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「これはわたしのからだです。」「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」

9月29日(水) さて、今日は、詩編92篇と、マルコの福音書14章を読みましょう。 この章は、イエスの受難と埋葬、空の墓の発見です。 イエスを殺す計画が立てられます。 ベタニアで香油を注がれます。 ユダが裏切りを企てます。 主の晩餐を行います。 ペトロの裏切りを予告します。 ゲッセマネで祈ります。 イエスが逮捕されます。 最高法院で裁判を受けます。 ペテロが、予告通り、イエスを知らないと言います。 「それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。 『取りなさい。これはわたしのからだです。』また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。 彼らはみなその杯から飲んだ。イエスは彼らに言われた。 『これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。』」 (マルコ14:22~24)

その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

9月28日(火) 今日は、詩編91篇と、マルコの福音書13章を読みましょう。 イエスと弟子の一行は、長い1日が終わり、ベタニアに帰る途上、 イエスは弟子たちに、イエスの死後に弟子たちに起こる全てを予め語ります。 神殿の崩壊を予告します。 終末の徴候を予告します。 大きな苦難を予告します。 人の子が登場することを予告します。 いちじくの木の教えを説きます。 目を覚ましていなさいと、要求します。 「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」 (マルコ13:31~32)

家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。The cornerstone.

9月26日(日) さて、今日は、詩編90篇と、マルコの福音書11~12章を読みましょう。 「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、 『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、 ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、 すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」 (マルコ11:23~24) 「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。 これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。」 (マルコ12:10~11) 「イエスは答えられた。『一番たいせつなのはこれです。 「イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。 『すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。』 『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。』」 (マルコ12:28~31)    

では、人の子について、多くの苦しみを受け、さげすまれると書いてあるのは、どうしてなのですか。

9月25日(土) さて、今日は、詩編89篇と、マルコの福音書9~10章を読みましょう。 【受難の予告】 イエスは三回もご自分の受難について予告されました。(8章と9章) そして、イエスの公生涯が、十字架と復活に焦点を合わせられているように書いています。 マルコによる福音書は必要最小限のことだけ、短く、しかし生き生きと描写しています。 私たちにとってはマルコによる福音書だけでは何か物足りなく、もっと知りたいという気持ちにさせられます。 他の三つの福音書も与えられていることに感謝したいと思います。 四つの福音書を合わせて、イエス・キリストのなさったこと、教えられてことを学ぶようにしましょう。 「彼らはイエスに尋ねて言った。『律法学者たちは、まずエリヤが来るはずだと言っていますが、それはなぜでしょうか。』 イエスは言われた。 『エリヤがまず来て、すべてのことを立て直します。 では、人の子について、多くの苦しみを受け、さげすまれると書いてあるのは、どうしてなのですか。 しかし、あなたがたに告げます。エリヤはもう来たのです。 そして人々は、彼について書いてあるとおりに、好き勝手なことを彼にしたのです。』」 (マルコ9:11~13)

娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。

9月23日(木) 今日は、詩編87篇と、マルコの福音書5~6章を読みましょう。 マルコの福音書は他の福音書に比べると「教え」が少なく、病人の癒しや奇跡が多く書かれています。 これはイエスが神の子キリストであることに重点を置いているからだと思われます。 ●悪霊に取り憑かれた人をいやす ●十二年長血をわずらっている女性、イエスの着物に触れていやされる ●五千人の給食の奇跡 ●湖の上を歩く など 『ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、 何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、 「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。そこで弟子たちはイエスに言った。 「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか。』とおっしゃるのですか。」 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、 イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。そこで、イエスは彼女にこう言われた。 「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」』 (マルコ5:25~34)

あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。

9月22日(水) 今日から聖書通読も39週目に入ります。 そして、今日から新約聖書に入ります。 今日は、詩編85篇と、マルコの福音書1~2章を読みましょう。 【イエスの時代のユダヤ地方を知りましょう。】 ローマ帝国はその地方の有力者を領主にしたり、ローマから派遣した総督を置いたりして統治しました。 イエス・キリストの主な活動地ガリラヤは、土地の有力者が領主となり、 また、サマリヤ、ユダヤは、ローマから派遣された総督によって支配されていました。 【マルコによる福音者】 新約聖書の各書の名前がつけられたのは、紀元2世紀になってからです。 ですから著者マルコがどんな人であったかは、今となってはわかりません。 しかし、紀元2世紀の教父が、使徒12:12に出てくる「マルコと呼ばれたヨハネ」 が福音書を書いたと言っていますので、そうかもしれません。 【病人のいやし】 マルコによる福音書は、全体の五分の一近くが、病人のいやしについて書いています。 病気は汚れた霊によるものと考えられていました。 「ヨハネは、ラクダの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 彼は宣べ伝えて言った。『私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。 私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。』 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、 ご覧になった。そして天から声がした。 『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』」 (マルコ1:6~11)

見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。

9月21日(火) 今日で聖書通読は、旧約聖書が終わりです。 おめでとうございます。本当にお疲れ様でした。 旧約聖書を通読した感想はいかがでしたか? それは新約聖書に読み進んでみると、感涙するかもしれませんね。 今日は、詩編84篇と、マラキ書1~4章(新共同訳1~3章)を読みましょう。 【正しい礼拝を】マラキ2:1~2 礼拝のことが語られていますから、捕囚から帰り、神殿礼拝も再開された後の預言書ですが、詳しいことは不明です。 【突然来られるメシアの予言】マラキ3:1 メシアの到来は突然であるから、そのための心の準備をするように。 【メシア到来の予言】マラキ4:1~2 (新共同訳3:19~20) 【メシア到来の準備をする者】マラキ4:5 (新共同訳3:23) バプテスマのヨハネにおいて成就されました。 「見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。 彼は父の心を子に 子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって この地を撃つことがないように。」 (マラキ3:23~24) +++ 旧約聖書のまとめ +++ (1)アダムの罪…アダムの罪(原罪)は、とどまることなく続きました。 (2)神の賛美…罪人を祝福しようという神の約束(アブラハムへの約束)は、決して曲げられることなく続きました。 (3)メシア予言…やがて出現するメシアの到来が、見え隠れして、一貫して流れています。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。

9月20日(日) 今日で、ゼカリヤ書は終わり、明日のマラキ書で旧約聖書は終わります。 気を緩めないで、最後まで旧約を読みましょう。 と言っても、通読の最初に、マタイ、ヨハネ、使徒を読んでいるので、 マルコからですね。 今日は、詩編83篇と、ゼカリヤ書12~14章を読みましょう。 ゼカリヤ書の特徴は、やがて神が全く新しい祝福を注いでくださるという、 メシア的な希望に満ちた預言であることです。 「その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。 彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、 その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」 (ゼカリヤ書12:9~10) 聖書検定で難解な聖書を優しく理解し世界を知ろう!

見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。

9月19日(日) 今日は、詩編82篇と、ゼカリヤ書9~11章を読みましょう。 9章以下は、イザヤ書の時と同様に「第二ゼカリヤ書」と呼ばれ、 紀元前4~3世紀に追加されたのではないかと考えられています。 マタイ福音書21:1~11のイエス・キリストのエルサレム入場の予言になりました。 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。 見よ。あなたの王があなたのところに来られる。 この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。 それも、雌ろばの子の子ろばに。 わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。 戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、 その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。」 (ゼカリヤ書9:9~10) 旧約聖書の中で最も難しい書と言われるゼカリヤ書の中で、 特に難しいく、理解に苦しむのは11章と言われています。

外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。

9月18日(土) 今日は、詩編81篇と、ゼカリヤ書7~8章を読みましょう。 エルサレム神殿破壊の七十周年を翌年に控えた状況です。(7:5) 神は、情熱と憤りを持って、イスラエルの運命の逆転を宣言します。 離散した世界中の神の民の集合を宣言します。 「残りの者よ」と呼ばれていた人々は、 「ユダの家よ。イスラエルの家よ。」と国家的な呼び名を得ます。 こうして第一ゼカリヤ(1~8章)は諸国民の告白によって終了し、 下記の節のような結論を迎えるのです。 「万軍の主はこう仰せられる。『再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来る。 一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、 「さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の主を尋ね求めよう。私も行こう。」と言う。 多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、 主の恵みを請うために来よう。』万軍の主はこう仰せられる。 『その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、 ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、 『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。 神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。」 (ゼカリヤ書8:20~23)