ブログ – ページ 228 – 聖書検定協会公式サイト

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私(ダニエル)が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。

8月28日(火) 昨夜は稲妻が記者会見のフラッシュのように光り、雷鳴が響き渡るとともに、激しい雨が…。なんと激しい今年の夏。 今日は詩編59篇と、ダニエル書7~8章を読みましょう。 ダニエルは四頭の獣の幻を見ます。 奇怪な幻が書かれています。 第一の獣は、新バビロニア帝国、第二の幻はメディア帝国、第三の幻はペルシア帝国、第四の幻はギリシアを表していると考えられます。これらの国は、ユダヤの人々を苦しめた国々です。特に第四の幻の獣が、現在自分を苦しめているギリシアの国を表していると考えられます。ですから、ダニエル書は、紀元前170から164年頃のこととなり、旧約聖書の中ではなんと一番新しいものということになります。 [ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ。』との声がかかった。この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。] (ダニエル書7:2~7)

ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。

8月27日(月) なんという暑さでしょう! 今日は詩編58篇と、ダニエル書4~6章を読みましょう。 夢を解くダニエルという青年はライオンの洞窟に投げ込まれるのですが、不思議に何も食べられず、かえって陥れようとした人々が食べられてしまいました。 神を信じるものは神が守ってくださいます。ともかく、このような信仰の人ダニエルがいました。このダニエルのエピソード集が第6章の終わりまで続きます。異教の中で唯一神への信仰を守り通した信仰の先輩のことを取り上げ、現在、迫害されている人々を励ましているのです。 [そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。] (ダニエル書6:13~23)

秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。

8月26日(日) 今日から、聖書通読も第35週目に入ります。 今日からダニエル書に進みます。 今日は詩編57篇と、ダニエル書1~3章を読みましょう。 ◾️旧約聖書の中で最も分かりにくい書と言えます。夢や幻が出てきて、さらにその中に不思議な獣が現れてきます。こういう独特の表現文書を「黙示文書」と言います。 ◾️いつの頃か正確には分かりませんが、とても信仰のあつい立派な人で、ダニエルという人の伝説が捕囚後のユダヤ人の間に知れ渡っていたそうです。 ◾️捕囚後のユダヤ人は、ペルシャ、ギリシャ、ローマと大国の支配下に比較的に平和に生活できました。しかし、一時期、ギリシャの支配下にあった時、紀元前167年にアンティオコス・エピフィネスという王に宗教的迫害を受けました。あのエルサレムの神殿に、ギリシャのゼウス神の祭壇を建てました。ユダヤ人は反乱を起こしました。迫害はより激しくなりました。ある人が、ユダヤ人を励ましました。それが、このダニエル書です。伝説の人物ダニエルの信仰を示し、さらに、そのダニエルが「迫害者は、必ず滅びる」という預言を幻や夢を通して語ります。ですから、紀元前167年頃書かれたものです。 ◾️かつてバビロン捕囚に中に夢を解くダニエルという青年がいて、夢を解いて王に認められました。 [ダニエルは王に答えて言った。「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。あなたの夢と、寝床であなたの頭に浮かんだ幻はこれです。王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。] (ダニエル書2:27~30)

その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。

8月25日(土) 台風が去って、また暑さが戻ってきました。 今日は詩編56篇と、エゼキエル書46~48章を読みましょう。 エゼキエル書は今日で最後です。お疲れさまでした。 神殿から流れ出る水は死海まで達します。 生命の源である神殿から流れ出る水は、生命の象徴です。 (エデンから流れる川とリンクしているようです) 川のほとりは植物がよく成長し、人が生活するのに最も恵み豊かな土地です。 [彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。… 彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか。」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。] (エゼキエル書 47:1~2,6~9) 最後に句は、エゼキエルにとって、種の臨在こそが希望の源であり、これこそが、この書全体の真ん中に流れている思いです。 [町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」] (エゼキエル書 48:35)

