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アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行ない

5月22日(水) 今日は歴代誌下の13~15章を読みましょう。 「聖なる高台」という言葉がよく出てきます。 日本でも小さな低い山でも頂上にほこらがあったりします。一種の「人のつくった神様」です。カナンの地にもそういうところがたくさんあったようです。イスラエル人の正しい信仰を持った人々も、そのようなところの祭壇を築き、主を礼拝しました。しかし、偶像礼拝と紛らわしいので、よくないわけです。結局祭壇は、エルサレムの神殿だけになってゆきます。 アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行ない、異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行なわせた。さらに、彼はユダのすべての町々から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼の前に平安を保った。 (歴代誌下14:2~5)

レビ人たちは、あらゆる地域から出て来て、彼の側についた。

5月21日(火) 今日は歴代誌下の9~12章を読みましょう。 10:16~19においても、列王記と似ています。 しかし、歴代誌下は南王国を中心とした分裂物語であることがわかります。これ以降、北側のことはほとんど出て来なくなり、南ユダの滅亡に向かってゆく歴史が語られます。唯一の神を信じる正しい王、偶像神を信じる悪い王が次々と出てきます。 祭司ややレビ人が北から追われて来ました。 「イスラエル全土の祭司たち、レビ人たちは、あらゆる地域から出て来て、彼の側についた。実は、レビ人は自分たちの放牧地と所有地を捨てて、ユダとエルサレムに来たのである。ヤロブアムとその子らが、主の祭司としての彼らの職を解き、自分のために祭司たちを任命して、彼が造った高き所と雄やぎと子牛に仕えさせたからである。」 (歴代誌下11:13~15)

ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。

5月20日(月) 今日は歴代誌下の5~8章を読みましょう。 歴代誌下6:1~9を読むと、全く同じところを以前に読んだ気がしませんか。そうです、列王記と同じところがあります。しかし、違うところもあります。矛盾しているところもあります。(例えば、歴代誌下17:6と列王記22:43) 矛盾しているところは、記憶違いによる資料の違いだと思われます。誰でも間違いはありますから、寛容な気持ちで読んでください。 ところで、ダビデの時もそうでしたが、このソロモン王のところも、王の悪い点は故意に省略されています。そのつもりで読んでください。分かりやすく言えば「ソロモンは、神殿を建てた立派な王だった」ということを言いたいのですね。 「ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。祭司たちは主の宮にはいることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。イスラエル人はみな、火が下り、主の栄光がこの宮の上に現われたのを見て、ひざをかがめて顔を地面の敷石につけ、伏し拝んで、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』と主をほめたたえた。」 (歴代誌下7:1~3)

主は彼とともにおられ、彼(ソロモン)を並みはずれて偉大な者とされた。

5月19日(日) 今日から、歴代誌下がはじまります。 歴代誌下の1~4章を読みましょう。 歴代誌下は「上」の続きです。 そしてまっすぐエズラ記、ネヘミヤ記に続きます。すでに列王記で読んだことの繰り返しのような感じを受けるかもしれませんが、大きな違いがあります。南王国ユダのことだけで、北王国のことはほとんど出てきません。後々まで生き残った南王国の人が、これを書いているからです。  さて、この歴代誌下を読み終わる頃、私たちは非常に鮮烈に聖書の一つの教えを感じると思います。それは人間が作った宗教(偶像神)を決して受け入れてはならないということです。本当の神は唯一の聖書の神であり、これを熱心に信じることが本当の信仰であるということです。これは特に日本人への激しい挑戦であるように感じられるかもしれませんが、実は、太古の昔から、アダムの子孫(全人類)への挑戦でもありました。私たちはこの神に心からひれ伏すか、そうしないか、心に強く迫られます。そして、信仰の決心をするとき、私たちの前に祝福が開かれてきます。歴代誌は強いメッセージを持った書物です。 「さて、ダビデの子ソロモンは、ますます王権を強固にした。彼の神、主は彼とともにおられ、彼を並みはずれて偉大な者とされた。」 (歴代誌下1:1)

