ブログ – ページ 23 – 聖書検定協会公式サイト

ブログ

彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる。

9月10日(日) 台風13号での水害、1日も早い復活を祈ります。 また猛暑が戻ってくるとか。健康が守られますように祈ります。 今日は、詩編73篇と、ミカ書1~3章を読みましょう。 ミカ書は美しい希望に満ちた預言書です。 ミカは南王国のユダの預言者で「ヨタム王、アハズ王、 ヒゼキヤ王の時代」ですから紀元前8世紀の最後の頃です。 北王国の首都サマリヤと南王国の首都エルサレムの偶像崇拝の罪への裁きが語られ、 同時に回復も語られます。 「打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。 彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる。」 (ミカ書2:13)

主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

9月9日(土) 台風13号による大雨の被害、癒されますように祈ります。 今日は、詩編72篇と、ヨナ書1~4章を、一気に全部読みましょう。 はじめに、巨大な魚に飲み込まれたヨナという預言者の一種の物語のようになった書です。 魚に飲み込まれた人が、果たして三日間も生きておられるのだろうかというような所など、 この物語そのものに興味を惹かれるかもしれません。これはそのような事実物語ではなく、 何かを語ろうとする預言書なのです。 バビロン捕囚中の苦しみの中で祈ると、神は祈りを聞いて助けてくださる。神は愛と哀れみに満ちた神です。 かつて自分たちを苦しめたアッシリア帝国の首都ニネベの人々が、神の裁きに会わず、 悔い改めたので救われました。(神はどのような人でも悔い改めるならば救います。 ヨナは、憎む敵が祝されたのを見て、不平を言いました。この物語が書かれた時代、 ユダヤ人は外国人と結婚を禁じたりして、外国人排除をしていました。それは間違っています。 これがヨナの預言です。神は全ての悔い改める人を救われます。 ヨナのメッセージは、イエス・キリストに近いです。 「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」

救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。

9月8日(金) 台風13号から守られますように祈ります。 さて、聖書通読は37週目を迎えました。 なんと!再来週からは新約聖書へと向かっていきます。 これまでの険しい山をいくつも越えて、今は以外と早く読み進めると思います。 今日は詩編71篇と、オバデヤ書1章を読みましょう。 オバデヤの名前は「主に仕える者」と言う意味です。 オバデヤ書は旧約で一番短い書です。 これは捕囚中の預言書です。 私たちは預言書と言うと、すぐ将来のことを〈予言〉する内容と思い込むかもしれません。そうではなく、 (1)過去のことを語る。 (2)未来のことの予言。 (3)現在のこと。 (4)神への祈り。 こういう四つのことが語られています。 オバデヤ書も過去のことと、未来のことが語られています。 内容はただ一点、エドムに関する非難とさばき。(エドムはヤコブの兄エサウの子孫です) 【(1)過去のことを語る】11節 バビロニア軍が南王国ユダを滅ぼした時にそれに手を貸した。 【(2)未来のことの予言】15節 エドムの人々は、必ず「主の日」(いつかわからないが主がさばかれる日)にさばかれる。 [救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。] (オバデヤ書1:21)

わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。

9月7日(木) 今日は詩編70篇と、アモス書7~9章を読みましょう。 アモスは羊飼いでした。 人間の社会は繁栄するとなぜか貧富の差が開き、貧しいものが更に不利になり、 また、不正が横行するようです。アモスは黙っておられませんでした。 彼は「不正」を嫌う人でした。正義は神への思いから出てきます。 不正な人々を必ず神は裁かれます。 しかし、全てをさばき尽くすのではなく、正しい一部の人々は残されます。 神は不正を裁かれますが、それは、悔い改めて、神に立ち返る人々を祝福するためです。 『「見よ。その日が来る。――主の御告げ。 ――その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。 山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。 わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。 彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、 果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。 彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。」 とあなたの神、主は、仰せられる。』 (アモス書9:13~15)