主の栄光が東向きの門を通って宮にはいって来た。

8月24日(金) 台風20号から守られますように。 かつてエルサレム神殿をさったイスラエルの神の栄光は、しばらく捕囚の地に移りましたが、神殿が再建されたならば、本殿の場所に戻ります。 [彼は私を東向きの門に連れて行った。すると、イスラエルの神の栄光が東のほうから現われた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた。私が見た幻の様子は、私がかつてこの町を滅ぼすために来たときに見た幻のようであり、またその幻は、かつて私がケバル川のほとりで見た幻のようでもあった。それで、私はひれ伏した。主の栄光が東向きの門を通って宮にはいって来た。霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。ある人が私のそばに立っているとき、私は、神殿からだれかが私に語りかけておられるのを聞いた。その方は私に言われた。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。] (エゼキエル書 43:1~7)

神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。

8月23日(木) 台風20号の大雨から守られますように。 今日は詩編54篇と、エゼキエル書40~42章を読みましょう。 【新しい神殿の幻】 エゼキエルは幻のうちにエルサレムに連れて行かれ、神殿の内と外をくまなく見せてもらいます。これが、エルサレムに帰還して、再び神殿を建てよ!という預言かもしれません。大変長く、47章まで続きます。 [私たちが捕囚となって二十五年目の年の初め、その月の十日、町が占領されてから十四年目のちょうどその日、主の御手が私の上にあり、私をそこへ連れて行った。すなわち、神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。その南のほうに町が建てられているようであった。主が私をそこに連れて行かれると、そこに、ひとりの人がいた。その姿は青銅でできているようであり、その手に麻のひもと測りざおとを持って門のところに立っていた。その人は私に話しかけた。「人の子よ。あなたの目で見、耳で聞き、わたしがあなたに見せるすべての事を心に留めよ。わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ。」] (エゼキエル書 40:1~4)

これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。

8月22日(水) 非常に強い台風19号は既に奄美、九州地方などに影響をしています。その後から直ぐに来る強い台風20号のW台風にお気をつけください。 さて、今日は詩編53篇と、エゼキエル書37~39章を読みましょう。 【枯れた骨の復活】 Ezekiel dry bones song (エゼキエルの枯れた骨の歌) https://www.youtube.com/watch?v=OCtneZbJb3Q 「エゼキエルの枯れた骨の歌」になるほど有名なこの預言を読むと、 ペンテコステの日、キリストの弟子たちが聖霊を受けて別人のように変わり、新しくされた有様を連想しませんか。 事実、今でもペンテコステの日に、この歌を歌う教会もあります。 もちろんエゼキエルは、550年余りものちに起こるペンテコステの出来事を知るはずもありませんが、この幻をエゼキエルにお見せになられた神は、遠い先のイエス・キリストを念頭に置いて示されたのだと思います。 【臨在の神への信仰】 エゼキエルは、神がイスラエルの民の只中に臨在しておられるという預言をします。 神の臨在はエゼキエルだけではなく、全聖書の教えているところですが、彼には特に強いように思われます。 【マゴクのゴク】 マゴクという地方のゴクという王が滅ぼされるという預言。これが何を指しているのか不明です。イスラエルに対して、襲いかかる最後の敵を指しているようです。あるいは、バビロンの滅亡を指しているのかもしれません。 [主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。」] (エゼキエル書 37:4~6)

