ブログ – ページ 5 – 聖書検定協会公式サイト

ブログ

子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。

3月3日(水) 今日から聖書通読の第10週に入ります。すごいですね。 今日は、出エジプト記の32章から35章を読みましょう。 モーセに与えられた律法を、民はさっそく破りました。これ以降も、律法を守る努力をする人と、破る人々とが出てきます。アダムの罪は続いています。 「宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。」 出エジプト記32:19 「主はモーセに仰せられた。「前のと同じような二枚の石の板を、切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の板の上に書きしるそう。」 出エジプト記34:1

神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。

3月2日(火) 今日は、出エジプト記の29章から31章を読みましょう。 モーセがシナイ山に四十日四十夜いた時、神から幕屋建設の指示などの律法が与えられました。 少し余談になりますが、邦名「十戒」原名”The Ten Commandments”という、出エジプト記を原作とした昔の映画(1950年代)があります。 監督が聖書に忠実に描くことに強く思い入れたという、220分もの長編作品です。 一度見られてもいいかもしれませんね。 「こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。」出エジプト記31:18

わたしはそこであなたと会見し

3月1日(月) 3月になりました。 今年は桜の開花も早いとか。 遠くからそっと観ることにしましょうか。 今日は、出エジプト記の25章から28章を読みましょう。 なんと美しい幕屋でしょう。 ひさびさ(「エデンの園の東」以来)にケルビムも登場しますね。 ちなみにケルビムは複数形です。 単体ならケルブです。2体1対だったのですね。 幕屋の様子は、第3級聖書検定公式テキストの第6項に詳しくあります。 合わせて見てください。 「槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。 一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。 その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。」 出エジプト記25:18~22

目には目。歯には歯。

2月28日(日) 今日で2月も終わりですね。 今日は、出エジプト記の21章から24章を読みましょう。 出て来るわ、出て来るわ!律法の嵐です。 三千年以上も昔の古い古い律法ですから、面白いはずがありません。 もし興味深く読むとしたら、「律法」を「教え」に置き換え、 「一体、神は私にどんな教えをくださるのだろう」 と身近に感じてみるといいかもしれません。 「目には目。歯には歯。手には手。足には足。 やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。」 出エジプト記21:24,25 これは「同態復讐法」と言って、人の奥底にある無制限の報復心に対して、 同量の報復を持って満足すべきだと規定したものです。 しかし、イエス・キリストは全く新しい教えを示されました。 「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」 マタイ5:38,39

わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

2月27日(土) 今日は、出エジプト記の17章から20章を読みましょう。 エジプトを出て、約3ヶ月ほどして、シナイ山という所まで来ました。 ここで、モーセは律法を授かりました。(十戒ほか) ここから、律法物語が始まります。 「主がシナイ山の頂に降りて来られ、主がモーセを山の頂に呼び寄せられたので、モーセは登って行った。」出エジプト記19:20 「それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。 『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。』」 出エジプト記20:1~

主があなたがたのために戦われる。

2月26日(金) 今日は、出エジプト記の13章から16章を読みましょう。 今まで奴隷の身であったにもかかわらず、イスラエルの民は、荒野で苦しいことに出会うたびに、指導者モーセを困らせます。 その度に、神が奇跡的に助けてくれました。 「それでモーセは民に言った。『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。 あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。』」 出エジプト記14:13,14

わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。

2月25日(木) 今日は、出エジプト記の9章から12章を読みましょう。 第10番目の奇跡の時にもたれた食事は、脱出を前にした非常食のようなものでした。しかし、この食事が、のちに出エジプトを記念した「過越祭」の中心行事となり、今も全世界のユダヤ教徒によって守られています。 こうして、不思議な10の奇蹟を通して、モーセとイスラエルの民は、エジプトの王パロの許可を得て、戦うことなく(無血革命)、エジプトからの脱出に成功します。 「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。」 出エジプト記12:13

わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者である

2 月24日 (水) 今日は、出エジプト記の5章から8章を読みましょう。 モーセ五書には、三つの主題があります。 この骨組みを覚えて読み進めましょう。 ①天地創造物語 ②アブラハムの子孫がなぜエジプトに行き、どのようにアブラハムの土地に帰ってきたか。③守るべきものとして与えられた律法 今日は、モーセと言う人が神に召され、不思議な10の奇跡をおこないます。 「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。」 出エジプト記6:7

わたしは、『わたしはある』という者である。

2月23日(火) 今日から、出エジプト記に入ります。1章から4章を読みましょう。 モーセ五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)は一冊の本のつもりで一気に読みましょう。 これから、エジプトから故郷のカナンに帰る一民族の旅行記と、その間に与えられた律法がいっしょに書かれています。 今日は、奴隷となってしまったイスラエルの民に、モーセと言う人が、神に召されるところです。 「神は仰せられた。『わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。』 モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました』と言えば、彼らは、『その名は何ですか』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」 出エジプト記3:12~14

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。

1月22日(月) 今日は創世記48章から50章を読みましょう。 今日で創世記が終わります。 ヤコブは死にましたが、墓は、祖父母、両親の墓のあるカナンを望みました。 49:29~33 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。 50:25 「ヨセフは彼らに言った。『恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。』」 創世記50:19,20 創世記が終わるに当たって、もう一度復習しておきましょう。 まずはじめに神がいました。ここから全てが始まりました。神は唯一の神です。 ↓ 人は罪を持ち、神に逆らいます。 ↓ しかし、神は人を見捨てることをせず、祝福しようと計画しました。 ↓ それを一人の信仰ある男アブラハムに語り、約束しました。 ↓ しかし、アブラハムの生きているうちには約束が果たせませんでした。 ↓ それから、長い、長い年月をかけ、イエス・キリストにおいて果たされました。 これから始まる長い救いの歴史の序文に当たるのが創世記です。