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ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。
4月1日、Easter Sunday
Happy Easter!! 復活祭、おめでとうございます。
今日から、聖書通読も第14週目に入ります。
「ヨシュア記」から「エステル記」までは歴史書です。
ページ数は多いですが、ストーリーは単純です。
約400年ぶりに、かつてアブラハムが住んでいたカナン(今のパレスチナ)に帰って来て、その土地を平定し、やがて王国を作り、分裂して、滅亡していった歴史です。
400年の留守の間に、カナンには多くの他民族が住み着いていました。ヨシュアを指導者として平定の戦いが始まります。まず、ヨルダン川を渡らねばなりません。
40年前に、自分たちの親が経験したあの「紅海を渡る奇跡」と同じことが起こりました。
「上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。」
(ヨシュア記3:16~17)
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彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。
3月31日
昨日の金曜日は、Good Friday! イエス・キリストが十字架にかかられた日でした。
そして、明日の日曜日は、死を打ち破り、三日目に復活された、Easter Sunday 復活祭です。
さて、今日は、申命記32~34章を読みましょう。
今日で「モーセ五書」読了です。
お疲れ様でした。
律法の内容と、その大切さをつくづく感じられたと思います。
この先、さらに読み進むと、旧約聖書全体の中で、結局はこの律法そのものが、旧約聖書の中心をなしていることが、わかってきます。
今後の歴史は、モーセの律法を守るか、守らないかが中心となっていきます。
もちろん、守りきれない弱い人間の罪の歴史が展開します。
明日からは、ヨシュア記に入ります。
「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。」
(申命記34:10)
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
3月30日
今日は、申命記28~31章を読みましょう。
申命記は、荒野の旅行も終わり、カナンを目前にして、モーセが死ぬ前に行った「決別説教」です。その内容は、律法の繰り返しとともに、律法を忠実に守るように、イスラエルの民に勧めています。
①律法を忠実に守りなさい。(申29:9)
②律法を聞かせ、学ばせなさい。(申31:9~13)
一方、律法を守るならば、次のような祝福を約束されました。
「あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。」
(申命記28:3~6)
脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない。
3月29日
今日は、申命記24~27章を読みましょう。
26章には、美しい信仰告白的な祈りの文章があります。
「私の父は、さすらいのアラム人でしたが、わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、大きくて強い、人数の多い国民になりました。エジプト人は、私たちを虐待し、苦しめ、私たちに過酷な労働を課しました。私たちが、私たちの父祖の神、主に叫びますと、主は私たちの声を聞き、私たちの窮状と労苦と圧迫をご覧になりました。そこで、主は力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力と、しるしと、不思議とをもって、私たちをエジプトから連れ出し、この所に導き入れ、乳と蜜の流れる地、この地を私たちに下さいました。今、ここに私は、主、あなたが私に与えられた地の産物の初物を持ってまいりました。」
(申命記26:5~10)
また、申命記独特のものとして、次の文章があります。
「脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない。」
(申命記25:4)
これは、脱穀する牛への配慮を教えた規定ですが、パウロはこの規定を主の働き人に適応し、「福音を宣べ伝えるものが、福音の働きから生活の支えを得るように主が定めておられる。」と説明しています。
「聖書に『穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。』また、『働き手が報酬を受けることは当然である。』と言われているからです。」
(1テモテ5:18)
木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。
3月28日
今日は、申命記20~23章を読みましょう。
律法、律法の毎日で、皆さん嫌になっていませんか?
これら、613もの多岐にわたる律法をすべて覚えたら、今なら、弁護士、医者、建築家、デザイナーなどプロの仕事に就けるでしょうね。
父祖アブラハムに対してたてられた「祝福の約束」は、イスラエルの民にとって良いものでした。しかし、全部覚えていても、残念ながら、厳守は出来ませんでした。
アダムの罪を引きずっている人間は、本当にどうしようもありません。
それゆえに、神は一方的に、この罪を贖うために、イエス・キリストを犠牲の供物としてくださいました。人は、ただ神の憐れみによって救われることになりました。
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」
(申命記21:22~23)
パウロは、このみことばから、私たちのために神の呪いを受けたキリストの十字架の意味を解き明かしています。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。」
(ガラテヤ3:13)
彼らが告げる判決から右にも左にもそれてはならない。
3月27日
今日は、申命記16~19章を読みましょう。
仮庵の祭り(申命記16:13~17)
「あなたの打ち場とあなたの酒ぶねから、取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。」
仮庵の祭りは、オリーブ、ぶどう、いちじくなどの秋の実りの収穫の感謝祭でもあります。
モーセ五書の中から、【社会的】な律法を拾っていきましょう。
①税金を払うように。(出エ30:11~13)
②さばき(裁判、議会)を行うこと。(民11:16)
③さばきに服従させること。(申17:11~12)
④公正なさばきを。(レビ 19:15)
⑤賄賂をとってなならない。(出エ23:8)
⑥危険な場所への注意。(申22:8)
⑦安息日を静かに過ごすように。(出エ16:29)
「彼らが教えるおしえによって、彼らが述べるさばきによって行なわなければならない。彼らが告げる判決から右にも左にもそれてはならない。もし人が、あなたの神、主に仕えてそこに立つ祭司やさばきつかさに聞き従わず、不遜なふるまいをするなら、その者は死ななければならない。」
(申17:11~12)
七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。
3月26日
昨日の日曜日は、Palm Sundayでした。
主イエス・キリストが十字架にかけられる前に、子ろばに乗ってエルサレムの城壁の中に入った日です。
さて、今日は申命記12~15章を読みましょう。
モーセ五書の中から、【農業】についての律法を拾っていきましょう。
①刈り尽くしたり、落ち穂を拾ってはならない。(レビ23:22)
②種の純粋性を守りなさい。(レビ19:19)
③脱穀している牛に、くつこをかけてはならない。(申25:4)
④七年目に土地を休ませなさい。(レビ25:1~7)
七年目の休耕地は、一種の共有地のようになり、所有者が、自然に実るものすら取ることを禁じ、公共一般の人々のものとされました。七年目に休耕するということは、土地は神のものであり、人類の福祉のために神から与えられているという基本的な考えから出ていると思われます。
⑤七年目のゆるし。(申15:1,2)
これは、直接農業と関係ありませんが、貧しい古代社会で、弱い者を助け、神の恵みを共に受けて生きていくようにとの教えです。
「七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。
その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。」
(申命記15:1,2)
人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる
3月25日 日曜日
今日から聖書通読も第13週に入り、土曜日にはモーセ五書を読み終えることになります。今日は、申命記8~11章を読みましょう。
「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。」
申命記8:2,3
イエスが悪魔の誘惑を受けた時に引用した有名な箇所です。
「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
マタイ4:1~4
これらを並べて読むと、あらためて、主のみことばこそ、生かされる力、生かされる源であることがわかります。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
3月24日
春休みが始まったでしょうか?
今日は、申命記5~7章を読みましょう。
イエス・キリストの十字架によって開示された、より高い心理によって乗り越えられた律法は、キリストの十字架と復活によって「完成された」ました。
しかし、十字架より以前には、律法は絶対に守るべき法であったわけですから、尊重しなければならないと思われます。
なかでも、神を愛すること(申命記6:5)、隣人を愛すること(レビ19:18)などの教えはは、現代でも守るべきものです。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。
これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」
申命記6:5~9