ブログ – ページ 239 – 聖書検定協会公式サイト

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彼(ヒゼキヤ)のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。

5月10日 今日は、列王記下17~19章を読みましょう。 北王国イスラエルの滅亡した理由が、17:1~18に明確に語られています。それは、唯一の創造者であられる神を信じないで、更にその神の与えてくださった「モーセの律法」を守らなかったからです。紀元前722年、アッシリア帝国に滅ぼされました。 南王国ユダには非常に信仰正しい王、ヒゼキヤが王となります。 「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。彼は主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた。彼はアッシリヤの王に反逆し、彼に仕えなかった。」 (列王記下18:5~7)

主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。

5月9日 どうなっているのでしょう、今年の気候。 とても寒いのですが、街路に植わっている紫陽花は、もう花が咲きそうになっています。 今年は花時が本当に早いですね。 さて、今日は、列王記下13~16章を読みましょう。 北イスラエル王国の王の罪は継続します。 神は、アブラハムやモーセやダビデに立てられた祝福の約束を果たそうと務めました。 19代の王たちが悔い改めるのを待ちました。しかし、王たちは、偶像神を拝み、近隣の諸外国と戦い、そして苦しみました。 そして、南王国ユダの王の罪も継続します。 南王国のほとんどの王は、やはり不信仰な王でした。 「アラムの王ハザエルは、エホアハズの生きている間中、イスラエル人をしいたげたが、主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。」 (列王記下13:22~23)

わたしはあなたに油をそそいでイスラエルの王とする。

5月8日 冷たい雨が続きますね。 今日は、列王記下9~12章を読みましょう。 ●ユダの王ヨラム(アラム)→ ユダの王としては比較的短期間の8年間 ●ユダの王アハズヤ→ ユダの王としては最短の支配期間、1年間王位にあった。 ●イスラエル王国、イエフ(エフー)の謀反  預言者エリシャによって王朝の交代が宣言され、その言葉に基づき事態が展開する。 ●ユダの王アタルヤ ●ユダの王ヨアシュ→ダビデ、ソロモンと並ぶ在位期間。彼は神殿との深い関わりを生涯持った。 「預言者エリシャは預言者のともがらのひとりを呼んで言った。『腰に帯を引き締め、手にこの油のつぼを持って、ラモテ・ギルアデに行きなさい。そこに行ったら、ニムシの子ヨシャパテの子エフーを見つけ、家にはいって、その同僚たちの中から彼を立たせ、奥の間に連れて行き、油のつぼを取って、彼の頭の上に油をそそいで言いなさい。『主はこう仰せられる。わたしはあなたに油をそそいでイスラエルの王とする。』それから、戸をあけて、ぐずぐずしていないで逃げなさい。』」 (列王記下9:1~3)

主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、彼に約束されたからである。

5月7日 ゴールデンウイークもあけましたね。 生活リズムがおかしくなりそうですが、徐々に戻していきましょう! 昨日は、列王記下1~4章を読むのでした。(書き忘れてすみません。) 今日は、列王記下5~8章を読みましょう。 ユダの王ヨシャパテの子ヨラムは三十二歳で王となり、エルサレムで8年間、王であった。 「彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻であったからである。彼は主の目の前に悪を行なったが、主は、そのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、彼に約束されたからである。」 (列王記下8:18~19)

一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

5月6日、日曜日 今日から聖書通読も第19週に入ります。 そして、今日からの一週間、列王記下を読んで参りましょう。 ソロモン王の死後、南北に分裂した王国は、列王記上下を通して、次の表ような王様が建てられましたが、最後には近くの強い国に滅ぼされてしましました。 (表を作りました。参考にしてください。) 列王記下の初めの方は、預言者エリヤの祝福を受け継いだ預言者エリシャの物語です。 しかし、預言者物語が本筋ではありません。王が次々と神に背いて行くのがストーリーの中心です。預言者は、それに抵抗します。 「エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それでふたりはかわいた土の上を渡った。渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。『私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。』すると、エリシャは、『では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。』と言った。エリヤは言った。『あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。』こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。エリシャはこれを見て、『わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。』と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。」 (列王記下2:8~12)

