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テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。

9月4日(水) 今日から三日間、アモス書を読みましょう。 今日は詩編68篇と、アモス書1~3章を読みましょう。 はじめに預言者は、人々の前で語りました。自分でそれを書き残したのかもしれません。 死んでから弟子たちがまとめて書いたのかもしれません。 これらのことは、今となってはよくわかりません。アモス書もそうです。 しかし、どちらにしても、確かにアモスの語ったことが、ほとんど正確に残されていると考えられます。 北王国イスラエルの王ヨシュアの子ヤロブアム王の時代ですから、 あのホセアと共に活動したことになり、紀元前750年頃のことです。 「テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。 これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、 地震の二年前に、イスラエルについて彼が見たものである。」 (アモス書1:1)

わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。

9月3日(火) 今日は詩編67篇と、ヨエル書3~4章を読みましょう。 「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、 シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。 その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」 (ヨエル書 新改訳2:28~32 / 新共同訳3:1-5) この聖句を読むと、だんだん新約聖書に近づいてくることを感じます。 ヨエルは具体的にどのような霊が、どのように下るかを知らなかったと思います。 しかし「すべての人に下る」という預言は、イスラエルの民だけではなく、 全人類の救いを語っています。アブラハムに立てられた、あの約束が近づいています。 もちろんこの預言は、ペンテコステ(使徒2:1-13)において成就しました。

主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。

9月2日(月) 今日と明日は、ヨエル書を読みましょう。 今日は詩編66篇と、ヨエル書1~2章を読みましょう。 預言書はバビロン捕囚の前か後かで区別するのが、理解のために便利です。 ヨエル書は捕囚から帰ってきた後のことです。苦しい中で神殿を建て、 エルサレムの街を守る壁を建て、なお苦しい生活をしているときに、 イナゴの大量発生という災害に見舞われました。 いなごの災害から、ヨエルはさらに大きな神の裁きを語りました。 神は悔い改める者を必ず憐れまれます。 「『しかし、今、――主の御告げ。――心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。』 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。」 (ヨエル書2:12~13)

彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。

9月1日(日) 今日は詩編65篇と、ホセア書12~14章を読みましょう。 今日でホセア書は終わりです。 ホセアの預言は、北イスラエルの回復と祝福で締めくくられています。 現実は北イスラエルは滅亡の直前にいるのですが、 「北イスラエルの罪は溜め込まれたままなのだから、悔い改めよ!」と勧告します。 「神は背く彼らを許す愛に満ちたお方であるので、 神に立ち返るように!」と希望を込め切に訴えています。 「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。 わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。 わたしはイスラエルには露のようになる。 彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。 その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、 そのかおりはレバノンのようになる。彼らは帰って来て、 その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、 その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。」 (ホセア書14:4-7)

今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。

8月31日(土) 大雨に注意ですね。 今日から聖書通読は第36週に入ります。 聖書難易度マップによると、最も険しい山は越えた模様です。 今週後半からは意外と楽に進めるようになります。 今日は詩編64篇と、ホセア書9~11章を読みましょう。 歴史的転換に直面した、北イスラエルは混乱の中、 真理に基づき民の批判を行う預言者ホセアは激しい迫害と激しい敵意にあったと思われます。 しかし、信仰を持ち続けた預言者ホセアは、 なおもイスラエルに対して警告と、理想を言い続けます。 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。 今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」 (ホセア書10:12)

角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。

8月30日(金) 超のろのろ台風10号は、どこに進むのでしょう! 今日は詩編63篇と、ホセア書7~8章を読みましょう。 イスラエルは罪を重ねた結果、自己破綻をきたすと言います。 それは裏返さずに焼かれた菓子のようと例えます。 また、イスラエルはヤハウェとの契約を破ったがゆえに、 審判として外敵の攻撃を受けると警告をします。 「角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、 わたしのおしえにそむいたからだ。彼らは、わたしに向かって、 『私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている。』 と叫ぶが、イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。」 (ホセア書8:1-3)

