ブログ – ページ 116 – 聖書検定協会公式サイト

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見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。

9月17日(金) 今日は、詩編80篇と、ゼカリヤ書4~6章を読みましょう。 捕囚後のエルサレムのユダヤ人は、大変苦しい生活でした。 しかし、神殿再建は、必ず成し遂げられます。 なぜなら、どんな反対にあっても、再建は主の霊によって成されるからです。 エパ(エファ)升(36ℓ容量)の中に罪を全部詰め込み、 シヌアル(シンアル)(バビロンの古名)にもっていくという幻です。 これも分かりにくい幻です。言おうとしていることはバビロンがその罪の報いを受けること。 そして自分たちユダヤ人がその罪を取り除かれて、神殿を中心にした新しい生活を始めることの預言です。 『あなたは金と銀を取って、冠を作り、それをエホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、彼にこう言え。 『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。 彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。 彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。 その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。』」 (ゼカリヤ書6:12~13)

わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。

9月16日(木) 今日は、詩編79篇と、ゼカリヤ書1~3章を読みましょう。 ダリヨス(ダレイオス)の第2年、捕囚後、紀元前520年。 ゼカリヤは続けて八つの幻を見ます。少しわかりにくいかもしれませんが、 どれも神殿再建に関係があります。 すなわち捕囚の辱めを受けていたユダヤ人の名誉が神によって回復されるという幻です。 「それゆえ、主はこう仰せられる。 『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。――万軍の主の御告げ。―― 測りなわはエルサレムの上に張られる。』もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。 『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」 (ゼカリヤ書1:16~17)

わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。

9月15日(水) 今日で、聖書通読は38周目を迎えます。 なんと、今週で旧約聖書が終わります。 今日は、詩編78篇と、ハガイ書の全部、1,2章を読みましょう。 ペルシャ王ダリヨス(ダレイオス)の時代、捕囚民がエルサレムに帰って来た頃です。 正確には紀元前520年頃に当たります。 ハガイの励ましの預言によって、打ちひしがれていた人々が神殿再建に取り掛かりました。 律法によれば、汚れたものに触れたものは、汚れたものとなる。 同じように、壊れた神殿での礼拝は汚れた礼拝になる。 だから1日も早く神殿を再建、完成するようにとの預言。 神殿建設を推進するユダヤ人の指導者ゼルバベルをメシアのように語っています。 『「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。 わたしは天と地とを揺り動かし、もろもろの王国の王座をくつがえし、 異邦の民の王国の力を滅ぼし、戦車と、それに乗る者をくつがえす。 馬と騎兵は彼ら仲間同士の剣によって倒れる。 その日、――万軍の主の御告げ。 ――シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。 ――主の御告げ。――わたしはあなたを印形のようにする。 わたしがあなたを選んだからだ。――万軍の主の御告げ。――」』 (ハガイ書 2:21~23)

そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。

9月14日(火) 今日は、詩編77篇と、ゼパニヤ(ゼファニヤ)書の全部、1~3章を読みましょう。 南王国でヨシヤの時代(紀元前640-609年)に、 偶像礼拝や罪への裁きを預言し、悔い改める者は残されるという預言をしました。 どんなに神を離れようとも、立ち帰るならば神は救ってくださること、 また、必ずそういう人々がいることを語っています。特に3章9節は、 ペンテコステの時に成就し、今も続いています。 「そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。 彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。」 (ゼパニヤ(ゼファニヤ)書 3:9)

私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。

9月13日(月) 非常に強い台風14号から守られますように! 今日は、詩編76篇と、ハバクク書の全部、1~3章を読みましょう。 【 1.なぜ悪人が栄え続けるか 1:1~4 】 ハバクク書の時期と場所は特定できませんが、多分、北王国を滅ぼし、自分たち(南王 国)を苦しめているアッシリア帝国を、ここでは指していると思われます。 【 2.バビロニアがアッシリアを倒す 1:5~7 】 カルデア人とは、バビロニア帝国を指します。しかし、アッシリアが滅んでも、バビロ ニアに変わるだけで、ユダヤ人にとって問題の根本解決にはなりません。 【 3.なぜ罪人が栄え続けるか 2:4 】 結局答えはわからないけど、高慢にならず、信仰によって生きるものは勝利を得、神に 祝福されます。 【 4.礼拝の時に歌われたものか 3:19 】 預言者の嘆きと主の答えが交互に出てきたり、文章も詩になっていますからエルサレム の神殿で司会者と会衆と聖歌隊などが交互に歌ったのかもしれません。 「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。 指揮者のために。弦楽器に合わせて。」 (ハバクク書 3:18~19)

