ブログ – ページ 149 – 聖書検定協会公式サイト

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あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときには,

3月19日(木) 今日は民数記30〜33章を読みましょう。 死を直前にしたモーセは、主の命令により、出エジプトからヨルダンに到着するまでの旅程表を書き留めました。 38節では、祭司アロンの死について語られています。 そして、主はモーセに、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、ヨルダン川を渡るにあたっての命令をします。 「イスラエル人に告げて彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときには、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳造をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない。」 民数記33:51,52 ※こぼたなければならない→壊たなければならない(壊されなければならない)

あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。

3月18日(水) 今日は民数記26〜29章を読みましょう。 27章では、モーセの後継者として、ヨシュアが任命されます。 ヨシュアは既に出エジプト記に度々登場していますが、 一気にここでスポットライトを浴びます。 (出エジプトにヨシュアが登場している箇所、17:9、24:13、32:17、33:11) 「主はモーセに仰せられた。『あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。 彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼を任命せよ。 あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエル人の全会衆を彼に聞き従わせよ。』」 民数記27:18~20

主が私の口に置かれること、それを私は忠実に語らなければなりません。

3月17日(火) 今日は民数記22〜25章を読みましょう。 22章の「しゃべるロバ」 ”Donkey Talk”のエピソードは、聖書絵本にもよく出てきますね。 「すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。『私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。』」 民数記22:28 「バラクはバラムに言った。『あなたは私になんということをしたのですか。私の敵をのろってもらうためにあなたを連れて来たのに、今、あなたはただ祝福しただけです。』 バラムは答えて言った。『主が私の口に置かれること、それを私は忠実に語らなければなりません。』」 民数記23:11,12 この度の新型コロナウイルス感染症の拡大により、 大変な状況におかれている皆さまにおかれましては、 心よりお見舞いを申し上げます。 よろしかったら詩篇91篇をお読みいただければ幸いです。 いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。 そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、 昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、 その災はあなたに近づくことはない。 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災はあなたに臨まず、 悩みはあなたの天幕に近づくことはない。 これは主があなたのために天使たちに命じて、 あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。 (詩篇91篇1-11 口語訳聖書)

あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。

3月16日 月曜日 聖書通読も第12週に入ります。 さて、今日は、民数記18〜21章を読みましょう。 今日は、モーセ五書の中から、家族についての律法を拾っていきましょう。 ①結婚によって子孫を保つように。(創1:27,28) ②間違った性交をしてはならない。(出エ20:14 ・レビ18:20,22) ③男の子は割礼を施しなさい。(創17:10,11・レビ12:3) ④両親を敬いなさい。(出エ20:12 ・レビ19:3) ⑤敬老(レビ19:32) またまた、イスラエルの民は「水がない、水がない」ってつぶやきます。 「主はモーセに告げて仰せられた。 『杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。』」 民数記20:7,8

アロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。

3月15日(日) 今日は、民数記13〜17章を読みましょう。(5章です。ちょっと長いです。) 今日は、モーセ五書の中から、人間の律法についてまとめてみました。 ①聖なるものとなれ。(レビ19:2)  神が聖であるので、人も聖なるものとして努めねばなりません。 ②汚れたものを食べてはならない。(レビ11:1~8) 体を清く保つために食物に注意をするようにという考えです。 ③出産後の女性は幕屋に近づいてはならない。(レビ12:1~4) 出産後は安静にしている方が、体に良いということが、聖なる神との関係で律法化されていると考えられます。 ④死体は汚れている。(民19:11~13) 幕屋を清潔にしておくため、 衛生上の問題と考えられます。 「その翌日、モーセはあかしの天幕にはいって行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。」 民数記17:8

主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。

3月14日(土) 今日は、民数記9〜12章を読みましょう。 律法は、神中心ですから、幕屋での礼拝の仕方も細かく厳格に決められていました。神は聖いお方ですから、あくまでも聖く、特別に注意を払うことが原則でした。このような律法を通して、唯一絶対の神への忠誠こそが、人類の生き方の第一であることを徹底しました。 しかし民は肉が食べたいとつぶやきます。 主は、主のほうから風を吹かせ、海の向こうからうずらを運んできて、宿営の上に落とします。(11:31) 「主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた。」 民数記9:18

モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。

3月13日(金) 今日は5〜8章を読みましょう。 少し長くなりますが、礼拝に関して、モーセ五書をまとめてみました。 ①幕屋を作りなさい。(出エ25:8,9) もちろん幕屋は宇宙に一つだけです。神はひとりだからです。 ②幕屋(神殿)を大切にしなさい。(レビ19:30) ③毎日、朝と夕に一匹づつ雄羊をささげなさい。(出エ29:38,39)  イスラエルの民は、幕屋を中心に生活をしました。 荒野の旅行中も朝一匹、夕一匹の雄羊をささげました。 それは、罪の許しと同時に、煙と香りが天に昇ることによって、神に受け入れられるしるしでした。これが千年以上も毎日続けられ、イエスもそのような社会の中で生まれ、育ち、生活されました。そして、ご自分が「最後の羊」として、十字架の上で犠牲の死を遂げられ人類の罪の許しを完成されました。このような背景が理解されると、キリストの十字架が、長い歴史の完成であることがわかり、そして、キリストの信仰が強められると思います。 ④レビ族の人だけが、神殿の仕事にたずさわることができる。(民18:23) ⑤祭司(レビ族の中のアロンの家の人々)は幕屋で仕事につくとき、入り口で手を洗わなければならない。(出エ30:19) 「モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具もそうした。」 民数記7:1

ひとりひとり数えて人口調査をせよ。

3月12日(木) 今日から、民数記に入ります。 今日は1〜4章を読みましょう。 「民数記」はむしろ「荒野旅行記」と呼んだ方が、内容をよく表した書名だと思われます。しかし、1章と26章に民の人数を調査しているところから「民数記」と名づけられました。 エジプトを脱出したイスラエルの民が荒れ野で四十年を過ごしたのち、ヨルダン東岸に至るまでの歴史を述べる書です。 「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。『イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。』」 民数記1:1,2

安らかにその地に住みなさい。

3月11日(水) コロナウィルスから守られますようお祈りします。 3.11が私たちにとって、特別な日となって9年目が来ました。 あの日、あの時、それぞれの場所で、それぞれの恐怖体験をしたと思います。 東北の皆さまはじめ、震災を受けた皆さまが、主の癒しと助けと恵みの御手で包まれますようにお祈りいたます。 今日は、レビ記25~27章を読みましょう。 この「第三モーセの書」と言われるレビ記も今日で終わりです。 お疲れ様でした。 しかし、前にも言ったようにモーセ五書(創、出、レビ、民、申)は、ひとつづきの書として読みましょう。なので、まだまだ続く…(汗)です。 「安息の年」は七年に一度の休耕をし、 「ヨベルの年」は七を七倍した四十九年を経過した次の年、すなわち五十年目に守られ、雄羊の角(ヨーベル)を吹いて告知した事に由来します。 安息の年はその前年(四十九年目)であったので、収穫できない年が二年も続きます。 しかし、その前年に三年分の収穫が与えられる祝福がなされます。(25:21) 「あなたがたは、わたしのおきてを行ない、わたしの定めを守らなければならない。それを行ないなさい。安らかにその地に住みなさい。 その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。 わたしは、六年目に、あなたがたのため、わたしの祝福を命じ、三年間のための収穫を生じさせる。」 レビ記25:18,19,21

あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。

3月10日(火) 今日は、レビ記22~24章を読みましょう。 「モーセ律法」は現在でも守られるべきでしょうか。 イエス・キリストはマタイ5:17~20(ガラテヤ3:24,25)で、律法は捨てないように教えています。 隣人を愛すること(レビ19:18) 貧しい者らのために収穫の落ち穂を残しておくように(レビ 23:22) などは、神のあわれみを示し、隣人への愛を表す律法です。 「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」 レビ記 23:22