ブログ – ページ 67 – 聖書検定協会公式サイト

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すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた。

5月31日(火) 今日から、エズラ記が始まります。 今日は、エズラ記1~4章を読みましょう。 バビロン捕囚(第二の出エジプトとも言われる)となっていたユダの人々は、捕囚先には神殿がありませんでしたから、外国の地でもっぱら「モーセの律法」の勉強をして、お祈りをしていたと思われます。そのための集会所として「会堂(シナゴーグ)」が造られたと思われます。ペルシア王キュロス(クロス)の人道的決定で、紀元前538年にエルサレムを中心とした土地に帰った人々は、捕囚時代に身につけた「モーセの律法」の勉強を継続し、さらに神殿を再建しようとしました。私たちが「ユダヤ教」と通常呼んでいるのは、この頃からのもので、「律法」と「神殿」を中心としたものです。そのはじめの成り立ちが、エズラ記、ネヘミヤ記に書いてあります。 新約聖書の背景を知る上でも、大切なところです。 エズラ記は歴代誌の続きです。 歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記はのちの一人の人によって書かれた全くの続きものです。 ですので、エズラ記1:2~4は、歴代誌下36:23を繰り返して話を続けます。 神は外国の王までも用いて、究極的な救いの歴史の出来事(イエス・キリストの十字架)へと導かれます。 エルサレムを中心とした土地に5万人の人々が帰って行きました。 「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。 こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちは、自分たちのもとの町々に住みつき、すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた。」 (エズラ記2:68,70)

エレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。

5月30日(金) 今日で歴代誌下が終わります。 お疲れ様でした。 今日は歴代誌下の34~36章を読みましょう。 ユダの王ヨシヤは、神殿修理の過程で、モーセを通して示された「主の律法の書」を発見しました。このモーセの律法に極めて忠実に応答したヨシヤ王の行為の結果、イスラエルにいるすべてのものが主に仕え、主に従う道から外れることがなくなりました。 しかし、その後に続くヨアハズ(エホアハズ)王、ヨヤキム(エホヤキム)王は主の前に悪を行い、ヨヤキン(エホヤキン)王は第一回バビロン捕囚となります。 ゼデキヤ王も罪に罪を重ねました。 そうして南王国ユダの人々は約50年間バビロンに抑留されました。その後、新バビロニヤ帝国はペルシア帝国に取って代わられ、ペルシア王キュロスは恩赦のようにして、ユダ(後の呼び名、ユダヤ)の人々を自分たちの土地に帰らせ、その後、彼らは属領の民として生きてゆきます。このままストーリーは次のエズラ記に続きます。 「エレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。そして、男女の歌うたいはみな、今日に至るまで、彼らの哀歌の中でヨシヤのことを語り、これをイスラエルのために慣例としている。これらは哀歌にまさしくしるされている。ヨシヤのその他の業績、すなわち、主の律法にしるされているところに従った彼の忠実な行為、彼の業績は、最初から最後まで、イスラエルとユダの王たちの書にまさしくしるされている。」 (歴代誌下35:25~27)

私たちの神、主、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。

5月29日(日) 今日は歴代誌下の30~33章を読みましょう。 ●ユダの王ヒゼキヤ→ヒゼキヤは全イスラエルで過越祭を祝うなど、父祖ダビデが行なった通りに、主の目にかなうことを行ないました。 さらに、宗教改革を行いました。 また、「ヒゼキヤのトンネル」という有名な仕事を成し遂げました。(歴代誌下32:30) ●ユダの王マナセ→ヒゼキヤの息子マナセは、信仰的な父とは打って変わり、数々の背信行為を行いました。 ●ユダの王アモン→マナセの子アモンも、主の前に悪を行いました。 「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって奮い立った。」 (歴代誌下32:7,8)

ヒゼキヤは言った。今、あなたがたは主に身をささげました。

5月28日(土)   今日は歴代誌下の26~29章を読みましょう。 ●ユダの王ウジヤ(アザルヤ)→五十二年間という長い治世の間に、信仰が年と共になくなってしまいました。 ●ユダの王ヨタム→町や城壁の工事をしました。 ●ユダの王アハズ→背信の道を突き進んだ王でした。 ●ユダの王ヒゼキヤ→ヒゼキヤは神殿の性別を開始し、祭司とレビ人の協力を得て、主の神殿における奉仕を復活しました。 「ヒゼキヤ王とつかさたちが、ダビデおよび先見者アサフのことばをもって主をほめたたえるようにレビ人に命じると、彼らは喜びつつほめたたえた。そして、一同はひざまずき、伏し拝んだ。そのようなことのあとで、ヒゼキヤは言った。『今、あなたがたは主に身をささげました。近寄って来て、感謝のいけにえを主の宮に携えて来なさい。』そこで集団は感謝のいけにえを携えて来た。心から進んでささげる者がみな、全焼のいけにえを携えて来た。」 (歴代誌下29:30,31)

ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、主の目にかなうことを行なった。

5月27日(金) 今日から聖書通読も第22週目に入ります。 しばらく厳しい山登りが続き、ちょっとした忍耐が必要ですね。 今日は歴代誌下の22~25章を読みましょう。 ●ユダの王アハズヤ→治世がわずか一年でした。 ●アタルヤ→アハズヤの死後、彼の母アルタヤによってユダ王国が六年間支 配されました。そして、エホヤダによってヨアシュに油を注がれ、即位が宣言されます。 ●ユダの王ヨアシュ→ヨアシュの治世の前半は、祭司エホヤダの影響下にあり、主の神殿の修復が進められ、祝福に満ちていました。しかし、祭司エホヤダの死を境として、ヨアシュの治世は暗転します。 ●ユダの王アマツヤ→アマツヤは高慢になり北イスラエルを挑発し、惨敗します。 「ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、主の目にかなうことを行なった。」 (歴代誌下24:2)

ヨシャパテが代わって王となり、イスラエルに対して勢力を増し加えた。

5月25日(水) 今日は歴代誌下の16~19章を読みましょう。 ユダの王、ヨシャパテ(ヨシャファト)は父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず、先祖の神を求め、その戒めに従って歩んだので、主は彼と共におられ、王国を彼の手によって確立された。 そこで、彼の子ヨシャパテが代わって王となり、イスラエルに対して勢力を増し加えた。 (歴代誌下17:1) そこで、主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。 (歴代誌下17:5,6)

アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行ない

5月24日(火) 今日は歴代誌下の13~15章を読みましょう。 「聖なる高台」という言葉がよく出てきます。 日本でも小さな低い山でも頂上にほこらがあったりします。一種の「人のつくった神様」です。カナンの地にもそういうところがたくさんあったようです。イスラエル人の正しい信仰を持った人々も、そのようなところの祭壇を築き、主を礼拝しました。しかし、偶像礼拝と紛らわしいので、よくないわけです。結局祭壇は、エルサレムの神殿だけになってゆきます。 アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行ない、異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行なわせた。さらに、彼はユダのすべての町々から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼の前に平安を保った。 (歴代誌下14:2~5)

レビ人たちは、あらゆる地域から出て来て、彼の側についた。

5月23日(月) 今日は歴代誌下の9~12章を読みましょう。 10:16~19においても、列王記と似ています。 しかし、歴代誌下は南王国を中心とした分裂物語であることがわかります。これ以降、北側のことはほとんど出て来なくなり、南ユダの滅亡に向かってゆく歴史が語られます。唯一の神を信じる正しい王、偶像神を信じる悪い王が次々と出てきます。 祭司ややレビ人が北から追われて来ました。 「イスラエル全土の祭司たち、レビ人たちは、あらゆる地域から出て来て、彼の側についた。実は、レビ人は自分たちの放牧地と所有地を捨てて、ユダとエルサレムに来たのである。ヤロブアムとその子らが、主の祭司としての彼らの職を解き、自分のために祭司たちを任命して、彼が造った高き所と雄やぎと子牛に仕えさせたからである。」 (歴代誌下11:13~15)

ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。

5月22日(日) 今日は歴代誌下の5~8章を読みましょう。 歴代誌下6:1~9を読むと、全く同じところを以前に読んだ気がしませんか。そうです、列王記と同じところがあります。しかし、違うところもあります。矛盾しているところもあります。(例えば、歴代誌下17:6と列王記22:43) 矛盾しているところは、記憶違いによる資料の違いだと思われます。誰でも間違いはありますから、寛容な気持ちで読んでください。 ところで、ダビデの時もそうでしたが、このソロモン王のところも、王の悪い点は故意に省略されています。そのつもりで読んでください。分かりやすく言えば「ソロモンは、神殿を建てた立派な王だった」ということを言いたいのですね。 「ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。祭司たちは主の宮にはいることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。イスラエル人はみな、火が下り、主の栄光がこの宮の上に現われたのを見て、ひざをかがめて顔を地面の敷石につけ、伏し拝んで、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』と主をほめたたえた。」 (歴代誌下7:1~3)

主は彼とともにおられ、彼(ソロモン)を並みはずれて偉大な者とされた。

5月22日(土) 今日から、歴代誌下がはじまります。 歴代誌下の1~4章を読みましょう。 歴代誌下は「上」の続きです。 そしてまっすぐエズラ記、ネヘミヤ記に続きます。すでに列王記で読んだことの繰り返しのような感じを受けるかもしれませんが、大きな違いがあります。南王国ユダのことだけで、北王国のことはほとんど出てきません。後々まで生き残った南王国の人が、これを書いているからです。 さて、この歴代誌下を読み終わる頃、私たちは非常に鮮烈に聖書の一つの教えを感じると思います。それは人間が作った宗教(偶像神)を決して受け入れてはならないということです。本当の神は唯一の聖書の神であり、これを熱心に信じることが本当の信仰であるということです。これは特に日本人への激しい挑戦であるように感じられるかもしれませんが、実は、太古の昔から、アダムの子孫(全人類)への挑戦でもありました。私たちはこの神に心からひれ伏すか、そうしないか、心に強く迫られます。そして、信仰の決心をするとき、私たちの前に祝福が開かれてきます。歴代誌は強いメッセージを持った書物です。 「さて、ダビデの子ソロモンは、ますます王権を強固にした。彼の神、主は彼とともにおられ、彼を並みはずれて偉大な者とされた。」 (歴代誌下1:1)