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ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。

4月19日(月) 今日は、サムエル記第一の20~22章を読みましょう。 サウルの息子ヨナタンはダビデの逃走に協力しました。 ヨナタンは、自分を愛するほどにダビデを愛していたからです。 やがて、ダビデはサウルから逃亡するために、「アドラム」という洞窟に逃れます。 そこは南部ユダの丘陵地帯に位置し、ペリシテの支配地との境界線辺りであったと思われます。 そのアドラムの洞窟に、家族ばかりか、困窮している者、負債のある者、四百人が集まり、ダビデは彼らの頭領になりました。 この隠れ家で、不満に満ちた者たちは、ダビデの指導の下、強い戦士たちへと成長していったと言われます。 また、このアドラムの洞窟で、たくさんの詩篇が生まれました。 「ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。彼の兄弟たちや、彼の父の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た。 また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。」 サムエル記 第一22:1,2

サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。

4月18日(日) 今日は、サムエル記第一の17~19章を読みましょう。 今日の通読箇所の「ダビデとゴリヤテ」は、旧約聖書も有名な箇所の一つです。 子ども聖書絵本には必ず出てきますね。 よく知ってはいても、通読の流れの中で読むと体系的に捉えることができます。 「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。 きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。』」 サムエル記 第一17:45,46 人の心とは、複雑なものです。 ダビデが目覚ましい活躍をすればするほど、サウルの心には嫉妬心と恐怖心が噴き出してきます。 「女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』」 「サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。『ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。』」 サムエル記 第一18:7,8 「サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。」 サムエル記 第一18:12

主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。

4月17日(土) 花水木やツツジが綺麗ですね。 何があってもちゃんと咲いてくれてありがとう! 今日は、サムエル記第一の13~16章を読みましょう。 サウルは、預言者サムエルの教えに従いませんでした。王といえども、預言者を軽く見ることは許されないことだったからです。 「サムエルは言った。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」 サムエル記 第一15:22,23 主はサウルに、サムエルのことでいつまでも悲しまないで、ダビデに油をそそぐように言われました。 「エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。『さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。』 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。」 サムエル記 第一16:12,13

あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ。

4月16日(金) 今日は、サムエル記第一の9~12章を読みましょう。 「サウルは美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。」(サム一9:2) サウルは油注がれてイスラエル史上初代の王となります。 それは、王制導入が主の意思によることを物語るものでした。 王は民をペリシテ人の手から救う救助者でした。 主は民の叫び声を聞き、民を顧みられたのです。 「あすの今ごろ、わたしはひとりの人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救うであろう。民の叫びがわたしに届いたので、わたしは自分の民を見たからだ。」 サムエル記第一9:16

彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。

今日は、サムエル記第一の5~8章を読みましょう。 強敵ペリステに対抗するため、イスラエルの民は、統一国家と王を求めました。 この世の王が、はたして、本当の平和をもたらすでしょうか。 結果は、これからの歴史が明らかにしてくれます。 「主はサムエルに仰せられた。『彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」そこで、サムエルはイスラエルの人々に、「おのおの自分の町に帰りなさい。』と言った。」 サムエル記 第一 8:27

私たちの神のような岩はありません。

4月14日(水) 春の嵐ですね。 今日から、聖書通読も第16週になります。 みなさま、もう聖書通読生活には慣れました? もし、うっかり忘れた場合は、飛ばしても良いので、 今現在の通読箇所を読んでください。 今日からサムエル記に入ります。 今日は、1~4章を読みましょう。 【紀元前1300年頃】カナンに入る。 【紀元前1000年頃】国が確立する。 【紀元前922年】国が分裂する。 【紀元前586年】国が滅ぶ。 これらの長い長い歴史を今読んでいます。 まだ始まったばかりですから、頑張ってどんどん読んでいきましょう。 サムエル記上は、最初にたてられた王サウルが、なぜ失敗し、退けられて行ったかが書いてあります。 預言者サムエルは、母ハンナの祈りによって生まれ、その時から神のご用のために捧げられることが決まっていたという特別な人でした。 毋ハンナの祈りはとても素晴らしい祈りです。 「ハンナは祈って言った。『私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。』」 サムエル記第一 2:1,2

あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

4月13日(火) 今日は、ルツ記を読みましょう。 4章ですので、一気に読んでしまいましょう。 このルツ記は、士師が活躍していた時代のある女性たちの物語です。 共に夫を亡くした嫁と姑が、異邦人の土地から、ユダ(カナンの一部)に帰ります。 そこで、孝行な嫁であるルツは、義母ナオミについて、イスラエル民族の土地に帰り、孝行を尽くします。 やがてイスラエル人と再婚して、幸せに暮らします。 神を信じる者は、たとえ異邦人の嫁でも祝福を受けるというのがルツ記のメッセージです。 それだけではなく、やがて曽孫がダビデという有名な王となるのです。ダビデ王の先祖を明らかにしようとするのが、ルツ記のもう一つの目的です。 「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』」 ルツ記1:16,17

もしシロの娘たちが踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、めいめい自分の妻をシロの娘たちのうちから捕え、ベニヤミンの地に行きなさい。

4月12日(月) 今日で、士師記が終わります。 今日は、20-21章を読みましょう。 ギブアにおけるベニヤミン族の蛮行とその処罰が綴られています。 全体に悲惨な記述が多く、イスラエル部族の采配も冴えなくて、 まさに「混乱の時代」という印象が強くなりました。 こうした混乱からイスラエルを救うには、王が必要であるという話に 繋げようとしています。 当時の社会的な事情がよくわからないので、理解しにくいですが、シロという街は、当時の信仰的な中心地であったのかもしれません。 「それから、彼らはベニヤミン族に命じて言った。『行って、ぶどう畑で待ち伏せして、見ていなさい。もしシロの娘たちが踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、めいめい自分の妻をシロの娘たちのうちから捕え、ベニヤミンの地に行きなさい。』」 士師記21:20,21

そのころ、イスラエルには王がなかった。

4月11日(日) 今日は士師記17~19章まで読みましょう。 士師記17章から終わりの21章までは、士師の物語ではなく、宗教的な事柄に関するエピソードが出てきます。 ダン族の移動の経緯が書かれています。 当時の人々は、『それぞれが自分に正しいと思っていることを行なっていた』それは、当時のイスラエルには『王』がなかったからであると書かれています。 「そのころ、イスラエルには王がなかった。そのころ、ダン人の部族は、自分たちの住む相続地を求めていた。イスラエルの諸部族の中にあって、相続地はその時まで彼らに割り当てられていなかったからである。」 士師記 18:1

もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。

4月10日(土) 「マンボウ」はお魚でも、ラテンミュージックでも無いのです。 新型コロナウイルス対策の「まん延防止等重点措置」を「まん防」と略した言葉だそうです。12日から東京、京都、沖縄でも適応されるそうです。 「コロナ禍」の「禍」、「密」、「ディスタンス」という言葉も日々使っていない単語だったような気がします。 本当に早く晴れて欲しいですね。 主により頼み、癒しを信じ、祈り続けましょう。 今日は士師記13~16章まで読みましょう。 サムソンの物語は、おそらく士師の中で一番有名で、今もなお多くの美術、文学、音楽、映画などとして愛されているのではないでしょうか。 当時(紀元前11世紀初期)ユダ地方のイスラエル人は、ペリシテ人の強い影響下にありました。 サムソン以外の11名の士師達は、民を率いて外敵と戦いましたが、サムソンは常にサムソン個人で戦っています。 敵に対しては超人のような力を発揮しますが、女性に対しては幼児のように弱くなります。女性を愛しては裏切られる孤独な英雄です。 「こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。 それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。『私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。』」 士師記16:16,17