びをもったものだからです。愛には献身、貞節、責任が求められます。神の愛、そして人の神に対する愛も、この歌の中に込められていると思います。 「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛はぶどう酒よりも快く、あなたの香油のかおりはかぐわしく、あなたの名は注がれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています。私を引き寄せてください。私たちはあなたのあとから急いでまいります。王は私を奥の間に連れて行かれました。私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています。」 (雅歌1:2~4)

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に

7月3日(水) 引き続き、豪雨に気をつけてください。無事を祈っています。 今日は詩編4篇を読みましょう。 伝道者の書(コヘレトの言葉)は今日で最後です。10~12章を読みましょう。 やはり、人生で大切なものは最後には信仰なのではないでしょうか。 人生に悩み、苦しみ、空しさに襲われ、それでもなお神を語ります。 このようなニヒリズムに満ちた書が聖書に残されたゆえんです。 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」 (コヘ12:1) 「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」 (コヘ12:7)

いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。

7月2日(火) 九州地方の災害級の大雨、無事を心よりお祈りします。 今日は詩編3篇と、伝道者の書(コヘレトの言葉)7~9章を読みましょう。 空しい人生ではありますが、そうかと言って、著者は信仰をなくしているわけではありません。 しかし、また人生の悩みと空しさに襲われます。 「悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。」 (コヘ7:3) なんとニヒルな著者なのでしょうか。悲しみに打ちのめされると、かえって人間は心に安らぎを覚えるというのです。私たちもそういう一面があるかもしれません。 「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」 (コヘ7:14) 「いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。」 (コヘ9:8) 人生は空しいが、しかし、心に純白の着物を着て、なお生きてゆこう。きっとこの世の中にどんな矛盾があっても、それを見るにつけ空しい思いをさせられても、自分は神を信じて生きていこうとする真面目な人なのだと思います。