私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。

8月29日(木) のろのろ台風10号は、九州に接近・上陸後、本州を縦断するおそれがあります。 どうか被害が最小でありますように祈ります。 今日は詩編62篇と、ホセア書4~6章を読みましょう。 ホセア書の4〜14章まで、「神の愛」、「イスラエルのそむき」、 「神のさばき」、しかし「最後に神のあわれみと祝福」が繰り返して語られます。 預言書は小説のように筋道の通った一つの物語ではありません。 メッセージが色々な手法で繰り返し語られるだけです。そのつもりで読んでください。 「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。 主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、 私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」 (ホセア書6:3)

その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

8月28日(水) 今日からホセア書を読みましょう。 今日は詩編61篇と、ホセア書1~3章を読みましょう。 私たちは預言者というと、何か特別な人のように感じます。 確かに特別な人ですが、今の私たちの社会で言えば、官吏とか学校の先生などと並んで、 社会の中の一員を成していた一つのグループでした。 ただ、自分が預言者だという自覚を持って発言し、行動しました。 もし、本当に神の御旨を語っていなかったら、当然取り残されていたと思います。 結局、その語る内容によって判断され、評価されたと思われます。 ホセアは『愛』を語った預言者でした。そして本当の預言者として聖書の中に生き残りました。 ホセアは、紀元前750年頃(ヨシュアの子ヤブサロムですから)に、北イスラエルで預言活動を始めました。 ホセアは不倫な女と結婚します。そして、不倫の子をもうけます。 子の名は「イズレエル(散らされる)」、「ロ・ルハマ(あわれまない)」、「ロ・アミ=ロ・アンミ(私の民でない)」でした。 私生活を通してイスラエルの民は他の神々と結婚(信仰)していることを言おうとしています。 やがて、ホセアは不倫の妻と離婚します。神はイスラエルをさばかれます。 そして、ホセアは再婚(復縁)します。神はそれでもイスラエルを忘れないで、 哀れみ、愛してくださる。また、イスラエルも神に帰ってゆきます。 「主は私に仰せられた。『再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。 ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。』 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。私は彼女に言った。 『これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。 私も、あなたにそうしよう。』それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、 石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。その後、イスラエル人は帰って来て、 彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。」 (ホセア書3:1-5)

あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。

8月27日(火) 今日でダニエル書は終わりです。 今日は詩編60篇と、ダニエル書9~12章を読みましょう。 一週間は七日ですが、これを七年と考えると、7×7=49で、49年となります。 この49年は、昔のバビロン捕囚の年数を表すと考えられます。 62週は62×7=434、この434年はその後の比較的安定した年月を表すと考えられます。 最後の一週は、七年。今のギリシアのアンティオコス・エピフィネス王による迫害の期間を表すと考えられます。 すなわち紀元前170年から164年の七年間です。 このように不思議な数字の掛け合わせで、迫害の期間は決して永遠ではなく、 限られており、迫害者は必ず滅ぼされることを言っています。 ダニエルは不思議な預言書です。 「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。 それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、 幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、 との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。 また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。 やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。 その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、 荒廃が定められている。彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、 半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。 荒らす忌むべき者が翼に現われる。 ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」 (ダニエル書9:24-27)

私(ダニエル)が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。

8月26日(月) 今日は詩編59篇と、ダニエル書7~8章を読みましょう。 ダニエルは四頭の獣の幻を見ます。 奇怪な幻が書かれています。 第一の獣は、新バビロニア帝国、第二の幻はメディア帝国、 第三の幻はペルシア帝国、第四の幻はギリシアを表していると考えられます。 これらの国は、ユダヤの人々を苦しめた国々です。 特に第四の幻の獣が、現在自分を苦しめているギリシアの国を表していると考えられます。 ですから、ダニエル書は、紀元前170から164年頃のこととなり、 旧約聖書の中ではなんと一番新しいものということになります。 「ダニエルは言った。『私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、』 四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、 その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。その獣は横ざまに寝ていて、 その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、 『起き上がって、多くの肉を食らえ。』との声がかかった。 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。 その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。 そしてそれに主権が与えられた。その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。 それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、 食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。 これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。」 (ダニエル書7:2-7)