今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。

5月18日(土) 今日で歴代誌上は最後です。26~29章を読みましょう。 29章に記されているダビデの祈りはとても力強く、また美しい祈りだと思いませんか? 唯一の全能の神をほめたたえてやまない信仰が、よく表現されています。 歴代誌はこのように、ダビデを中心とした歴史であり、また神殿礼拝を大切にした考えをもった歴史であることがわかります。このダビデの子孫としてイエス・キリストが生まれてきます。 イエス・キリストは動物犠牲を中心とした神殿礼拝を一新し、霊的な礼拝を教えました。(ヨハネ4:24) 「ダビデは全集団の目の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。『私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。』」 (歴代誌上29:10~13)

イスラエルの神、主は、御民に安息を与え、とこしえまでもエルサレムに住まわれる。

5月17日(金) 今日は、歴代誌上23~25章を読みましょう。 ここではレビ人の任務を記しています。 レビびとは、守衛、役人、裁判官などの今の政府の役割を果たしたり、聖歌隊の仕事をしました。 祭司もレビ族の一部でした。 「これは、それぞれ父祖の家に属するレビ族で二十歳以上になり、主の宮の奉仕の仕事をした者であり、ひとりひとり、その名が数えられ登録された一族のかしらたちであった。ダビデがこう言ったからである。『イスラエルの神、主は、御民に安息を与え、とこしえまでもエルサレムに住まわれる。レビ人も、幕屋を運んだり、奉仕に用いるすべての器具を運んだりする必要はない。』」 (歴代誌上23:24~26)

ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。

5月16日(木) あちこちのお庭でバラが綺麗ですね。 また立葵や、紫陽花もそろそろ咲き始めました。 今日は、歴代誌上20~22章を読みましょう。 ダビデは、神よりも民の数に依り頼み、自分の力を誇示してしまいました。 「ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。」 (歴代誌上21:1) しかし、この人口調査は、神のみこころを損なうことになります。 なんと、神はイスラエルを打つ方法を、ダビデに三択問題で選ばせます。

神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。

5月15日(水) 今日は、歴代誌上17~19章を読みましょう。 ナタン預言に応えるダビデ王の祈りは、 主がダビデ王をお選びくださったこと、 ダビデの家を確立してくださったこと、 エジプトから贖い出された主の力への信仰が表現されています。 「ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。『神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます。』」 (歴代誌上17:16~17)

平安があるように。あなたに平安があるように。

5月14日(火) 今日は、歴代誌上13~16章を読みましょう。 ダビデの名声が高まってゆきます。 昨日の通読箇所になりますが、12章18節に、アマサイという人の挨拶があります。 この挨拶は後のキリスト教会の礼拝の中で、人々が互いに挨拶を交わす時の言葉として採用しています。今も、礼拝集会時に前後左右の人に「主の平安がありますように」 「シャローム」”Peace of Christ be with you!”などとも挨拶します。 「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイを捕えた。『ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイの子よ。私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。』そこで、ダビデは彼らを受け入れ、隊のかしらとした。」 (歴代誌上12:18) ダビデはモーセの律法に従って礼拝をしたことが伺えます。 特に色々な楽器を用いた熱烈な礼拝の様子が伺えます。 (歴代誌上16:1~6,40~42)

エルサレムには、ユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族の者が住みついた。

5月13日(月) 今日は、歴代誌上9~12章を読みましょう。 紀元前597年と586年にバビロンに捕囚として連れてゆかれた南王国ユダの人々は、その後どうなったのでしょうか。約50年後、バビロニアはペルシアに滅ぼされました。そして彼らは紀元前538年、エルサレムのある昔の自分たちの土地に帰ることができました。(もちろん、国を持つことはできず、属領地に一住民でしかありませんでした。)したがって歴代誌は、その後にまとめて書かれたものであることがわかります。 「全イスラエルは系図に載せられた。それはイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。ユダは、不信の罪のために、バビロンに捕え移されていた。ところで、彼らの所有地である彼らの町々に最初に住みついたのは、イスラエル、祭司たち、レビ人および宮に仕えるしもべたちであった。エルサレムには、ユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族の者が住みついた。」 (歴代誌上9:1~3)