ブログ – ページ 182 – 聖書検定協会公式サイト

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イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。

11月26日(火) 今日は詩編150篇と、ヘブライ(ヘブル)人への手紙の5~6章を読みましょう。 今日で詩編が終わりましたね。ハレルヤ!ハレルヤ! 【メルキぜデクのような大祭司イエス・キリスト】ヘブ6:20 御子イエス・キリストは、特別な大祭司で、モーセの兄アロンより始まる人間大祭司にまさる大祭司です。そのことをメルキゼデクのような大祭司という独創的と思えるような大胆な説明をします。メルキゼデクという人は、創世記14:17~24にほんの少しだけ出てくる人物で、読み落としてしまいそうな人です。詳しいことがわからないほどに少ししか出てこない人ですのに、アブラハムが十分の一の捧げ物をしていることから、その不思議に着目して、イエス・キリストが思っている以上に偉大な大祭司であることを主張します。7章がその説明となっています。 [この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。] (ヘブ6:19~20)

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

11月25日(月) 今日は詩編149篇と、ヘブライ(ヘブル)人への手紙の3~4章を読みましょう。 【御子イエス・キリストは、モーセにまさっている】ヘブ3:5~6 モーセは忠実に民に奉仕しましたが、イエス・キリストはそれ以上に謙虚に民に奉仕しました。ヘブライ3:1~19でこのことを論議しています。 【御子イエス・キリストは、偉大な大祭司です】ヘブ4:14~15 ヘブ4:14~8:6はこの手紙の中心になる論議です。イエス・キリストは大祭司であることを語ります。それを、ユダヤ教徒が尊敬していた人間大祭司と比較しながら語っています。そもそも祭司とは神と人間との間に立ってとりなしてくれる人です。 [さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。] (ヘブ4:14~16)

主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

11月24日(日) 今日は詩編148篇と、ヘブライ(ヘブル)人への手紙の1~2章を読みましょう。 【御子イエス・キリストは、預言者にまさっている】ヘブ1:1~3 神はかつて人間を通して語られたが、今やついに御子を通して直接語られます。 御子というのは、私たちの人間の子供という意味ではなく、神の本質が現されている御方のことで、天地創造をなさった御方です。要するに神が人となった御方です。 【御子イエス・キリストは、天使にまさっている】ヘブ1:6  ここは詩篇97:7の引用と思われます。しかも、ヘブライ語原典からギリシャ語に訳した聖書を基にしていると思われます。イエス・キリストは、天使が礼拝していますから、神なのです。ヘブライ1:4~2:18まで、主に詩篇の聖句を自由に大胆に引用しながら、イエス・キリストが天使よりはるかにまさっていることを語ります。いまの私たちには少しかけ離れた議論に感じられるかもしれません。それは、私たちがかつて熱心なユダヤ教であったと仮定して読むと、迫力のある手紙になると思います。 [そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。] (ヘブ2:17~18)

私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。

11月23日(土) 今日は、第1級聖書検定試験の実施日です。 そのあと、お話会や茶話会があります。 どうぞ覚えてお祈りください。 さて、今日は詩編147篇と、フィレモン(ピレモン)への手紙の1章を読みましょう。 この手紙は極めて個人的な手紙です。当然詳しい背景や経緯はわからないのですが、フィレモンという人の奴隷で、ネオシモという人の処遇についてパウロが書いている手紙です。相手の立場を尊重し、問題解決のために信仰的な考え方で書いていることがよく伺えます。信仰が独善に陥ることなく、一般的な常識にも、良い意味で合致するように努力していることが伺えます。 [私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。] (フィレモン6〜14節)

私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。

11月22日(金) 今日は、詩編146篇と、テトスへの手紙の3章を読みましょう。 [しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。] (テトスへの手紙3:4~7)

しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。

11月21日(木) 今日は、詩編145篇と、テトスへの手紙の1~2章を読みましょう。 このテトスへの手紙は、パウロの伝道によって回心したギリシャ人のテトスを励まし、指示を与え、ニセ教師に注意するように警告するために書かれました。 [しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。] (テトスへの手紙2:1) [主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。] (詩編145:14)

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

11月20日(水) 今日は、詩編144篇と、テモテへの手紙第二の3~4章を読みましょう。 ただ伝道するように進めているだけではなく、伝道者の自覚と責任、さらには御言葉を宣べ伝えるという「おそれ多い」勤めにたずさわっているパウロの厳かな気持ちが伝わってきます。 [確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。] (テモテ第二 3:12~17) [みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。] (テモテ第二 4:2)

もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。

11月19日(火) 今日は、詩編143篇と、テモテへの手紙第二の1~2章を読みましょう。 パウロはネロの迫害に遭い、再び捕らえられました。 そして、獄中で、気の弱いテモテを励ます手紙を書きました。 [次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」これらのことを人々に思い出させなさい。そして何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになるような、ことばについての論争などしないように、神の御前できびしく命じなさい。] (テモテ第二 2:11~14)

年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。

11月18日(月) 今日は、詩編142篇と、テモテへの手紙第一の4~6章を読みましょう。 ローマの信徒の手紙や、ガラテヤの信徒への手紙では、律法について理論的な方法で語られていますので、少し難しく感じるかもしれませんが、テモテでは大変実践的な方法でわかりやすく説明しています。 [年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。] (テモテ第一 5:1~2)

神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。

11月17日(日) 今日は、詩編141篇と、テモテへの手紙第一の1~3章を読みましょう。 テモテへの二通の手紙とテトスへの手紙は、「牧会書簡」と呼ばれています。 パウロの生きた社会では、男女の差別がありました。女性は公的な場所で発言しないものでした。 ですから、2章8~15節は真理の問題ではなく、文化人類学的な問題として考える必要があります。現代の社会では12節「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。」を、このまま受け入れることはできません。そのように解釈するべきだと思います。 [ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。] (テモテ第一 2:8~15) [私は、近いうちにあなたのところに行きたいと思いながらも、この手紙を書いています。それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」] (テモテ第一 3:14~16)