ブログ – ページ 17 – 聖書検定協会公式サイト

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神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。

10月25日(金) 今日から、コリント人への手紙 第二に入ります。 今日は、詩編120篇と、コリント人への手紙 第二の1~2章を読みましょう。 1~9章は「和解の手紙」です。 第1章は、「挨拶」に始まり、「苦難と感謝」、また「コリント訪問の延期」が第2章に渡ります。 「パウロの戦況と任務の弁明」が第7章4節まで続きます。 「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」 (2コリ2:14~15)

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

10月24日(木) 今日は、詩編119篇と、コリント人への手紙 第一の15~16章を読みましょう。 宗教とか信仰とかに全く関心のない人、また無神論者には、聖霊とか、私たちのうちにある霊とか言っても、 架空のことのように思えて理解しにくいと思います。 しかし、パウロは自分の霊に神の霊が働きかけて、舌が自然に動き出して話し始める「異言」を常に体験していました。 従って、神の霊(聖霊)や人の霊が本当に存在するかどうかということは、問題ではなく、存在することは当然のことでした。 すなわち、パウロの教える「霊的な信仰」というのは、知的な理解ではなく、体験から出ている確信に基づいています。 「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。」 (1コリ12:20~26) 「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。 『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』」 (1コリ12:51~55)

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

10月23日(水) 今日は、詩編118篇と、コリント人への手紙 第一の12~14章を読みましょう。 第12章は「九つの聖霊の賜物」が語られています。 知恵の言葉 知識の言葉 信仰 病気をいやす力 奇跡を行う力 預言する力 霊を見分ける力 異言を語る力 異言を解釈する力、 これらの九つの賜物です。賜物とは努力によって獲得できるものではなく、 全く神の恵みとして与えられるものです。 ですから、与えられないからといって不平を言うことはできませんし、 与えられたからといって誇ってもなりません。しかし、求めない人には、あたえようもありませんから、私たちは熱心に求める必要があります。 「しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、 その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」 (1コリ12:11~12) 「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。 こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。 しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」 (1コリ12:22~27)

神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

10月22日(火) 今日は、詩編117篇と、コリント人への手紙 第一の9~11章を読みましょう。 第8章に続き、第9章は「偶像への供え物の問題」のうち2つの問題です。 ●使徒の自由 ●偶像に備えた肉に関する諸問題 「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。 ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。」 (1コリ10:13~14) 第11章2~34節は「集会の秩序」です。 ●礼拝における男と女 ●主の晩餐 の二つの部分から成り立っています。 「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。 すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。 『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。』 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。 『この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。』 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」 (1コリ11:23~26)

人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。

10月21日(月) 今日は、詩編116篇と、コリント人への手紙 第一の7~8章を読みましょう。 第7章は結婚の問題に対する質問のパウロの回答です。 ●性のあり方 ●独身・結婚・離婚 ●未信者との結婚生活 ●終末論的自由 ●乙女のこと の五つです。 第8章は「偶像への供え物の問題」のうち ●知識と愛です。 「次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。 しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。 人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」 (1コリ8:1~3)

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

10月20日(日) 今日は、詩編115篇と、コリント人への手紙 第一の5~6章を読みましょう。 「新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。 あなたがたはパン種のないものだからです。 私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、 パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。」 (1コリ5:7~8) 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、 あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。 ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」 (1コリ6:19~20)

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

10月19日(土) 今日は、詩編114篇と、コリント人への手紙 第一の3~4章を読みましょう。 「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。 そして、ほかの人がその上に家を建てています。 しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。 その土台とはイエス・キリストです。 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。 その日がそれを明らかにするのです。 というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、 その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」 (1コリ3:10~16)

私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

10月18日(金) 今週はコリント人への手紙第一(コリント信徒への手紙一)を読みましょう。 今日は、詩編113篇と、コリント人への手紙 第一の1~2章を読みましょう。 「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。 それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。」 (1コリ2:12) パウロの伝える信仰は霊的な信仰です。すなわち、 聖霊が私たちに強く働きかけていることを信じ、聖霊の導きに従って生きる信仰です。 「いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。 同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」 (1コリ2:11) 神が霊であっても人間の中に霊がなければ、神の霊を知ることはできません。 パウロは人間が体と知恵と心を持っただけのものではなく、 霊を内に秘めていることを当然のことと考えています。 人は自らの内にある霊によって、神の霊(聖霊)を受けることができます。 「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。 それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。 なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」 (1コリ2:14) 生まれながらに罪を持っている人は、神を知ることは出来ません。 仮に神を信じたとしても、本当の神では無く偶像を作ってしまいます。 ですから、生まれながらの人間は聖霊のことがわかりません。 しかし、イエス·キリストを信じる人は、必ず聖霊が働きかけているからこそ、 イエス·キリストを信じることができたのであって、霊的なものに目覚めてゆきます。 イエス·キリストを信じる人は、本当の神を信じる人であり、聖霊を信じる人です。 そこに達しない人を、ここでは生まれながらの自然の人と言っています。

もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです

10月17日(木) 秋らしいお天気が続いて、気持ちいいですね。 今日で、ローマ人への手紙は終わりです。 今日は、詩編112篇と、ローマ人への手紙14~16章の最後までを読みましょう。 「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。 ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。」 (ロマ14:7~9) 「私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、 今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、 信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、 あなたがたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、 イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。 アーメン。」 (ロマ16:25~27)

キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

10月16日(水) 今日は、詩編110篇と、ローマ人への手紙9~10章を読みましょう。 「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。 しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」 (ロマ10:1~4) ここで「彼ら」と言われているのは、旧約聖書の民イスラエル人です。 律法を与えられたのに傲慢になり、律法を守っている自分たちだけが救われると誤解していました。 神はそんなつもりで律法を与えたのではないと論じています。 律法そのものは良いものでも、これを受けた人の「罪」のゆえに、誤解が生じました。 パウロはこの誤解をしていた代表的な人でしたが、聖霊の導きで、正しい理解に進みました。 すなわち、根源的なあのアダムの罪からの救いは、 ただ神の恵みとしてのイエス・キリストの十字架によって与えられます。