天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。

9月6(水) 今日は詩編69篇と、アモス書4~6章を読みましょう。 南北分裂後、北王国は一時非常に栄えました。首都サマリヤも、 そこにあるバジャン地方も栄え、婦人たちも酒に酔い堕落しました。 「聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。 彼女らは弱い者たちをしいたげ、貧しい者たちを迫害し、自分の主人たちに、「何か持って来て、飲ませよ。」と言う。」 (アモス書4:1) 「天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。 まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。 こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。 主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。」 (詩篇69:34~36)

テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。

9月5日(火) 今日から三日間、アモス書を読みましょう。 今日は詩編68篇と、アモス書1~3章を読みましょう。 はじめに預言者は、人々の前で語りました。自分でそれを書き残したのかもしれません。 死んでから弟子たちがまとめて書いたのかもしれません。 これらのことは、今となってはよくわかりません。アモス書もそうです。 しかし、どちらにしても、確かにアモスの語ったことが、ほとんど正確に残されていると考えられます。 北王国イスラエルの王ヨシュアの子ヤロブアム王の時代ですから、 あのホセアと共に活動したことになり、紀元前750年頃のことです。 「テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。 これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、 地震の二年前に、イスラエルについて彼が見たものである。」 (アモス書1:1)

わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。

9月4日(月) 今日は詩編67篇と、ヨエル書3~4章を読みましょう。 「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。 わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、 シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。 その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」 (ヨエル書   新改訳2:28~32 / 新共同訳3:1~5) この聖句を読むと、だんだん新約聖書に近づいてくることを感じます。 ヨエルは具体的にどのような霊が、どのように下るかを知らなかったと思います。 しかし「すべての人に下る」という預言は、イスラエルの民だけではなく、 全人類の救いを語っています。アブラハムに立てられた、あの約束が近づいています。 もちろんこの預言は、ペンテコステ(使徒2:1~13)において成就しました。

主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。

9月3日(日) 今日と明日は、ヨエル書を読みましょう。 今日は詩編66篇と、ヨエル書1~2章を読みましょう。 預言書はバビロン捕囚の前か後かで区別するのが、理解のために便利です。 ヨエル書は捕囚から帰ってきた後のことです。苦しい中で神殿を建て、 エルサレムの街を守る壁を建て、なお苦しい生活をしているときに、 イナゴの大量発生という災害に見舞われました。 いなごの災害から、ヨエルはさらに大きな神の裁きを語りました。 神は悔い改める者を必ず憐れまれます。 『「しかし、今、――主の御告げ。――心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。』 (ヨエル書2:12~13)

彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。

9月2日(土) 今日は詩編65篇と、ホセア書12~14章を読みましょう。 今日でホセア書は終わりです。 ホセアの預言は、北イスラエルの回復と祝福で締めくくられています。 現実は北イスラエルは滅亡の直前にいるのですが、 「北イスラエルの罪は溜め込まれたままなのだから、悔い改めよ!」と勧告します。 「神は背く彼らを許す愛に満ちたお方であるので、 神に立ち返るように!」と希望を込め切に訴えています。 「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。 わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。 わたしはイスラエルには露のようになる。 彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。 その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、 そのかおりはレバノンのようになる。彼らは帰って来て、 その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、 その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。」 (ホセア書14:4~7)

今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。

9月1日(金) 今日から9月。 東京都心では観測史上初めて、8月のすべての日が真夏日となったそうです。 まだまだ真夏日続きそうですが、早く涼しくなると良いねすね。 さて、今日から聖書通読は第36週に入ります。 聖書難易度マップによると、最も険しい山は越えた模様です。 今週後半からは意外と楽に進めるようになります。 今日は詩編64篇と、ホセア書9~11章を読みましょう。 歴史的転換に直面した、北イスラエルは混乱の中、 真理に基づき民の批判を行う預言者ホセアは激しい迫害と激しい敵意にあったと思われます。 しかし、信仰を持ち続けた預言者ホセアは、 なおもイスラエルに対して警告と、理想を言い続けます。 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。 今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」 (ホセア書10:12)