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私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。

9月13日(月) 非常に強い台風14号から守られますように! 今日は、詩編76篇と、ハバクク書の全部、1~3章を読みましょう。 【 1.なぜ悪人が栄え続けるか 1:1~4 】 ハバクク書の時期と場所は特定できませんが、多分、北王国を滅ぼし、自分たち(南王 国)を苦しめているアッシリア帝国を、ここでは指していると思われます。 【 2.バビロニアがアッシリアを倒す 1:5~7 】 カルデア人とは、バビロニア帝国を指します。しかし、アッシリアが滅んでも、バビロ ニアに変わるだけで、ユダヤ人にとって問題の根本解決にはなりません。 【 3.なぜ罪人が栄え続けるか 2:4 】 結局答えはわからないけど、高慢にならず、信仰によって生きるものは勝利を得、神に 祝福されます。 【 4.礼拝の時に歌われたものか 3:19 】 預言者の嘆きと主の答えが交互に出てきたり、文章も詩になっていますからエルサレム の神殿で司会者と会衆と聖歌隊などが交互に歌ったのかもしれません。 「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。 指揮者のために。弦楽器に合わせて。」 (ハバクク書 3:18~19)

アッシリヤの王よ。あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。

9月12日(日) 今日は、詩編75篇と、ナホム書の全部、1~3章を読みましょう。 北王国イスラエルを滅ぼし、自分たち、南王国を散々苦しめたアッシリア帝国が、今まさに滅ぼされようとしている、という預言です。実際、紀元前612年に、アッシリア帝国は新バビロニア帝国に取って代わられました。ナホムはその頃の人です。 [アッシリヤの王よ。あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。あなたの民は山々の上に散らされ、だれも集める者はいない。あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。] (ナホム書3:18~19)

あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。

9月11日(土) 今日は、詩編74篇と、ミカ書4~7章を読みましょう。 指導者の罪とエルサレムを中心としたメシア的、 特にベツレヘムにメシアが出生するという預言をします。 このようにミカの預言は不信仰や罪に対して厳しいのですが、 同時に神の憐れみによって回復が語られるところに特徴があります。 「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。 あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、 そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、 すべての罪を海の深みに投げ入れてください。 昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、 いつくしみをアブラハムに与えてください。」 (ミカ書6:18~20)

彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる。

9月10日(金) 今日は、詩編73篇と、ミカ書1~3章を読みましょう。 ミカ書は美しい希望に満ちた預言書です。 ミカは南王国のユダの預言者で「ヨタム王、アハズ王、 ヒゼキヤ王の時代」ですから紀元前8世紀の最後の頃です。 北王国の首都サマリヤと南王国の首都エルサレムの偶像崇拝の罪への裁きが語られ、 同時に回復も語られます。 「打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。 彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる。」 (ミカ書2:13)

主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

9月9日(木) 今日は、詩編72篇と、ヨナ書1~4章を、一気に全部読みましょう。 はじめに、巨大な魚に飲み込まれたヨナという預言者の一種の物語のようになった書です。 魚に飲み込まれた人が、果たして三日間も生きておられるのだろうかというような所など、 この物語そのものに興味を惹かれるかもしれません。これはそのような事実物語ではなく、 何かを語ろうとする預言書なのです。 バビロン捕囚中の苦しみの中で祈ると、神は祈りを聞いて助けてくださる。神は愛と哀れみに満ちた神です。 かつて自分たちを苦しめたアッシリア帝国の首都ニネベの人々が、神の裁きに会わず、 悔い改めたので救われました。(神はどのような人でも悔い改めるならば救います。 ヨナは、憎む敵が祝されたのを見て、不平を言いました。この物語が書かれた時代、 ユダヤ人は外国人と結婚を禁じたりして、外国人排除をしていました。それは間違っています。 これがヨナの預言です。神は全ての悔い改める人を救われます。 ヨナのメッセージは、イエス・キリストに近いです。