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。

8月21日(火) 「金足農」高校野球は、熱くておもしろいですね。勝っても青春、負けても青春! アジア大会、水泳日本も金メダルラッシュ! さて、今日は詩編52篇と、エゼキエル書33~36章を読みましょう。 「立ち帰れ、立ち帰れ」 イスラエル人の国は、南北共に滅んでしまいました。神の救いの計画は、消えて無くなったのでしょうか。アブラハムに対して立てられたあの祝福の約束もイスラエル人のあまりの不信仰の故にほごになったのでしょうか。 いいえ、焼け野原からでも、春に新芽が出てくるように、神は新しい歴史を始めようとされます。 「新しい心、新しい霊」 祖国に帰ることができ、さらに新しい心、新しい霊が与えられるという預言。 イスラエル人(南王国ユダの人々)を捕囚としていたバビロニア帝国は、ペルシャ帝国にとって代わられました。ペルシャ帝国王クロス(キュロス)は、紀元前538年にイスラエルの民を解放しました。エゼキエルの預言通りになりました。しかし、外面だけ取り戻しても、内面が新しくされなければ、また、なんのこともありません。それで、神は「新しい心と新しい霊」とを、一人一人くださると預言します。 これはのちにペンテコステの時(使徒2:1~42)に成就したと考えられないでしょうか。 [わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。] (エゼキエル書 36:25~28)

人の子よ、エジプトの王ファラオに向かって嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。

8月20日(月) 久々にクーラーを消すことができました。 束の間かな? 今日は詩編51篇と、エゼキエル書29~32章を読みましょう。 諸国民の預言の中でエジプトへの預言が一番長く、それは重要であったからと思われます。 また、エジプトに対する裁きとして、『主の言葉が私に臨んだ』という導入句で始まる三つの預言があります。 さらに『主なる神はこう言われる』で導入される三つの預言があります。 [第十二年の十二月一日に、主の言葉がわたしに臨んだ。 「人の子よ、エジプトの王ファラオに向かって嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。国々の中で若獅子である者よお前は滅びに定められた。お前は水中のわにのようだ。川の中であばれ回り足で水をかき混ぜ、流れを濁らせた。] (エゼキエル書 32:1~2)

ユダの家が捕囚となって行ったとき、あなたは、あはは、と言ってあざけった。

8月19日(日) 今日から、エゼキエル書の後半に入ります。 今日は詩編50篇と、エゼキエル書25~28章を読みましょう。 イスラエル民族(アブラハムの子孫)を、私たち人類の代表と思って、旧約聖書を読むことが大切です。この民族は二つの大きな歴史的な出来事を経験します。一つは「出エジプト」でした。あとの一つは自分たちの国の滅亡でした。特に、その時バビロン捕囚として連れて行かれました。しかし、不思議なことに、約50年の捕囚の後、バビロンも滅び、捕囚の人々は解放されて、昔住んでいた土地に帰ることができました。紀元前538年です。これら一連の出来事を「バビロン捕囚」とか「第二のエジプト」などと呼んでいます。 それで預言者なども、捕囚前の預言者とか、捕囚後の預言者、などと言って区別しています。エゼキエルは、まさに捕囚中の預言者でした。ですから、暗くて厳しい預言内容になっています。しかし、今日から読む後半は、少しずつ希望も出てきます。もちろん、たとえ話や幻などを通しての独特の表現は終わりまで続きます。 エゼキエルは、南王国ユダを取り巻く諸国民についての預言をします。 南王国ユダの滅亡に手を貸したり、あざ笑った近隣の諸国民に、神の裁きが下ると預言します。アンモン人、モアブ人、エドム人、ペリシテ人、フェニキア人、エジプト人などに対してです。25章から32章まで続きますので、少し長く感じるかもしれません。 [「人の子よ。顔をアモン人に向け、彼らに預言せよ。あなたはアモン人に言え。神である主のことばを聞け。神である主はこう仰せられる。わたしの聖所が汚されたとき、イスラエルの地が荒れ果てたとき、ユダの家が捕囚となって行ったとき、あなたは、あはは、と言ってあざけった。それゆえ、わたしは、あなたを東の人々に渡して、彼らの所有とする。彼らはあなたのうちに宿営を張り、あなたのうちに住まいを作り、あなたの産物を食べ、あなたの乳を飲むようになる。わたしがラバを、らくだの牧場とし、アモン人の地を羊のおりとするとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。] (エゼキエル書 25:2~5)