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ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。

5月21日(金) 今日は歴代誌下の5~8章を読みましょう。 歴代誌下6:1~9を読むと、全く同じところを以前に読んだ気がしませんか。そうです、列王記と同じところがあります。しかし、違うところもあります。矛盾しているところもあります。(例えば、歴代誌下17:6と列王記22:43) 矛盾しているところは、記憶違いによる資料の違いだと思われます。誰でも間違いはありますから、寛容な気持ちで読んでください。 ところで、ダビデの時もそうでしたが、このソロモン王のところも、王の悪い点は故意に省略されています。そのつもりで読んでください。分かりやすく言えば「ソロモンは、神殿を建てた立派な王だった」ということを言いたいのですね。 「ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。祭司たちは主の宮にはいることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。イスラエル人はみな、火が下り、主の栄光がこの宮の上に現われたのを見て、ひざをかがめて顔を地面の敷石につけ、伏し拝んで、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』と主をほめたたえた。」 (歴代誌下7:1~3)

今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。

5月19日(水) さあ、今日で歴代誌上は最後です。26~29章を読みましょう。 29章に記されているダビデの祈りはとても力強く、また美しい祈りだと思いませんか? 唯一の全能の神をほめたたえてやまない信仰が、よく表現されています。 歴代誌はこのように、ダビデを中心とした歴史であり、また神殿礼拝を大切にした考えをもった歴史であることがわかります。このダビデの子孫としてイエス・キリストが生まれてきます。 イエス・キリストは動物犠牲を中心とした神殿礼拝を一新し、霊的な礼拝を教えました。(ヨハネ4:24) 「ダビデは全集団の目の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。『私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。』」 (歴代誌上29:10~13)

ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。

5月17日(月) バラが綺麗ですね。 でもまだまだ我慢!我慢!が続きますが、薔薇は綺麗です。 今日は、歴代誌上20~22章を読みましょう。 ダビデは、神よりも民の数に依り頼み、自分の力を誇示してしまいました。 「ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。」 (歴代誌上21:1) しかし、この人口調査は、神のみこころを損なうことになります。 なんと、神はイスラエルを打つ方法を、ダビデに三択問題で選ばせます。

神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。

5月16日(日) 今日は、歴代誌上17~19章を読みましょう。 ナタン預言に応えるダビデ王の祈りは、 主がダビデ王をお選びくださったこと、 ダビデの家を確立してくださったこと、 エジプトから贖い出された主の力への信仰が表現されています。 「ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。『神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます。』」 (歴代誌上17:16~17)

平安があるように。あなたに平安があるように。

5月15日(土) 今日は、歴代誌上13~16章を読みましょう。 ダビデの名声が高まってゆきます。 昨日の通読箇所になりますが、12章18節に、アマサイという人の挨拶があります。 この挨拶は後のキリスト教会の礼拝の中で、人々が互いに挨拶を交わす時の言葉として採用しています。今も、礼拝集会時に前後左右の人に「主の平安がありますように」 「シャローム」”Peace of Christ be with you!”などとも挨拶します。 「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイを捕えた。『ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイの子よ。私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。』そこで、ダビデは彼らを受け入れ、隊のかしらとした。」 (歴代誌上12:18) ダビデはモーセの律法に従って礼拝をしたことが伺えます。 特に色々な楽器を用いた熱烈な礼拝の様子が伺えます。 (歴代誌上16:1~6,40~42)

エルサレムには、ユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族の者が住みついた。

5月14日(金) 今日は、歴代誌上9~12章を読みましょう。 紀元前597年と586年にバビロンに捕囚として連れてゆかれた南王国ユダの人々は、その後どうなったのでしょうか。約50年後、バビロニアはペルシアに滅ぼされました。そして彼らは紀元前538年、エルサレムのある昔の自分たちの土地に帰ることができました。(もちろん、国を持つことはできず、属領地に一住民でしかありませんでした。)したがって歴代誌は、その後にまとめて書かれたものであることがわかります。 「全イスラエルは系図に載せられた。それはイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。ユダは、不信の罪のために、バビロンに捕え移されていた。ところで、彼らの所有地である彼らの町々に最初に住みついたのは、イスラエル、祭司たち、レビ人および宮に仕えるしもべたちであった。エルサレムには、ユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族の者が住みついた。」 (歴代誌上9:1~3)