う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。

9月8日(水) さて、聖書通読は37週目を迎えました。 なんと!再来週からは新約聖書へと向かっていきます。 これまでの険しい山をいくつも越えて、今は以外と早く読み進めると思います。 今日は詩編71篇と、オバデヤ書1章を読みましょう。 オバデヤの名前は「主に仕える者」と言う意味です。 オバデヤ書は旧約で一番短い書です。 これは捕囚中の預言書です。 私たちは預言書と言うと、すぐ将来のことを〈予言〉する内容と思い込むかもしれません。そうではなく、 (1)過去のことを語る。 (2)未来のことの予言。 (3)現在のこと。 (4)神への祈り。 こういう四つのことが語られています。 オバデヤ書も過去のことと、未来のことが語られています。 内容はただ一点、エドムに関する非難とさばき。(エドムはヤコブの兄エサウの子孫です) 【(1)過去のことを語る】11節 バビロニア軍が南王国ユダを滅ぼした時にそれに手を貸した。 【(2)未来のことの予言】15節 エドムの人々は、必ず「主の日」(いつかわからないが主がさばかれる日)にさばかれる。 [救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。] (オバデヤ書1:21)

わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。

9月7日(火) 今日は詩編70篇と、アモス書7~9章を読みましょう。 アモスは羊飼いでした。 人間の社会は繁栄するとなぜか貧富の差が開き、貧しいものが更に不利になり、 また、不正が横行するようです。アモスは黙っておられませんでした。 彼は「不正」を嫌う人でした。正義は神への思いから出てきます。 不正な人々を必ず神は裁かれます。 しかし、全てをさばき尽くすのではなく、正しい一部の人々は残されます。 神は不正を裁かれますが、それは、悔い改めて、神に立ち返る人々を祝福するためです。 『「見よ。その日が来る。――主の御告げ。 ――その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。 山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。 わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。 彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、 果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。 彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。」 とあなたの神、主は、仰せられる。』 (アモス書9:13~15)

天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。

9月6(月) 今日は詩編69篇と、アモス書4~6章を読みましょう。 南北分裂後、北王国は一時非常に栄えました。首都サマリヤも、 そこにあるバジャン地方も栄え、婦人たちも酒に酔い堕落しました。 「聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。 彼女らは弱い者たちをしいたげ、貧しい者たちを迫害し、自分の主人たちに、「何か持って来て、飲ませよ。」と言う。」 (アモス書4:1) 「天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。 まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。 こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。 主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。」 (詩篇69:34~36)  

テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。

9月5(日) パラリンピックも今日で閉幕。 たくさんの感動をありがとうございました。 選手の皆さんはみんな感謝の言葉を口にしていましたね。 築地市場跡の広大な敷地には、オリパラの選手や関係者を運ぶおびただしいバスが 日本全国から集結していました。 そこは、今度は酸素ステイションになるそうです。 もっと早くにそうしてくれていたらとも思います。 さて、 今日から三日間、アモス書を読みましょう。 今日は詩編68篇と、アモス書1~3章を読みましょう。 はじめに預言者は、人々の前で語りました。自分でそれを書き残したのかもしれません。 死んでから弟子たちがまとめて書いたのかもしれません。 これらのことは、今となってはよくわかりません。アモス書もそうです。 しかし、どちらにしても、確かにアモスの語ったことが、ほとんど正確に残されていると考えられます。 北王国イスラエルの王ヨシュアの子ヤロブアム王の時代ですから、 あのホセアと共に活動したことになり、紀元前750年頃のことです。 「テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。 これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、 地震の二年前に、イスラエルについて彼が見たものである。」 (アモス書1:1)  

わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。

9月4日(土) 今日は詩編67篇と、ヨエル書3~4章を読みましょう。 「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、 シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。 その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」 (ヨエル書   新改訳2:28~32 / 新共同訳3:1~5) この聖句を読むと、だんだん新約聖書に近づいてくることを感じます。 ヨエルは具体的にどのような霊が、どのように下るかを知らなかったと思います。 しかし「すべての人に下る」という預言は、イスラエルの民だけではなく、 全人類の救いを語っています。アブラハムに立てられた、あの約束が近づいています。 もちろんこの預言は、ペンテコステ(使徒2:1~13)において成就しました。