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これは、わたしの契約の血です。

今日は1月14日、日曜日。 さて、聖書通読も第3週に入ってきました。 今日は、マタイ福音書26章を読みましょう。 イエスの説教は、一般の人にとっては、 慰めに満ちたわかりやすいものでした。 また、イエスは多くの病人をいやしました。 それで、一般のユダヤ人には歓迎され、尊敬されていました。 反対していたのはおもに宗教指導者でした。 それで、一般の人々のいない夜の間に、イエスは逮捕されました。   「彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。 『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。 『みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。』 マタイ26:26〜28  

最も小さい者の一人にしたのは、 わたしにしてくれたこと

今日、明日はセンター試験ですね。 寒波、大雪など、交通機関が乱れるかもしれないですね。 早めに行けるといいですね。無事をお祈りします。 さて、今日1月13日はマタイ福音書25章を読みましょう。 今日は1章だけです。 イエス・キリストが、あたかも神が教えているように、 権威を持った教えをし、また癒しをすることは、 当時のユダヤ人の宗教社会を根底から覆すものでした。 それで、彼らは、イエス・キリストを抹殺しようと企て始めました。 『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、 わたしにしてくれたことなのである。』マタイ25:40

わたしのことばは決して滅びることがありません。

今期最強寒波!冷え冷えの極寒列島の1月12日。 みなさま暖かくしてお出かけください。 さて、今日はマタイ福音書の23章、24章を読みましょう。 ユダヤ人たちは、ローマ帝国の言うことは、いやいや聞きましたが、 旧約聖書の教えは喜んで聞きました。 旧約聖書の教師が律法学者と呼ばれ、尊敬されていました。 また、その教えに非常に熱心な人々がパリサイ(ファリサイ)派の人々と呼ばれていました。 彼らの教えの中心は、旧約聖書に出てくる戒律を厳格に守ることでした。 人々にもそれを守るように強く求めました。 イエス・キリストは「本当はそうではない。愚かな人間が誤解しているだけだ。」と、 神からの権威を持って教えました。 「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。 」 マタイ24:35〜36    

あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。

1月11日、今日はマタイ福音書21章、22章を読みましょう。 ローマ大帝国の中のユダヤ地方は、 他の地域に比べると変わった地方でした。 外面的にはローマから派遣されてきた総督や、 ローマ帝国に認められた領主によって治められていましたが、 一歩人々の日常生活の中に入ると、完全な宗教社会でした。 旧約聖書を読み終わる頃には、これらのことがよくわかってきます。   「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」 21:22 イエスは彼に言われた。 「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 22:37~39

贖いの代価として、 自分のいのちを与える

今日は、1月10日。 ここ、東京築地界隈は、昨日は暖かく小春日和のようでした。 皆さんのお住まいのお天気はいかがでしたか? さて、今日はマタイ福音書の19章、20章を読みましょう。 聖書は、何度読んでも新しい発見がありますね。 ですから、もし、初めて聖書を読む方も大丈夫です。 何度も読んでいる方も、初めて読む気持ちでいますから初心者です。 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、 みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、 あなたがたのしもべになりなさい。 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、 かえって仕えるためであり、 また、多くの人のための、贖いの代価として、 自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」 マタイ福音書20:26~28

子どものように、自分を低くする者が、 天の御国で一番偉い人です。

1月9日、学生さんはいよいよ三学期が始まりますね。 どうか、主の愛と、恵みと、慈しみで守られますように! 今日は、マタイ福音書17章、18章を読みましょう。 「まことに、あなたがたに告げます。 あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、 決して天の御国には、はいれません。 だから、この子どものように、自分を低くする者が、 天の御国で一番偉い人です。」 18:3~4 心掛けたいですね。 「あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、 地上で心を一つにして祈るなら、 天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、 わたしもその中にいるからです。」18:19~20 アーメン

あなたは、生ける神の御子キリストです。

1月8日、成人の日おめでとうございます。 今日は、マタイ福音書15章、16章を読みましょう。 イエス・キリストは、その教えや、行ったことを通して、 神がどのような御方であるかを示されました。 これが、イエス・キリストの目的でした。 「イエス・キリストを知った者は、神を知った者である」と言えます。 しかし、イエス様はご自分の死と復活について3度に渡って予告し、 大変こだわりました。(マタイ16:21~28,17:22~23,20:17~19) なぜでしょうか。 そこにイエス様の目的があるようです。 読み進めていきましょうね。 「あなたは、生ける神の御子キリストです。」マタイ16:16  

確かにあなたは神の子です

今日は1月7日、日曜日です。 今日は、マタイ福音書13章、14章を読みましょう。 イエス様は、人々を教えるときに、 たとえ話を多く用いて教えています。 13章では、なぜ、たとえ話で話すのかも説明されていますね。 「種蒔きのたとえ」や「からし種とパン種」、「バプテスマのヨハネの死」 「五千人の給食」、「湖上を歩く」など他にも多くの出来事は マルコ福音書、ルカ福音書にも登場します。 それらの教え、癒し、奇跡を通して、 弟子たちの信仰は成長していきます。 「確かにあなたは神の子です」マタイ14:33

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

1月6日になりました。ちょっと冷えてきましたね。 今日は、マタイ福音書11章、12章を読みましょう。 イエス様が、大勢の病人をいやすのを見て、 ユダヤ教パリサイ派の人々がやっかんで、 イエス様のことを悪く言い始めます。 イエス様は断固として、「正しいこと」を伝えていきます。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。 そうすればたましいに安らぎが来ます。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 11:28-30

医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

今日、1月5日は、マタイ福音書9章、10章を読みましょう。 すごいですね、もう10章も読み進めましたよ! イエス様は、大勢の病人を癒しました。 マタイ福音書の約1割余は、イエス・キリストが病人を癒したことが書かれています。 これらはイエス様が神の性質を持ったお方であることを証明しています。 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」9:12 「新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」9:17 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」9:21 「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」9:22