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主の御口が語られたことを告げ知らせることのできる者はだれか。

7月27日(土) いよいよパリ五輪が始まりましたね。睡眠不足にならないように応援したいですね。 今日は詩編29篇と、エレミヤ書9~12章を読みましょう。 今日から聖書通読も第31週に入ります。 聖書通読難易度マップでは、今、最高峰の山に登っています。 エレミヤ、哀歌、エゼキエル、頑張りましょう! 南ユダの人々も、信仰を捨て、偶像神を拝んでいました。神は彼らを裁かれます。 [知恵があって、これを悟ることのできる者はだれか。主の御口が語られたことを告げ知らせることのできる者はだれか。どうしてこの国は滅びたのか。どうして荒野のように焼き払われて、通る人もないのか。主は仰せられる。「彼らは、わたしが彼らの前に与えたわたしの律法を捨て、わたしの声に聞き従わず、それに歩まず、彼らのかたくなな心のままに歩み、先祖たちが彼らに教えたバアルに従って歩んだ。」それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「見よ。わたしは、この民に、苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。] (エレミヤ9:12~15)

どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。

7月26日(金) 「山形県の大雨」や各地に急な大雨が発生しています。 どうか守られますように祈ります。 今日は詩編28篇と、エレミヤ書5~8章を読みましょう。 [ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。主は、彼らの力。主は、その油そそがれた者の、救いのとりで。どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。] (詩篇28:6~9) [主はこう仰せられる。「見よ。一つの民が北の地から来る。大きな国が地の果てから奮い立つ。彼らは弓と投げ槍を堅く握り、残忍で、あわれみがない。その声は海のようにとどろく。シオンの娘よ。彼らは馬にまたがり、ひとりのように陣備えをして、あなたを攻める。」] (エレミヤ6:22~23) 北の国(アッシリアを滅ぼした、新しい国、バビロニア帝国)が攻めてくると預言します。

わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。

7月25日(木) 今日から、エレミヤ書に入ります。 今日は詩編27篇と、エレミヤ書1~4章を読みましょう。 エレミヤ書を読み続けていくと、気が重くなるほど次々と恐ろしいさばきが語られています。王が立ち、王が倒れ、国が起こり、国が倒れます。人々は神を捨て、一人エレミヤは嘆きます。エレミヤは、最後の最後まで神から受けた言葉を語り続けます。 頑張って読み通してください。 1章には、エレミヤの召命が書かれています。 年代は紀元前625年のことです。 すでに北王国は滅び、もうじき南王国のユダ(首都エルサレム)も滅ぼされる頃です。 エレミヤは祭司の息子で、ただの「若者にすぎない」(1:6)者でした。 [「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」] (エレミヤ書1:5~8)

わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。

7月24日(水) 今日でイザヤ書は終わりです。 今日は詩編26篇と、イザヤ書64~66章を読みましょう。 イザヤ書は代表的な預言書です。 イザヤ書を直接読むことによって、預言書というのが、だいたいどのようなものであるかが、おわかりいただけたと思います。 文章は詩的に書かれています。 自由な型の詩になっています。 ところどころに美しい句が見い出されます。 そのようなものを味わいながら読み進んでください。 [見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。] (イザヤ65:17,18)

まことに、あなたは私たちの父です。

7月23日(火) 今日は詩編25篇と、イザヤ書61~63章を読みましょう。 神を父と呼ぶことにより、神のあたたかい心を表現しています。 [まことに、あなたは私たちの父です。たとい、アブラハムが私たちを知らず、イスラエルが私たちを認めなくても、主よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。] (イザヤ63:16)

飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。

7月22日(月) 今日は詩編24篇と、イザヤ書58~60章を読みましょう。 「イザヤ(56章〜66章)」も内容は明るい希望に満ちた預言が多く語られます。 [飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。] (イザヤ58:10~11)

わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

7月21日(日) 今日は詩編23篇と、イザヤ書55~57章を読みましょう。 「イザヤ」(56章〜66章)には、一つには、礼拝を大切にしなさいと言います。 神殿も再建され、気の緩みがちな人々に、礼拝の大切さを語っています。 [わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。] (イザヤ56:7) 有名な詩篇23篇です。 [主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。]

彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

7月20日(土) 今日は詩編22篇と、イザヤ書51~54章を読みましょう。 「イザヤ」(40章から55章)のもう一つの特徴は、将来、ある人の「僕(しもべ)」が現れ、その人は人々の罪を背負って苦しみを経験すると預言しています。もちろん、これは、イエス・キリストによって成就されます。ここは旧約聖書の中でも有名な、そして不思議な預言です。 以上のように補習からの解放を時間的に、順を追って書いているのではなく、バラバラに、またあるところは、繰り返し神の御心をあれこれ語っています。 [彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。] (イザヤ53:3~6) [わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。] (詩篇22:1) 詩篇22章は古くから「メシヤの受難の詩」と呼ばれています。 十字架上のイエスの叫びでもあります。(マタ27:46)

見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。

7月19日(金) 今日は詩編21篇と、イザヤ書48~50章を読みましょう。 [わたしは、わたしの名のために、怒りを遅らせ、わたしの栄誉のために、これを押えて、あなたを断ち滅ぼさなかった。見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行なう。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。] (イザヤ48:9~11)

わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。

7月18日(木) 今日は詩編20篇と、イザヤ書44~47章を読みましょう。 ▪️「罪を許す神」 神に背いたイスラエルの民は、捕囚となりました。しかし、それで終わりではなく、罪を許し、故郷に帰してくださいます。 しかし、その後もまた罪をおかします。アダムの罪はまだまだ続くのです。 [わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」] (イザヤ44:22) ▪️「どのようにして解放されたか」 バビロニア帝国は、より強いペルシア帝国によって滅ぼされました。そのペルシアの王がクロス(キュロス)という人でした。寛大にも捕囚民を解放しました。考えられないようなことが起こって自由になれました。 [主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。] (イザヤ45:1)