ブログ – ページ 174 – 聖書検定協会公式サイト

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主を恐れることは知識の初めである。

6月21日(金) 今日から箴言を読みましょう。(詩編は27週から毎日1章を読みます。) 今日は、箴言の1~3章を読みましょう。 箴言は信仰的な格言です。旧約聖書の第二部「文学」は五つの書を含んでいますが、そのうち三つ、ヨブ記と箴言と伝道の書(コヘレトの言葉)の三つを「知恵文書」と読んでいます。人生に成功するための信仰的な知恵が語られています。 ヨブ記は長い物語を通して、人生の苦しみを克服する知恵を教えていますが、箴言はそのような物語ではなく、一句一句の格言になっています。いまの自分にとって参考になる句があると思います。 神を第一にすることから、全ての人生の成功の知恵が出てきます。 「主を恐れることは知識の初めである。」 (箴言1:7)

さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。

6月20日(木) 新潟県で18日に最大震度6強を観測した地震では、 どうか皆様がご無事で、被害が軽微でありますことを心よりお祈りいたします。 また、被害に遭われた方全ての主による癒しをお祈りいたします。 今日でヨブ記は終わりです。 ヨブ記40~42章を読みましょう。 ヨブは反省と悔い改めをします。 人間の知恵は限られたもので、人生のすべてがわかるはずがないことを知り、議論したことを悔い改めます。 そして、いかなる人生にも神の祝福が待っています。 このヨブ記の物語も、最後には神の祝福で終わっています。どんな苦難を背負った人も、神に呪われているのではありません。神は人の人生を祝福しようとしているのです。この背景には唯一絶対なる神への全き信頼こそが信仰であり、苦難に打ち勝つ知恵であることを教えています。これが結論の結論です。 「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。」 (ヨブ記42:10)

あなたは海の源まで行ったことがあるのか。

6月21日(水) ロシアW杯、日本代表はグループリーグ初戦でコロンビア代表に勝ちましたね! 今日はヨブ記37~39章を読みましょう。 ヨブ記の最終部として、突然というか、ついに神が現れる。 そして、聖書の中でも最も長い言葉で、「人生はあまりに複雑で、苦難の意味など人間に分かるはずがない。」という結論を告げる。 「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。」 (ヨブ記38:1) 「あなたは海の源まで行ったことがあるのか。深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。」 (ヨブ記38:16)

そこでヨブよ。どうか、私の言い分を聞いてほしい。

6月18日(火) 今日はヨブ記33~36章を読みましょう。 突然現れた第四番目の友人エリフの弁論は永遠に続き、ヨブとの直接対決を迫ります。 ●エリフの弁論一(32~33章) ●エリフの弁論二(34章) ●エリフの弁論三(35章) ●エリフの最後の弁論(36章) エリフの言葉の後、ヨブがどう反応したかは言われないけれども、もう答える元気もなくなったのでしょうか、何も答えません。 「そこでヨブよ。どうか、私の言い分を聞いてほしい。私のすべてのことばに耳を傾けてほしい。」 (ヨブ記33:1)

私が善を望んだのに、悪が来、光を待ち望んだのに、暗やみが来た。

6月17日(月) 今日はヨブ記29~32章を読みましょう。 ヨブは過去の幸福であった日々を回想しはじめます。(29章) 過去の幸福に対して、「しかし今は」ヨブを嘲笑する人々がいることを嘆きます。(30 章) 神への大胆な挑戦が始まります。(31章) そして、突然現れた第四番目の友人は、苦難を通して神は何かを教えようとしたり、訓練しようとしているのだと主張します。(32章) 「私が善を望んだのに、悪が来、光を待ち望んだのに、暗やみが来た。私のはらわたは、休みなく煮えたぎる。悩みの日が私に立ち向かっている。私は、日にも当たらず、泣き悲しんで歩き回り、つどいの中に立って助けを叫び求める。私はジャッカルの兄弟となり、だちょうの仲間となった。私の皮膚は黒ずんではげ落ち、骨は熱で焼けている。私の立琴は喪のためとなり、私の笛は泣き悲しむ声となった。」 (ヨブ記30:26~31)

