ブログ – ページ 117 – 聖書検定協会公式サイト

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わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。

9月7日(火) 今日は詩編70篇と、アモス書7~9章を読みましょう。 アモスは羊飼いでした。 人間の社会は繁栄するとなぜか貧富の差が開き、貧しいものが更に不利になり、 また、不正が横行するようです。アモスは黙っておられませんでした。 彼は「不正」を嫌う人でした。正義は神への思いから出てきます。 不正な人々を必ず神は裁かれます。 しかし、全てをさばき尽くすのではなく、正しい一部の人々は残されます。 神は不正を裁かれますが、それは、悔い改めて、神に立ち返る人々を祝福するためです。 『「見よ。その日が来る。――主の御告げ。 ――その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。 山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。 わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。 彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、 果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。 彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。」 とあなたの神、主は、仰せられる。』 (アモス書9:13~15)

天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。

9月6(月) 今日は詩編69篇と、アモス書4~6章を読みましょう。 南北分裂後、北王国は一時非常に栄えました。首都サマリヤも、 そこにあるバジャン地方も栄え、婦人たちも酒に酔い堕落しました。 「聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。 彼女らは弱い者たちをしいたげ、貧しい者たちを迫害し、自分の主人たちに、「何か持って来て、飲ませよ。」と言う。」 (アモス書4:1) 「天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。 まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。 こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。 主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。」 (詩篇69:34~36)  

テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。

9月5(日) パラリンピックも今日で閉幕。 たくさんの感動をありがとうございました。 選手の皆さんはみんな感謝の言葉を口にしていましたね。 築地市場跡の広大な敷地には、オリパラの選手や関係者を運ぶおびただしいバスが 日本全国から集結していました。 そこは、今度は酸素ステイションになるそうです。 もっと早くにそうしてくれていたらとも思います。 さて、 今日から三日間、アモス書を読みましょう。 今日は詩編68篇と、アモス書1~3章を読みましょう。 はじめに預言者は、人々の前で語りました。自分でそれを書き残したのかもしれません。 死んでから弟子たちがまとめて書いたのかもしれません。 これらのことは、今となってはよくわかりません。アモス書もそうです。 しかし、どちらにしても、確かにアモスの語ったことが、ほとんど正確に残されていると考えられます。 北王国イスラエルの王ヨシュアの子ヤロブアム王の時代ですから、 あのホセアと共に活動したことになり、紀元前750年頃のことです。 「テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。 これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、 地震の二年前に、イスラエルについて彼が見たものである。」 (アモス書1:1)  

わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。

9月4日(土) 今日は詩編67篇と、ヨエル書3~4章を読みましょう。 「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、 シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。 その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」 (ヨエル書   新改訳2:28~32 / 新共同訳3:1~5) この聖句を読むと、だんだん新約聖書に近づいてくることを感じます。 ヨエルは具体的にどのような霊が、どのように下るかを知らなかったと思います。 しかし「すべての人に下る」という預言は、イスラエルの民だけではなく、 全人類の救いを語っています。アブラハムに立てられた、あの約束が近づいています。 もちろんこの預言は、ペンテコステ(使徒2:1~13)において成就しました。

主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。

9月3日(金) 今日と明日は、ヨエル書を読みましょう。 今日は詩編66篇と、ヨエル書1~2章を読みましょう。 預言書はバビロン捕囚の前か後かで区別するのが、理解のために便利です。 ヨエル書は捕囚から帰ってきた後のことです。苦しい中で神殿を建て、 エルサレムの街を守る壁を建て、なお苦しい生活をしているときに、 イナゴの大量発生という災害に見舞われました。 いなごの災害から、ヨエルはさらに大きな神の裁きを語りました。 神は悔い改める者を必ず憐れまれます。 『「しかし、今、――主の御告げ。――心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。』 (ヨエル書2:12~13)

彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。

9月2日(木) 今日は詩編65篇と、ホセア書12~14章を読みましょう。 今日でホセア書は終わりです。 ホセアの預言は、北イスラエルの回復と祝福で締めくくられています。 現実は北イスラエルは滅亡の直前にいるのですが、 「北イスラエルの罪は溜め込まれたままなのだから、悔い改めよ!」と勧告します。 「神は背く彼らを許す愛に満ちたお方であるので、 神に立ち返るように!」と希望を込め切に訴えています。 「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。 わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。 わたしはイスラエルには露のようになる。 彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。 その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、 そのかおりはレバノンのようになる。彼らは帰って来て、 その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、 その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。」 (ホセア書14:4~7)

今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。

9月1日(水) 今日から9月。 今週は涼しいそうです。 今日から聖書通読は第36週に入ります。 聖書難易度マップによると、最も険しい山は越えた模様です。 今週後半からは意外と楽に進めるようになります。 今日は詩編64篇と、ホセア書9~11章を読みましょう。 歴史的転換に直面した、北イスラエルは混乱の中、 真理に基づき民の批判を行う預言者ホセアは激しい迫害と激しい敵意にあったと思われます。 しかし、信仰を持ち続けた預言者ホセアは、 なおもイスラエルに対して警告と、理想を言い続けます。 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。 今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」 (ホセア書10:12)

角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。

8月31日(火) また今日から1週間、長雨だそうです。 今日は詩編63篇と、ホセア書7~8章を読みましょう。 イスラエルは罪を重ねた結果、自己破綻をきたすと言います。 それは裏返さずに焼かれた菓子のようと例えます。 また、イスラエルはヤハウェとの契約を破ったがゆえに、 審判として外敵の攻撃を受けると警告をします。 [角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、 わたしのおしえにそむいたからだ。彼らは、わたしに向かって、 「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている。」 と叫ぶが、イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。] (ホセア書8:1~3)

私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。

8月30日(月) 今日は詩編62篇と、ホセア書4~6章を読みましょう。 ホセア書の4~14章まで、「神の愛」、「イスラエルのそむき」、「神のさばき」、しかし「最後に神のあわれみと祝福」が繰り返して語られます。預言書は小説のように筋道の通った一つの物語ではありません。メッセージが色々な手法で繰り返し語られるだけです。そのつもりで読んでください。 「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」 (ホセア書6:3)

その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

8月29日(金) 今日は詩編61篇と、ホセア書1~3章を読みましょう。 私たちは預言者というと、何か特別な人のように感じます。 確かに特別な人ですが、今の私たちの社会で言えば、官吏とか学校の先生などと並んで、 社会の中の一員を成していた一つのグループでした。 ただ、自分が預言者だという自覚を持って発言し、行動しました。 もし、本当に神の御旨を語っていなかったら、当然取り残されていたと思います。 結局、その語る内容によって判断され、評価されたと思われます。 ホセアは『愛』を語った預言者でした。そして本当の預言者として聖書の中に生き残りました。 ホセアは、紀元前750年頃(ヨシュアの子ヤブサロムですから)に、北イスラエルで預言活動を始めました。 ホセアは不倫な女と結婚します。そして、不倫の子をもうけます。 子の名は「イズレエル(散らされる)」、「ロ・ルハマ(あわれまない)」、「ロ・アミ=ロ・アンミ(私の民でない)」でした。 私生活を通してイスラエルの民は他の神々と結婚(信仰)していることを言おうとしています。 やがて、ホセアは不倫の妻と離婚します。神はイスラエルをさばかれます。 そして、ホセアは再婚(復縁)します。神はそれでもイスラエルを忘れないで、 哀れみ、愛してくださる。また、イスラエルも神に帰ってゆきます。 『主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。 ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。私は彼女に言った。 「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。 私も、あなたにそうしよう。」それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、 石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。その後、イスラエル人は帰って来て、 彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。』 (ホセア書3:1~5)