ブログ – ページ 96 – 聖書検定協会公式サイト

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手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。

4月9日(土) 今日は士師記5~8章まで読みましょう。 全部で12名の士師が登場します。 ある士師は詳しく長い物語ですが、ある士師は名前だけ記されています。 ご自分の聖書に12名の番号をつけてみてください。 昨日と今日の通読箇所の代表的な士師は、 (1)オテニエル(オトニエル) 士師3:7~11 (2)エフデ(エフド) 士師3:12~30 (3)シャムガル 士師3:31 (4)デボラとバラク(二人で1組)古い詩文のデボラの歌が出てきます。 士師4:1~5:31 (5)ギデオン(ヨアシュの子) ●弱虫ギデオンの召命 士師6:11 ●神と交渉するギデオン 士師6:36~40 ●わずか300人の精鋭で戦う 士師7:1~7 「そこで主はギデオンに仰せられた。『手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。』そこで彼らは民の糧食と角笛を手に取った。こうして、ギデオンはイスラエル人をみな、それぞれ自分の天幕に送り返し、三百人の者だけを引き止めた。ミデヤン人の陣営は、彼から見て下の谷にあった。」 (士師記7:7,8)

そのとき、主はさばきつかさを起こして、彼らを略奪する者の手から救われた。

4月8日(金) さて、今日から聖書通読も第15週に入ります。 今日から士師記を読みましょう。また少し高い山に登り始めます。 今日は士師記の1~4章です。 士師というのは、唯一の神へのしっかりとした信仰を持ち、モーセの律法を正しく解釈でき、正義を守る指導者で、神からの召命を受けた人と思われます。イスラエルの全部族ではなく、ある限られた部族や地方の中で活躍したと思われます。 「そのとき、主はさばきつかさを起こして、彼らを略奪する者の手から救われた。 ところが、彼らはそのさばきつかさにも聞き従わず、ほかの神々を慕って淫行を行ない、それを拝み、彼らの先祖たちが主の命令に聞き従って歩んだ道から、またたくまにそれて、先祖たちのようには行なわなかった。主が彼らのためにさばきつかさを起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。これは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。」 (士師記2:16~18)

私と私の家とは、主に仕える。

4月7日(木) 皆さま! 今日でヨシュア記が終わります。 22~24章まで読みましょう。 ヨシュアは、征服と土地配分が終って、改めて契約(それは神が民を祝福し、民が唯一の神のみを信じ従うこと)を確認しました。 その後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死にます。 さて、皆さまは、「ヨシュア記」と「イエス・キリスト」にはどのような関係があるかを見つけましたか? ヨシュアは約束の地、先祖のカナンに、勝利して入りました。 イエスは十字架によって、死を滅ぼし、勝利して天国を与えてくださいました。 ヨシュア記そのものの中に、メシア預言を感じられたでしょうか? 「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」 (ヨシュア記24:15)

それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。

4月5日(火) 今日は、ヨシュア記16~18章を読みましょう。 ところで、ヨシュアという名は、ヘブライ語の名前です。 これを新約聖書に書かれたギリシャ語に書き換えると「イエースース」すなわち、 私たちが日本語の聖書で訳している「イエス」になります。 では、次のことを考えながら、残りのヨシュア記を読んでみてください。 「過越の小羊の祭り」の時に、イエス・キリストは、その小羊のように十字架上で死にました。旧約聖書は時々、イエス・キリストを指し示すようなことが書いてあります。 「ヨシュア記」と「イエス・キリスト」にはどのような関係があると考えられますか? 想像しながら読んでみてください。 「するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。『あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。』」 (ヨシュア記17:17,18)

ヨシュアは年を重ねて老人になった。

4月4日(月) 今日は、ヨシュア記13~15章を読みましょう。 13章から始まる後半は、占領地の分割です。 聖書を読むときに、(お持ちの方は)第3級聖書検定公式テキストの第4項「ヨシュア記」(20ページ)のカナンの地図を参照にして下さい。 「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』」 (ヨシュア記13:1)

こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。

4月3日(日) 「わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。 まことに主は、あなたのために、御使たちに命じて、 すべての道で、あなたを守るようにされる。」詩篇91:10-11 祈りましょうね!祈りましょう! 今日は、ヨシュア記9~12章を読みましょう。 皆さま、ヨシュア記を読んで、どうかつまづかないようにしてください。 ヨシュア記は、平家物語のような一種の「戦記」です。 敵部族を、女も子どもも全て殺します。本当に神がこのように命じたのだろうかと思ってしまいます。 聖書は神のことが書いてありますが、これを書いたのは人間の手でした。 そこには誤解も生じたと思います。虐殺することが、神の考えだと早合点して、手段を選ばなかったのだとする説もあります。そして、それが神のお考えだと、確信して書き残したのが、ヨシュア記だと考える人もいます。 どこからこのような誤解が生じたのでしょうか。それは、カナン征服は神の約束であること、また、偶像神を拝む民は間違っており、滅ぼさなければならないと考えたのではないでしょうか。これは正しいことですが、この目的を達成しようとするあまり、手段を選ばなくなってしまったと考えるのです。「聖戦」のためには、何をしても構わない、という間違った考えに陥ったと思われます。難しい問題ですが、このような誤解も、包み隠さず書いてある「ヨシュア記」につまづかないで読んでください。 「こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。」 (ヨシュア記11:23)

七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。

4月2日(土) 今日は、ヨシュア記5~8章を読みましょう。 ヨルダン川を渡り終えたヨシュアは、神からの勇気百倍の励ましを受けます。 (ヨシュア記5:13~15) そして、川向こうの第一の町「エリコ」を攻略します。 「主はヨシュアに仰せられた。『見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。』」 (ヨシュア記6:2~5)

ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

4月1日(金) さて、今日から、聖書通読も第14週目に入ります。 「ヨシュア記」から「エステル記」までは歴史書です。 ページ数は多いですが、ストーリーは単純です。 約400年ぶりに、かつてアブラハムが住んでいたカナン(今のパレスチナ)に帰って来て、その土地を平定し、やがて王国を作り、分裂して、滅亡していった歴史です。 今日は、ヨシュア記1~4章です。 400年の留守の間に、カナンには多くの他民族が住み着いていました。ヨシュアを指導者として平定の戦いが始まります。まず、ヨルダン川を渡らねばなりません。 40年前に、自分たちの親が経験したあの「紅海を渡る奇跡」と同じことが起こりました。 「上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。」 (ヨシュア記3:16~17)

彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。

3月31日(木) 今日は、申命記32~34章を読みましょう。 今日で「モーセ五書」読了です。 お疲れ様でした。 律法の内容と、その大切さをつくづく感じられたと思います。 この先、さらに読み進むと、旧約聖書全体の中で、結局はこの律法そのものが、旧約聖書の中心をなしていることが、わかってきます。 今後の歴史は、モーセの律法を守るか、守らないかが中心となっていきます。 もちろん、守りきれない弱い人間の罪の歴史が展開します。 明日からは、ヨシュア記に入ります。 「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。」 (申命記34:10)

あなたのかごも、こね鉢も祝福される。

3月30日(水) この地に平安が来ますように、 「あなたのかごも、こね鉢も祝福される。」 全てのものが祝福される時が来ると信じましょう! 今日は、申命記28~31章を読みましょう。 申命記は、荒野の旅行も終わり、カナンを目前にして、モーセが死ぬ前に行った「決別説教」です。その内容は、律法の繰り返しとともに、律法を忠実に守るように、イスラエルの民に勧めています。 ①律法を忠実に守りなさい。(申29:9) ②律法を聞かせ、学ばせなさい。(申31:9~13) 一方、律法を守るならば、次のような祝福を約束されました。 「あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。 あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。」 (申命記28:3~6)