私の父と母とに口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。

5月5日 今日は、列王記上20~23章を読みましょう。 昨日の聖書通読箇所になりますが、 エリシャの召命について書かれています。(列王上19:19~21) 「十二軛(くびき)の牛」の「十二」という数字にイスラエルの存在が暗示されている可能性も考えられます。 また「エリヤが外套をエリシャに投げた」という、自らの着衣を相手に与えることは、親密さを示し、また自分の能力を相手に与える意味にもなります。 今日で、列王記上は終り、明日からは列王記下に入ります。 「エリヤはそこを立って行って、シャファテの子エリシャを見つけた。エリシャは、十二くびきの牛を先に立て、その十二番目のくびきのそばで耕していた。エリヤが彼のところを通り過ぎて自分の外套を彼に掛けたので、エリシャは牛をほうっておいて、エリヤのあとを追いかけて行って言った。『私の父と母とに口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。』」 (列王上19:20,21)

私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。

5月4日 今日は、列王記上17~19章を読みましょう。 列王記上の15章以下は、南北国王の王が次々に出てきます。 読んでいてこんがらがってくる感じがします。細かいところに気を取られずに、それらの王もまた、神から離れていき、自体はさらに悪化してゆくストーリーをつかんでください。 列王記上の終りの方は、偶像信仰と戦う預言者エリヤの活躍が描かれています。興味深い読み易い物語です。相手は悪王アハブとその王妃イゼベルです。でもエリヤ物語が主流ではなく、やはり王物語が中心です。 「ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。『私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。』」 (列王上17:1)

ユダの人々は主の目の前に悪を行ない

5月3日 ゴールデンウィーク後半がやってきました。 皆様は何をして過ごされていますか? 今日は、列王記上13~16章を読みましょう。 北王国イスラエルで王となった、ヤラベアムは罪を犯します。 南ユダの首都にある神殿の中にある契約の箱に対抗して、金の子牛の偶像を作ってしまいました。(列王上12:25~33) 一方、南ユダの王となったレハベアムも罪を犯します。 近隣の宗教の真似をして、偶像神を拝みました。 天地を創造された本当の神を捨てると、人は皆、自分で「神」を造ります。その「神」に問題ごとを相談します。当然、自分に都合の良い考えを答えを引き出します。 利己主義が出てきます。 「正義」が崩れます。 個人も国家も、最後には不幸な結果を招くことになります。 偶像礼拝は絶対にいけない!というのが列王記全体に流れている大きなメッセージです。 「ユダの人々は主の目の前に悪を行ない、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせた。」 (列王上14:22)

ソロモンには七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。

5月2日 今日は、列王記上9~12章を読みましょう。 昨日は、ソロモンの成した二つの良いことを書きました。 今日は、ソロモンに成した悪いこと三つをあげてみます。 その1は、贅沢です。(列王上10:18~21) その2は、王中心の専制政治です。(列王上10:26) 贅沢をして、多くの軍を持って、思うがままに振る舞うことのできた王の背後に、重税と強制労働に苦しんだ人々たちがいたに違いありません。 その3は、背教です。(列王上11:3,4,9,10) ソロモンの恵まれた知恵や、初めの頃の信仰は薄れ、この世的に成功するにつれて、利己的で非人間的な王となり、ついに主の道から離れてゆきました。 そして、ソロモンの死後、王国は分裂してゆくのです。 「彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」 (列王上11:3,4) 「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。」 (列王上11:9,10)

わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない

5月1日 風薫る五月になりました。新緑が眩しく、薔薇があちこちに咲き乱れていますね。 良い季節ですね。 今日は、列王記上5~8章を読みましょう。 ソロモンは二つの良いことを成しました。 一つは、ソロモンの知恵です。(昨日の通読箇所) あと一つは、神殿を建てたことです。 神殿は、間口が9メートル、奥行きが約27メートル、高さが約13.5メートルの長方形の建物です。それほど大きな建物ではありませんが、当時としては、たいへんなものでした。原型は、もちろん幕屋でした。内部は内陣(至聖所)と外陣の二つに分かれていました。典型的な教会堂の構成に似ています。「ソロモンの神殿」は、これらに、立派な玄関部分が付加されていました。もっとも大切な部分は、もちろん内陣(至聖所)でした。そこに神がおられるという意味ではありませんでいた。神の作られた宇宙の縮図が、一つの家の形をとって現れたようなものでした。神はどこにでもご臨在しておられますが、そのしるしが神殿でした。 「そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。 『あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行ない、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。』」 列王記上6:11~13