その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。
8月23日(金)
今日は詩編56篇と、エゼキエル書46~48章を読みましょう。
エゼキエル書は今日で最後です。お疲れさまでした。
神殿から流れ出る水は死海まで達します。
生命の源である神殿から流れ出る水は、生命の象徴です。
(エデンから流れる川とリンクしているようです)
川のほとりは植物がよく成長し、
人が生活するのに最も恵み豊かな土地です。
『彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。
神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。
ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。
見ると、水は右側から流れ出ていた。…
彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか。」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。
私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。
海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。この川が流れて行く所はどこででも、
そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。
この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。』
(エゼキエル書 47:1~2,6~9)
最後に句は、エゼキエルにとって、主の臨在こそが希望の源であり、これこそが、この書全体の真ん中に流れている思いです。
『町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、「主はここにおられる。」と呼ばれる。』
(エゼキエル書 48:35)