私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
11月8日(月)
今日は、詩編133篇と、フィリピの信徒への手紙(ピリピ人への手紙)の3~4章を読みま
しょう。
「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。
それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、
律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、
信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」
(ピリピ3:7~9)
「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕えようとして、追求しているのです。
そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。」
(ピリピ3:12~14)
「けれども、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」
(ピリピ3:20)
「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。
主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、
すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、
そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」
(ピリピ4:5~8)
「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。
また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
(ピリピ4:12~13)