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私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。

6月11日(土) 今日から「文学書」に入ります。 ヨブ記の1~4章を読みましょう。 私たちがどのように生きることが最良の道であるかを聖書は教えます。もちろん神の示される道です。では、具体的にはどういう道でしょうか。お金のこと、仕事のこと、対人関係、苦しみに会った時の対処、これらに対していろいろな教訓があります。このようなことについて書いてある文書を「知恵文学」と一般に言われています。ヨブ記、箴言、伝道の書(コヘレトの言葉)がこれに当たります。詩の形式で語られます。イエス・キリストもこの形式をとって話をされたことがあります。(マタイ5章「さいわいなる者) ヨブ記の訳者はわかりません。作られた年代もよくわかりませんが、一般に紀元前4世紀頃の作ではないかと考えられています。 ヨブは信仰あつく、正しい人でした。 ある日、サタンの試みがありました。(不幸がサタンから来るということが主題ではありません) 不幸に不幸が、苦しみに苦しみが重なることが私たちの人生にあります。一体なぜ正しい信仰のある人が苦難に合うのでしょうか。これこそが、ヨブ記の主題です。 友達が慰めに来てくれました。ところが慰めるどころかヨブを攻めて議論します。この議論が非常に長く第31章まで続きます。文学的に味わいのあるものです。 友人はヨブが何か罪を犯したため不幸がやって来たと主張します。私たちもよくバチが当たっとか、因果応報などと言いますが、ヨブ記の神kらの結論は何でしょうか? 「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」 (ヨブ記2:20~22)

ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。

6月10日(金) 今日でエステル記も最後です。 7~10章を読みましょう。 捕囚後のユダヤ人は、律法に書かれていない一つの祭りを制定しました。 それを「プリムの祭り」と言います。 これがどのような経過で作られたかが書いてあるのが、このエステル記です。 紀元前485年から465年に、バビロン捕囚時に根絶やしにされる計画から、ユダヤ人を救った物語です。 「アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、そのことが、王の耳にはいると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。」 (エステル記9:24~26) さて、以上でアダムから始まりアブラハムに立てられた神の祝福の約束と、民の罪の歴史は終わります。 お疲れ様でした。 しかし、完全に終わってしまったわけではありません。 神は一度立てられたあの約束は必ず守られます。この頃から四百数十年後、イエス・キリストをこの世に与えてくださいました。 アブラハムに対して立てられた約束は、忘れたわけではありませんでした。 この四百数十年の間に、エルサレムを中心としたユダヤ人の地域社会は、ペルシア、ギリシア、ローマと支配国は変わっても、大国の属領として生き続け、さらにユダヤ人は、外地に、主に商人として散在し、各地に会堂(シナゴーグ)を作って発展しました。これが後のパウロの伝道の拠点となるのです。

あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。

6月6日(水) 今日は、エステル記4~6章を読みましょう。 モルデカイは宦官ハタクを介してユダヤ人絶滅計画の一部始終をエステルに伝え、民族の危機を救うべく王妃自ら王に嘆願するように説得します。 「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」 (エステル記4:14)

女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。

6月6日(月) 今日でネヘミヤ記が終わります。 ネヘミヤ記の10~13章を読みましょう。 祭司やレビ人を大切にする地域社会のコミュニティーをつくりました。 「こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。その日、備品や、奉納物、初物や十分の一を納める部屋を管理する人々が任命され、彼らは祭司とレビ人のために、律法で定められた分を、町々の農地からそこに集めた。これは、職務についている祭司とレビ人をユダ人が見て喜んだからである。彼らおよび歌うたいや門衛たちは、ダビデとその子ソロモンの命令のとおりに、彼らの神への任務と、きよめの任務を果たした。」 (ネヘミヤ記12:43~45)

エズラはすべての民の面前で、その書を開いた。

6月5日(日) 今日は、ネヘミヤ記の7~9章を読みましょう。 律法学者エズラが民に「モーセの律法」を教えます。そして、神の契約を思い起こさせ、契約の更新を計ります。 「エズラはすべての民の面前で、その書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。 エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな、手を上げながら、『アーメン、アーメン。』と答えてひざまずき、地にひれ伏して主を礼拝した。」 (ネヘミヤ記8:5,6) 「捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。 神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行なわれた。」 (ネヘミヤ記8:17,18)

こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。

6月4日(土) 今日は、ネヘミヤ記の4~6章を読みましょう。 ネヘミヤは、ペルシア王から監督に任命されてエルサレムに来て、自分の給与を受けずに一住民のようにして、熱心にただ信仰だけによって城壁修復をします。そしてわずか52日で完成しました。 「こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。」 (ネヘミヤ記7:15)

天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。

6月3日(金) 残り半年、元気を出して参りましょう! 今日で聖書通読は23周目を迎えます。 今週で、創世記以来長かった17巻の歴史書を終えます。 最初の大山を越えることになります。 今日は、ネヘミヤ記の1~3章を読みましょう。 ネヘミヤは、まだ困難極める復興作業をしているエルサレムを助けに行きたいと、ペルシアの王に頼みます。ネヘミヤは捕囚の民の一人でしたが、ペルシア王の民に出世していました。 「あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。」 (ネヘミヤ記2:12) 「私は彼らにことばを返して言った。『天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。』」 (ネヘミヤ記2:20)

私たちは罪過の中であなたの御前におります。

6月2日(木) 今日でエズラ記は終わりです。しかし話はネヘミヤ記へと続きます。 エズラ記8~10章を読みましょう。 神殿もできて後、50年以上の歳月が流れました。偉大な宗教指導者のエズラがかえってきました。紀元前458年のことです。そして、他民族との結婚を禁止して、宗教的純粋さを守ろうとします。 「イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」 (エズラ記9:15)

ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせた

6月1日(水) 2022年1月1日から始めた聖書通読も、もう半年になりました。 各地でバラが咲き誇り、紫陽花の綺麗な季節になろうとしていますね。 それにしても暑いです。 早くマスク生活が終わるように願います。 さて、今日は、エズラ記5~7章を読みましょう。 いろいろな困難がありましたが、ペルシア王の援助によって神殿ができます。 紀元前515年に完成したことになります。 のちにこの神殿を大掛かりに改修した神殿にイエス・キリストも行かれます。 ソロモンの建てた神殿を「第一神殿」と言い、 この神殿を「第二神殿」と言います。 「それで、ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、メディヤ州の城の中のアフメタで、一つの巻き物が発見された。その中に次のように書かれていた。『記録。クロス王の第一年に、クロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めよ。』」 (エズラ記6:1~3)

すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた。

5月31日(火) 今日から、エズラ記が始まります。 今日は、エズラ記1~4章を読みましょう。 バビロン捕囚(第二の出エジプトとも言われる)となっていたユダの人々は、捕囚先には神殿がありませんでしたから、外国の地でもっぱら「モーセの律法」の勉強をして、お祈りをしていたと思われます。そのための集会所として「会堂(シナゴーグ)」が造られたと思われます。ペルシア王キュロス(クロス)の人道的決定で、紀元前538年にエルサレムを中心とした土地に帰った人々は、捕囚時代に身につけた「モーセの律法」の勉強を継続し、さらに神殿を再建しようとしました。私たちが「ユダヤ教」と通常呼んでいるのは、この頃からのもので、「律法」と「神殿」を中心としたものです。そのはじめの成り立ちが、エズラ記、ネヘミヤ記に書いてあります。 新約聖書の背景を知る上でも、大切なところです。 エズラ記は歴代誌の続きです。 歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記はのちの一人の人によって書かれた全くの続きものです。 ですので、エズラ記1:2~4は、歴代誌下36:23を繰り返して話を続けます。 神は外国の王までも用いて、究極的な救いの歴史の出来事(イエス・キリストの十字架)へと導かれます。 エルサレムを中心とした土地に5万人の人々が帰って行きました。 「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。 こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちは、自分たちのもとの町々に住みつき、すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた。」 (エズラ記2:68,70)