見よ。主を恐れること、これが知恵である。

6月16日(日) 今日から聖書通読も第25週に入ります。 さて、今日はヨブ記25~28章を読みましょう。 ビルダド(ビルダデ)の最後の言葉はわずか6節と短く、賛美の形式で神の偉大な支配を歌い上げ、それとは対照的に人間がいかに小さく汚れたものであるかを言っています。(25章) ヨブはビルダド(ビルダデ)へ反論します。 宇宙の創造主なる神の偉大さを賛美し、自分の潔白さを誓い、友人たちが悪人たちの行く末を説いてきたことを一蹴します。(26,27章) 28章は神の知恵を賛美する最も美しい章の一つです。 「こうして、神は人に仰せられた。『見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。』」 (ヨブ記28:28)

しかし、みこころは一つである。

6月15日(土) 2018 FIFAワールドカップ ロシア! いよいよ始まりましたね。 日本ガンバレ! さて、今日はヨブ記22~24章を読みましょう。 三人の友人がそれぞれ問いかけ、そのそれぞれにヨブが答えるという形式は崩れます。 ヨブの言葉の中に友人たちの主張と思われるものがあり、読み手は惑わされます。 呼ぶの雄弁な訴えを聞いたエリファズが登場し、ヨブが自分の非を認めるよう説得する。 エリファズは模範的な宗教家であり、教育者としてヨブの説得を行って来ました。 ヨブはもはや友人に直接答えるのではなく、独白になり、嘆きになり、激しさを増して強い願望の吐露となります。 「私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。私は神のくちびるの命令から離れず、私の定めよりも、御口のことばをたくわえた。しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行なわれる。神は、私について定めたことを、成し遂げられるからだ。このような多くの定めが神のうちにある。」 (ヨブ記23:11-14)

私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。

6月14日(金) 今日はヨブ記19~21章を読みましょう。 ヨブは「いつまで、あなたがたは私のたましいを悩まし、そんな論法で私を砕くのか。」(19章)と友人たちに反論しますが、やがてそれは、孤独と嘆きに変わります。 「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(19:25) この句はヨブ記の中で最も有名な一節です。 ヨブに災いを与えた神のみが、ヨブを回復することができ、そして終末の日には土から起き上がる復活の主がおられるます。

今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。

6月13日(木) 今日はヨブ記16~18章を読みましょう。 ●ヨブの応答と嘆きは続きます。(16,17章) 「ヨブは答えて言った。そのようなことを、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ。むなしいことばに終わりがあろうか。あなたは何に興奮して答えるのか。私もまた、あなたがたのように語ることができる。もし、あなたがたが私の立場にあったなら、私はことばを連ねてあなたがたを攻撃し、あなたがたに向かって、頭を振ったことだろう。」 (16:1~4) 「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。」 (16:19~20) ●2番目に登場した友人ビルダド(ビルダデ)が2回目の意見をし、悪人の運命をヨブに 押し付けます。(18章) 「西に住む者は彼の日について驚き、東に住む者は恐怖に取りつかれる。不正をする者の住みかは、まことに、このようであり、これが神を知らない者の住まいである。」 (18:20~21)

人が死ぬと、生き返るでしょうか。

6月12日(水) 冷たい雨に打たれた後、クーラーの効いた部屋に居ると、てきめん風邪を引きますね。 お気をつけてくださいね。 今日はヨブ記13~15章を読みましょう。 ●ヨブは友人を非難し、神への心備えをします。(13:1~19) ●そして神に対して挑戦的主張をします。(13:20~28) ●さらに、人の運命のはかなさを訴えます。(14:1~12) ●ヨブの苦しみは極限状態に陥り、思考が混乱し、死後の命を期待したりします。(14:13~17) ●しかし、死後への淡い期待は瞬時にして取り去られ、再び絶望が襲ってきます。 一番目の友達(エリファズ)はヨブを攻撃し、不遜な態度を非難し、悪者の運命を示します。(15章) 「人が死ぬと、生き返るでしょうか。私の苦役の日の限り、私の代わりの者が来るまで待ちましょう。」 (ヨブ記14:14)