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ユダの家が捕囚となって行ったとき、あなたは、あはは、と言ってあざけった。

8月19日(金) 今日から、エゼキエル書の後半に入ります。 今日は詩編50篇と、エゼキエル書25~28章を読みましょう。 イスラエル民族(アブラハムの子孫)を、私たち人類の代表と思って、旧約聖書を読むことが大切です。この民族は二つの大きな歴史的な出来事を経験します。一つは「出エジプト」でした。あとの一つは自分たちの国の滅亡でした。特に、その時バビロン捕囚として連れて行かれました。しかし、不思議なことに、約50年の捕囚の後、バビロンも滅び、捕囚の人々は解放されて、昔住んでいた土地に帰ることができました。紀元前538年です。これら一連の出来事を「バビロン捕囚」とか「第二のエジプト」などと呼んでいます。 それで預言者なども、捕囚前の預言者とか、捕囚後の預言者、などと言って区別しています。エゼキエルは、まさに捕囚中の預言者でした。ですから、暗くて厳しい預言内容になっています。しかし、今日から読む後半は、少しずつ希望も出てきます。もちろん、たとえ話や幻などを通しての独特の表現は終わりまで続きます。 エゼキエルは、南王国ユダを取り巻く諸国民についての預言をします。 南王国ユダの滅亡に手を貸したり、あざ笑った近隣の諸国民に、神の裁きが下ると預言します。アンモン人、モアブ人、エドム人、ペリシテ人、フェニキア人、エジプト人などに対してです。25章から32章まで続きますので、少し長く感じるかもしれません。 [「人の子よ。顔をアモン人に向け、彼らに預言せよ。あなたはアモン人に言え。神である主のことばを聞け。神である主はこう仰せられる。わたしの聖所が汚されたとき、イスラエルの地が荒れ果てたとき、ユダの家が捕囚となって行ったとき、あなたは、あはは、と言ってあざけった。それゆえ、わたしは、あなたを東の人々に渡して、彼らの所有とする。彼らはあなたのうちに宿営を張り、あなたのうちに住まいを作り、あなたの産物を食べ、あなたの乳を飲むようになる。わたしがラバを、らくだの牧場とし、アモン人の地を羊のおりとするとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。] (エゼキエル書 25:2~5)

その日、あなたはのがれて来た者に口を開いて言え。

8月18日(木) 熱中症にも気をつけてくださいね。 今日は詩編49篇と、エゼキエル書21~24章を読みましょう。 不信仰、不正、偶像礼拝が、あまりに酷すぎるために、南王国ユダとその首都エルサレムは滅びるのです。このエルサレム滅亡の預言は24章まで続きます。 エゼキエルは結婚していました、妻が死にました。民族全体も、彼個人も、悲劇の真っただ中にありました。だからこそ不思議な幻を見たのかもしれませんね。 「主なる神はこう言われる」 この表現が、エゼキエル書にはなんと270個も出てきます。神は、一人しかおられない。それは「主なる神」です。他の旧約聖書の教えと同じように、この「主なる神」への信仰が、エゼキエルの信仰です。神はただ一人の全能者ですから、さばくも救うも思いのままです。さばきをなさる神をおそれよ。これがエゼキエル書の前半のメッセージです。 [人の子よ。わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛するもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを取り去る日、その日、のがれた者が、この知らせを告げにあなたのもとにやって来る。その日、あなたはのがれて来た者に口を開いて言え。もう黙っていてはならない。あなたが彼らのしるしとなるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。』」] (エゼキエル書 24:25~27)

父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。

8月17日(水) 今日は詩編48篇と、エゼキエル書17~20章を読みましょう。 いったい、先祖が悪かったためにイスラエル人(ユダヤ人)は、こんなに苦しむのでしょうか? 人間は過去の奴隷ではありません。いまの不幸をぶつぶつ言わずに、まず、自分自身を悔い改め、努力しなさい、 と預言しています。エゼキエルは「個人」を大切にした預言者です。 『次のような主のことばが私にあった。「あなたがたは、イスラエルの地について、 『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。』 (エゼキエル書 18:1~2)

人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。

8月16日(火) 今日は詩編47篇と、エゼキエル書13~16章を読みましょう。 エゼキエルはよくたとえ話で語りました。 幻にしろ、変わったパフォーマンスにしろ、 例え話にしろ、実に変わった人です。 「森の中のぶどうの木」も変なたとえです。 ぶどうは甲府盆地のような日当たりの良い平地の畑で栽培します。 森の中のぶどうの木なんて、意味のないことです。 しかもその森が山火事にあいます。 エルサレムはそれほど荒れ廃れると預言しました。 そして、その通りになってゆきます。 「人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、 その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。」 (エゼキエル書 15:2)

あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。

8月15日(月) 台風一過と言えないような曇り空。 でも、もう秋の虫が鳴き始めましたよ。 今日は詩編46篇と、エゼキエル書10~12章を読みましょう。 エゼキエルは不思議な幻を見て語っただけではなく、 変わった振る舞いをしながら語りました。 ブルブル震えながらパンを食べ、祖国に残っている人々が、 やがて同じようになるといいました。 『ついで、私に次のような主のことばがあった。 『人の子よ。震えながらあなたのパンを食べ、 おののきながら、こわごわあなたの水を飲め。 この地の人々に言え。 「神である主は、イスラエルの地のエルサレムの住民について、 こう仰せられる。彼らは自分たちのパンをこわごわ食べ、 自分たちの水をおびえながら飲むようになる。 その地が、そこに住むすべての者の暴虐のために、 やせ衰えるからである。 人の住んでいた町々が廃墟となり、 その地が荒れ果てるそのとき、あなたがたは、 わたしが主であることを知ろう。」』 (エゼキエル書 12:17~20)

