ブログ – ページ 11 – 聖書検定協会公式サイト

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聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

11月20日(月) 今日は、詩編144篇と、テモテへの手紙第二の3~4章を読みましょう。 ただ伝道するように進めているだけではなく、伝道者の自覚と責任、 さらには御言葉を宣べ伝えるという「おそれ多い」勤めにたずさわっているパウロの厳かな気持ちが伝わってきます。 「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。 しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。 あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。 聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」 (テモテ第二 3:12~17) 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。 寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」 (テモテ第二 4:2)

もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。

11月19日(日) 今日は、詩編143篇と、テモテへの手紙第二の1~2章を読みましょう。 パウロはネロの迫害に遭い、再び捕らえられました。 そして、獄中で、気の弱いテモテを励ます手紙を書きました。 「次のことばは信頼すべきことばです。『もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。 もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。』 これらのことを人々に思い出させなさい。 そして何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになるような、 ことばについての論争などしないように、神の御前できびしく命じなさい。」 (テモテ第二 2:11~14)

年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。

11月18日(土) 今日は、詩編142篇と、テモテへの手紙第一の4~6章を読みましょう。 ローマの信徒の手紙や、ガラテヤの信徒への手紙では、律法について理論的な方法で語られていますので、 少し難しく感じるかもしれませんが、テモテでは大変実践的な方法でわかりやすく説明しています。 「年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。 若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、 若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。」 (テモテ第一 5:1~2)

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

11月7日(火) 今日は、詩編131篇と、エフェソの信徒への手紙(エペソ人への手紙)の6章を読みましょう。 今日でエフェソは終わりです。素晴らしかったですよね! 6章では、親と子に対する勧告、奴隷と主人に対する勧告をします。 そして、「神の武具」で身を固めることの必要性を語ります。 「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。 それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。 そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」 (エフェソ6:10~18)  

私たちはキリストのからだの部分だからです。

11月6日(月) 今日は、詩編130篇と、エフェソの信徒への手紙(エペソ人への手紙)の4~5章を読みましょう。 キリストの体は一つであること、 古い生き方を捨てて、新しい生き方をするように。 そして光の子として生きるように。 私たちはキリストの体の部分であるから、父母と離れ、その妻と結ばれ、2人は一体となるように。 この奥義は、キリストと教会とを指して言っているということ。 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、 また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」 (エフェソ4:16) 「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。 ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」 (エフェソ4:29~32) 「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、 ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」 (エフェソ5:1~2) 「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。 自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。 かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。 私たちはキリストのからだの部分だからです。 『それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。』 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。

11月5日(日) 今日は、詩編129篇と、エフェソの信徒への手紙(エペソ人への手紙)の1~3章を読みま しょう。 パウロは、この手紙をローマの獄中で書きました。 それゆえに深い想いと、目に見えない霊的なキリストの体についての教会について語り、祈りにも満ちた手紙になっています。 「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」 (エフェソ1:23) 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。 それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。 神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」 (エフェソ2:8~10) 「すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。 また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。 こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」 (エフェソ3:18~21)

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

11月4日(土) 今日は、詩編128篇と、ガラテヤ人への手紙の5~6章を読みましょう。 聖霊を信じて求めている人は、自然に天にある神が持っておられる宝を受けてゆきます。 すなわち、人格的な徳を受けてゆきます。自然に果実が実ってくるように、身についてくるものですから、ここでは霊の「実」と言っています。 九つの実が実ってくると言っています。 (1)愛、(2)喜び、(3)平和(心の平安)、(4)寛容、(5)親切、(6)善意、(7)誠実、(8)柔和、(9)節制、これらの九つの実です。 自然界の果実でも「桃、栗三年、柿八年」と言われるように、植えてから年数がかかりますから、 私たちも性急に理想を期待すぎないようにしましょう。 これも求めない人には与えようもありませんから、私たちは熱心に求めましょう。 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」 (ガラテヤ45:22-23)

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

11月3日(金) 今日は文化の日ですね。 さて、詩編127篇と、ガラテヤ人への手紙の3~4章を読みましょう。 信仰義認についての本格的な論証が試みられます。 [聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。しかし律法は、「信仰による。」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる。」のです。キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。] (ガラテヤ3:8-13) [そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。] (ガラテヤ4:6-7)

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

11月2日(木) 今日は、詩編126篇と、ガラテヤ人への手紙の1~2章を読みましょう。 パウロは反対者の活動により、「ほかの福音(律法主義者の唱えている、真の福音と言えない福音)」へと 動かされかれない危険にに陥っていたガラテヤの人々に宛てた手紙です。 【信仰義認】 「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、 ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。 これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。 なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」 (ガラテヤ2:16) 【信仰成果】 「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」 (ガラテヤ2:19-21)

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