ブログ – ページ 105 – 聖書検定協会公式サイト

ブログ

天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。

1月7日(金) 昨日は都心でも10cmの積雪がありました。 転ばないように、ゆっくり、ゆっくり歩きました。 雪国の方から見たら、「それしきりの雪で大騒ぎして」っと思われるでしょうが。 さて、今日は、マタイの福音書13~14章を読みましょう。 【イエス・キリストはたとえで話される】 「イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」」 (マタイ13:35~36) 《種を蒔く人のたとえ》(マタイ13:1~9) 《毒麦のたとえ》(マタイ13:24~30) 《からし種とパン種のたとえ》(マタイ13:31~33) 《天の国のたとえ》(マタイ13:44~50) 【イエス・キリストのいやし・奇跡】 《五千人の給食》(マタイ14:13~21) 《湖の上を歩く》(マタイ14:22~33) 《ゲネサレ(ゲネサレト)で病人をいやす》(マタイ14:34~36)

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

1月6日(木) 今日は、マタイの福音書11~12章を読みましょう。 今の時代、特に心に沁みるみことばの数々ですね。 【イエス・キリストの生涯の目的】 福音書を読んでも、イエス・キリストの生涯の詳しいことはわかりません。しかし、彼の教えや行ったことはよくわかります。そのことを記録したのが福音書であるということです。イエス・キリストは、その教えや行ったことを通じて、神がどのようなお方であるかを示されました。これが、イエス・キリストの目的でした。「イエス・キリスト知った者は、神を知った者である」と言えます。 [すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」] (マタイ11:28~30) 「イエスは彼らに言われた。「あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでしょうか。人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、正しいのです。」」 (マタイ12:11~12) 「しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」」 (マタイ12:48~50)

医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

1月5日(水) 初仕事、お疲れ様です。 お正月もあっという間でしたね。 さて、今日は、マタイの福音書9~10章を読みましょう。 【病人を癒しました。】マタイ9:1~9 マタイによる福音書の約1割余は、イエス・キリストが病人を癒した記事です。また、不思議な奇跡も行われました。これらはイエスが神の性質を持ったお方であるということを証明しています。 「イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると、彼は起きて家に帰った。群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」 (マタイ9:1~9) 「イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」 (マタイ9:12) 「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」」 (マタイ9:16~17) 「すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。」 (マタイ9:20~22)

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

1月4日(火) 箱根駅伝は青学大が大会新記録で2位と10分以上の大差をつけ圧勝でしたね。 原監督は、「青学メソッド」を選手が自律(自立ではなく)して守ったからですと言いました。名付けて「パワフル大作戦」と言うらしいです。 私たちには最高の「聖書メソッド」がありますね! 「ハレルヤ大作戦!」でまいりましょう! さあ、今日は、マタイの福音書7~8章を読みましょう。 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」 (マタイ7:1~3) 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」 (マタイ7:7) 「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」 (マタイ7:12) 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。」 (マタイ7:13) 「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」 (マタイ7:24) 「イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」」 (マタイ78:20) 「イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。」 (マタイ78:23~26)

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

1月3日 (月) お正月三ヶ日、穏やかな良い天気に恵まれて、箱根駅伝でも見ながら ゆっくりできましたでしょうか? 毎年恒例でゴール地点の日本橋あたりに応援に行っていますが、 自粛ということでテレビで観戦する事にします! さて、今日は、マタイの福音書5~6章を読みましょう。 「イエス·キリストは説教、教育をしました。」マタイ5:43~48 イエス·キリストは色々な機会に、人々を教えました。それは、一人の人間としてではなく、あたかも神が教えているように、権威を持って、はっきりと教えられました。他の箇所では、たとえ話を多く用いて教えています。 「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。」

天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

1月2日(日) どんなお正月を過ごされましたか? 元旦に銀座、有楽町界隈に行ってみましたが(徒歩5分なので)、 ほとんどの店は閉まっており、人もまばらでした。 今日から初売りで賑わうことでしょう。 さて、長い一年です。 通読ができなかった日もあるかもしれません。 その時は取り戻そうと思わないで、その日に進んでいる通読箇所から 再開していただくと良いと思います。 今日は、マタイの福音書3~4章を読みましょう。 【イエスは成人してからある目的のために働き始めました。】マタイ3:13~17 「正しいことを全て行う」ために、イエスは宗教的な活動を始めました。30歳ごろのことでした。どんなことを行うためでしょうか。 [さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」]

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

2022年1月1日 (土) 明けましておめでとうございます。 2022年は素晴らしい道が開け、恵みの川がとうとうと流れる希望の年になりますよう祈ります。 さて、今年も聖書通読の旅にご一緒に出かけましょう。 聖書のみことばから神様の愛をたくさん頂きながら、幾山も越えてまいりましょう 第5級聖書検定テキストの「聖書通読難易度マップ」を参照に進めてまいりましょう。 最初の6週間で、マタイの福音書、ヨハネの福音書、使徒の働き(使徒言行録)を2章づつ読みます。その後、旧約聖書の1ページから、順に進みます。 キリスト教信仰の中心は、イエス·キリストにかかっています。聖書はイエス·キリストのみが本当の神を表していると教えています。ですから、まずイエスキリストについて読みましょう。どんなお方だったのでしょうか。 今日は、マタイの福音書1~2章を読みましょう。 【イエス·キリストは神でした】マタイ1:18~25 イエス·キリストの生涯は「不思議なこと」で満ちています。人間の姿をとっていますが、私たちとは明らかに異なっています。イエス·キリストは神の性質を持っています。福音書を読み進んでゆけば、普通の人間では考えられない奇跡的な力を持っていたことが書いてあります。 [マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。] (マタイ1:21) 【イエス·キリストは人でした】マタイ2:1 イエス·キリストは不思議なお方でしたが、同時に、私たちと全く同じ姿をした一人の人間でした。当時世界で一番大きかったローマ大帝国の中に生まれました。人間の歴史の中に、一人の人間として生まれました。ローマ帝国の中のユダヤと呼ばれる小さな地域は、ローマ帝国から承認されたヘロデという人によって治められていました。イエス·キリストは彼の在任中に生まれた人です。  

一年の締めくくり

12月31日(金) 今年一年、本当にありがとうございました。 さあ、また明日から聖書通読を、マタイの福音書から始めましょう! そして、一年の締めくくりに、「主の祈り」を読みましょう。 もしお差し支えなければ、声に出してお読みください。 天にまします我らの父よ。 ねがわくは御名をあがめさせたまえ。 御国をきたらせたまえ。 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。 我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。 我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。 我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。 国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。 アーメン。

患難から希望へ!

12月30日(木) 来年はこの患難から、希望に導かれますように! 「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、 練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。 なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、 神の愛が私たちの心に注がれているからです。」 (ローマ 5:3-5)  

あなたのお気に入りのみことばは?

12月29日(水) 今年も我慢の1年でした。 来年は、希望の暁が見られますように心より祈ります。 皆様とご一緒に進めてまいりました、聖書通読ですが、 きっとこれらのみことば(聖句)に励まされたことと思われます。 あなたのお気に入りの(励まされた)みことばは何でしたか? 今日はこのみことばを選んでみました。 「『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石になった』というのはこの方のことです。 この方以外には、だれによっても救いはありません。 天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」 使徒の働き4:11-12 もう一つ、力強いみことばを選んでみました。 「主があなたがたのために戦われる。」 出エジプト記14:14