アッシリヤの王よ。あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。

9月12日(日) 今日は、詩編75篇と、ナホム書の全部、1~3章を読みましょう。 北王国イスラエルを滅ぼし、自分たち、南王国を散々苦しめたアッシリア帝国が、今まさに滅ぼされようとしている、という預言です。実際、紀元前612年に、アッシリア帝国は新バビロニア帝国に取って代わられました。ナホムはその頃の人です。 [アッシリヤの王よ。あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。あなたの民は山々の上に散らされ、だれも集める者はいない。あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。] (ナホム書3:18~19)

あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。

9月11日(土) 今日は、詩編74篇と、ミカ書4~7章を読みましょう。 指導者の罪とエルサレムを中心としたメシア的、 特にベツレヘムにメシアが出生するという預言をします。 このようにミカの預言は不信仰や罪に対して厳しいのですが、 同時に神の憐れみによって回復が語られるところに特徴があります。 「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。 あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、 そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、 すべての罪を海の深みに投げ入れてください。 昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、 いつくしみをアブラハムに与えてください。」 (ミカ書6:18~20)

彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる。

9月10日(金) 今日は、詩編73篇と、ミカ書1~3章を読みましょう。 ミカ書は美しい希望に満ちた預言書です。 ミカは南王国のユダの預言者で「ヨタム王、アハズ王、 ヒゼキヤ王の時代」ですから紀元前8世紀の最後の頃です。 北王国の首都サマリヤと南王国の首都エルサレムの偶像崇拝の罪への裁きが語られ、 同時に回復も語られます。 「打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。 彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる。」 (ミカ書2:13)

主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

9月9日(木) 今日は、詩編72篇と、ヨナ書1~4章を、一気に全部読みましょう。 はじめに、巨大な魚に飲み込まれたヨナという預言者の一種の物語のようになった書です。 魚に飲み込まれた人が、果たして三日間も生きておられるのだろうかというような所など、 この物語そのものに興味を惹かれるかもしれません。これはそのような事実物語ではなく、 何かを語ろうとする預言書なのです。 バビロン捕囚中の苦しみの中で祈ると、神は祈りを聞いて助けてくださる。神は愛と哀れみに満ちた神です。 かつて自分たちを苦しめたアッシリア帝国の首都ニネベの人々が、神の裁きに会わず、 悔い改めたので救われました。(神はどのような人でも悔い改めるならば救います。 ヨナは、憎む敵が祝されたのを見て、不平を言いました。この物語が書かれた時代、 ユダヤ人は外国人と結婚を禁じたりして、外国人排除をしていました。それは間違っています。 これがヨナの預言です。神は全ての悔い改める人を救われます。 ヨナのメッセージは、イエス・キリストに近いです。

う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。

9月8日(水) さて、聖書通読は37週目を迎えました。 なんと!再来週からは新約聖書へと向かっていきます。 これまでの険しい山をいくつも越えて、今は以外と早く読み進めると思います。 今日は詩編71篇と、オバデヤ書1章を読みましょう。 オバデヤの名前は「主に仕える者」と言う意味です。 オバデヤ書は旧約で一番短い書です。 これは捕囚中の預言書です。 私たちは預言書と言うと、すぐ将来のことを〈予言〉する内容と思い込むかもしれません。そうではなく、 (1)過去のことを語る。 (2)未来のことの予言。 (3)現在のこと。 (4)神への祈り。 こういう四つのことが語られています。 オバデヤ書も過去のことと、未来のことが語られています。 内容はただ一点、エドムに関する非難とさばき。(エドムはヤコブの兄エサウの子孫です) 【(1)過去のことを語る】11節 バビロニア軍が南王国ユダを滅ぼした時にそれに手を貸した。 【(2)未来のことの予言】15節 エドムの人々は、必ず「主の日」(いつかわからないが主がさばかれる日)にさばかれる。 [救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。] (オバデヤ書1:21)