彼らの同胞のレビ人は、神の宮である幕屋のあらゆる奉仕につけられた。

5月13日(木) 今日は、歴代誌上5~8章を読みましょう。 歴代詩を書いている人(編集している人)は、レビ人やユダ族に特別な関心を持っているようです。 レビ族について詳しく紹介しています。 「レビの子は、ゲルション、ケハテ、メラリ。ケハテの子は、アムラム、イツハル、ヘブロン、ウジエル。アムラムの子は、アロン、モーセ、ミリヤム。アロンの子は、ナダブ、アビフ、エルアザル、イタマル。」 〔歴代誌上5:27~29(新改訳6:1~3)〕 「箱が安置所に納められて後、ダビデが主の宮の歌をつかさどらせるために立てた人々は次のとおりである。」 〔歴代誌上6:16(新改訳6:31)〕 「彼らの同胞のレビ人は、神の宮である幕屋のあらゆる奉仕につけられた。アロンとその子らは、全焼のいけにえの壇と香の壇の上に煙を立ち上らせて、至聖所のすべての仕事に当たり、イスラエルを贖った。すべて、神のしもべモーセが命じたとおりである。」 〔歴代誌上6:33,34(新改訳6:48,49)〕

アダム、セツ、エノシュ、

5月12日(水) 今日から、第20週に入ります。 すっかり、聖書通読が毎日のルーティンになったと思います。 今日から歴代誌上に入ります。1~4章を読みましょう。 ようやく旧約聖書の第一部「歴史」の最終部に入ります。と言っても、実は、今まで読んできた歴史の後半、すなわち、ダビデ以降のことにおかれています。 また、バビロン捕囚のその後のことが出てきます。 それは、エズラ記やネヘミヤ記に出て来ます。これらは全て一連の書物です。ですから歴代誌上下、エズラ記、ネヘミヤ記を一冊の本よ読むつもりで続けて読みましょう。 また、同じ時代の興味深いエピソードである「エステル記」を読みましょう。 アダムに始まり、ダビデまでの長い歴史を系図だけで片付けています。 イスラエル十二部族の系図を示すのに、なぜユダ族を最初に持ってきたのでしょうか。それは、後に出てくるダビデ王が、このユダ族の出身ですから、その布石と思われます。 そして、イエス・キリストの父ヨセフもユダ族の子孫に当たります。 アダム、セツ、エノシュ、 (歴代誌上1:1)

主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。

5月10日(火) 今日で列王記下は最後です。 23~25章を読みましょう。 バビロンのネブカデネザル王によって、第一回バビロン捕囚となります。 (列王記下24:10~17) そして、南ユダは滅亡します。(列王記下25:1~7) 第二回バビロン捕囚となります。(列王記下25:8~12) ここに、アダムの子孫、神に選ばれたアブラハムの子孫は、罪に罪を重ね、ついに滅び去ったかに見えます。しかし、神はついにイエス・キリストをこの世に送ってくださいました。このように「罪と救いの歴史」は新約聖書へと続いていきます。 「第五の月の七日――それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった。――バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。侍従長ネブザルアダンは、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕え移した。」 (列王記下24:8~11)

ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。

5月10日(月) 今日は、列王記下20~22章を読みましょう。 南ユダでは非常に信仰熱心な王、ヨシヤが王になりました。 ヨシヤは神殿の中で見つかった「モーセの律法」を読んで悔い改め、大改革をしました。しかし、それは彼の在世中だけで、後の王たちは、また偶像信仰に落ちてゆきました。 王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた。 「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行なわなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。」 (列王記下22:11,13)