あなたの神は油を注がれた 喜びの油を

8月14日(日) さて、今日は詩編45篇と、エゼキエル書7~9章を読みましょう。 外国の地で捕囚となっている人は、懐かしい祖国を思います。国に残った人々はどうしているでしょうか。 残念ながら絶望です。悔い改めるには遅すぎました。不正と偶像礼拝とが満ちています。 アダムに始まった罪は、来るところまで来てしまいました。 預言通り、やがて紀元前586年、エルサレムは完全に陥落し、神殿は跡形もなく壊されました。 『神である主はこう仰せられる。「わざわいが、ただわざわいが来る。 終わりが来る。その終わりが来る。あなたを起こしに、今、やって来る。』 (エゼキエル書 7:5~6) 「神に従うことを愛し、逆らうことを憎むあなたに 神、あなたの神は油を注がれた 喜びの油を、あなたに結ばれた人々の前で。 あなたの衣はすべて ミルラ、アロエ、シナモンの香りを放ち 象牙の宮殿に響く弦の調べはあなたを祝う。 諸国の王女、あなたがめでる女たちの中から オフィルの金で身を飾った王妃が あなたの右に立てられる。」 詩編45:8-10

一枚の粘土板を取り、それをあなたの前に置き、その上にエルサレムの町を彫りつけよ。

8月13日(土) 台風8号(メアリー)は、13日土曜には、東海・関東甲信に上陸・直撃するらしいです。 どうか全てが神様の守りの中にありますように祈ります。 さて、今日は詩編44篇と、エゼキエル書4~6章を読みましょう。 南王国ユダ(首都エルサレム)は、紀元前586年に完全に滅ぼされ、多くの人が捕囚となりました。 しかし、実はそれより11年前、紀元前598年に侵略されて捕囚となってバビロンに連れて行かれた人々がいました。 そのうちの一人がエゼキエルでした。彼はそのような可哀想な状況の下で召命を受けました。この異常な状況下で、彼は預言を続けたことを覚えて、読み進んでください。 最初に出てきたのは神の有様だったのですが(1:1~6)、私たちは彼の言っていることがよくわからず、想像もできないと思います。できないのが、エゼキエル書の良いところだと思ってください。 幼子のように「ねえ、エゼキエルおじさん。今度はどんな幻を見たの?話してちょうだい。」というような気持ちになって読み進んでください。 [人の子よ。一枚の粘土板を取り、それをあなたの前に置き、その上にエルサレムの町を彫りつけよ。それから、それを包囲し、それに向かって塁を築き、塹壕を掘り、陣営を設け、その回りに城壁くずしを配置せよ。また、一枚の鉄の平なべを取り、それをあなたと町との間に鉄の壁として立て、あなたの顔をしっかりとこの町に向けよ。この町を包囲し、これを攻め囲め。これがイスラエルの家のしるしだ。] (エゼキエル書 4:1~3)

私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。

8月12日(金) 今日から聖書通読も、第33週に入ります。 もう少しで大山を超えます。 今日からエゼキエル書を読みましょう。 今日は詩編43篇と、エゼキエル書1~3章を読みましょう。 落ち込んでいる時に、「それはお前が悪いからだ」と言われたら、さらに落ち込みますよね。エゼキエル書はそんな内容です。「バビロン捕囚になったのは、お前たちが悪いからだ」というような内容です。しかも、少し気味の悪い幻や不思議な例え話が出てきます。 どうか落ち込まないで読み始めてください。終わりの方に向かって、だんだん明るくなり、最後に不思議な魅力にひかれると思います。 [第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。] (エゼキエル書 1:1)

主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください。

8月11日(木) 今日は詩編42篇と、哀歌4~5章を読みましょう。 4章は、かつてのエルサレムの美しさと、対照的に荒涼となったエルサレムを対比して歌っています。 5章は、民の惨めな状態を切に神に訴え、民が1日も早く罪を悔い改め、神に立ち返ることができるようにと祈ります。これこそが哀歌の本質であります。 [しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御座は代々に続きます。なぜ、いつまでも、私たちを忘れておられるのですか。私たちを長い間、捨てられるのですか。主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください。それとも、あなたはほんとうに、私たちを退けられるのですか。きわみまで私たちを怒られるのですか。] (哀歌5:19~22)

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。

8月10日(水) 今日と明日は、哀歌を読みます。 今日は詩編41篇と、哀歌1~3章を読みましょう。 南王国ユダは、新バビロニア帝国のネブカドネザル王(ネブカドレツァル)によって攻撃され、紀元前586年に、エルサレムは破壊され、神殿も破壊されました。そして、多くのイスラエルの指導的な人々は、捕囚として連れて行かれました。荒涼と化したエルサレムに佇み、涙を流し、嘆き悲しむ歌をよみました。それが哀歌です。 全編、これ嘆きの歌です。しかも、日本語には翻訳しようもありませんが、各章とも(5章は除き)、ヘブライ語のアルファベット順の「いろは歌」になっているという、凝った内容になっています。 [私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。] (哀歌3:22~24)