木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。
3月26日(木)
オリンピックも来年になりましたね。
今週末に不要不急の外出を控えるようと、東京都知事の外出自粛要請がありました。
また、外務省は全世界を対象に、レベル2の「不要不急の渡航自粛」を出しました。
とても大変な事態になっておりますが、今こそ、みことばを!
「あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。」詩篇91:5-6
主を避け所、とりでとし全てが癒されますよう祈ります。
今日は、申命記20~23章を読みましょう。
律法、律法の毎日で、皆さん嫌になっていませんか?
これら、613もの多岐にわたる律法をすべて覚えたら、今なら、弁護士、医者、建築家、デザイナーなどプロの仕事に就けるでしょうね。
父祖アブラハムに対してたてられた「祝福の約束」は、イスラエルの民にとって良いものでした。しかし、全部覚えていても、残念ながら、厳守は出来ませんでした。
アダムの罪を引きずっている人間は、本当にどうしようもありません。
それゆえに、神は一方的に、この罪を贖うために、イエス・キリストを犠牲の供物としてくださいました。人は、ただ神の憐れみによって救われることになりました。
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」
(申命記21:22~23)
パウロは、このみことばから、私たちのために神の呪いを受けたキリストの十字架の意味を解き明かしています。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。」
(ガラテヤ3:13)