ブログ – ページ 158 – 聖書検定協会公式サイト

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わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。

7月24日(金) 今日でイザヤ書は終わりです。 今日は詩編26篇と、イザヤ書64~66章を読みましょう。 イザヤ書は代表的な預言書です。 イザヤ書を直接読むことによって、預言書というのが、 だいたいどのようなものであるかが、おわかりいただけたと思います。 文章は詩的に書かれています。 自由な型の詩になっています。 ところどころに美しい句が見い出されます。 そのようなものを味わいながら読み進んでください。 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。 先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、 わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。 見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。 (イザヤ65:17,18)

まことに、あなたは私たちの父です。

7月23日(木) 今日は海の日 明日はスポーツの日 いつも神様の日 今日は詩編25篇と、イザヤ書61~63章を読みましょう。 神を父と呼ぶことにより、神のあたたかい心を表現しています。 まことに、あなたは私たちの父です。たとい、アブラハムが私たちを知らず、 イスラエルが私たちを認めなくても、主よ、あなたは、 私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。 (イザヤ63:16)

飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。

7月22日(水) 今日は詩編24篇と、イザヤ書58~60章を読みましょう。 「第三イザヤ(56章〜66章)」も内容は明るい希望に満ちた預言が多く語られます。 [飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、 やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。主は絶えず、 あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。 あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。] (イザヤ58:10~11)

わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

7月21日(火) 曇天続きでも、熱中症には注意して、こまめに水分、塩分を補給しましょう! 今日は詩編23篇と、イザヤ書55~57章を読みましょう。 「第三イザヤ」(56章〜66章)には、一つには、礼拝を大切にしなさいと言います。 神殿も再建され、気の緩みがちな人々に、礼拝の大切さを語っています。 [わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。 彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。 わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。] (イザヤ56:7) 有名な詩篇23篇です。 [主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。 私の杯は、あふれています。 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、 私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。]

彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

7月20日(月) 聖書通読は今日から30週目に入ります。 今日は詩編22篇と、イザヤ書51~54章を読みましょう。 「第二イザヤ」(40章から55章)のもう一つの特徴は、将来、ある人の「僕(しもべ)」が現れ、 その人は人々の罪を背負って苦しみを経験すると預言しています。もちろん、 これは、イエス・キリストによって成就されます。ここは旧約聖書の中でも有名な、そして不思議な預言です。 以上のように「第二イザヤ」も補習からの解放を時間的に、順を追って書いているのではなく、 バラバラに、またあるところは、繰り返し神の御心をあれこれ語っています。 [彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。 人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。 だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。 しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。] (イザヤ53:3~6) [わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。 遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。] (詩篇22:1) 詩篇22章は古くから「メシヤの受難の詩」と呼ばれています。 十字架上のイエスの叫びでもあります。(マタ27:46)

見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。

7月19日(日) 今日は詩編21篇と、イザヤ書48~50章を読みましょう。 「わたしは、わたしの名のために、怒りを遅らせ、わたしの栄誉のために、 これを押えて、あなたを断ち滅ぼさなかった。 見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。 わたしは悩みの炉であなたを試みた。 わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行なう。 どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。 わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」 (イザヤ48:9~11)

わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。

7月18日(土) 今日は詩編20篇と、イザヤ書44~47章を読みましょう。 ▪️「罪を許す神」 神に背いたイスラエルの民は、捕囚となりました。しかし、それで終わりではなく、罪を許し、故郷に帰してくださいます。 しかし、その後もまた罪をおかします。アダムの罪はまだまだ続くのです。 [わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」] (イザヤ44:22) ▪️「どのようにして解放されたか」 バビロニア帝国は、より強いペルシア帝国によって滅ぼされました。そのペルシアの王がクロス(キュロス)という人でした。寛大にも捕囚民を解放しました。考えられないようなことが起こって自由になれました。 [主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。] (イザヤ45:1)

見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。

7月17日(金) 今日は詩編19篇と、イザヤ書40~43章を読みましょう。 初代イザヤが死んでから200年近い歳月が流れ、時は「バビロン捕囚」の時、イザヤの流れをくむ、とある預言者が出て神の御心を語りました。これがイザヤ書40章から55章であり、この部分を「第二イザヤ」と呼ぶ人々がいます。 ▪️「喜びなさい、捕囚の時は終わろうとしています。」 イザヤ書40章以下は、捕囚の屈辱は終わり、解放の希望を語りますので、とても明るい内容となります。 [「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」] (イザヤ40:1~2) ▪️「人の考えも及ばない、不思議なことを行われる神」 捕囚の民が再び故郷に帰ることができるというのは奇跡に近い難しいことです。 しかし、自然界を自由に操ることにできる神は、どんなことでもなさる全能の力を持っておられます。第二イザヤには、そのような全能の神の力がよく語られています。 [見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。] (イザヤ43:19~20)

これがあなたへの主からのしるしです。主は約束されたこのことを成就されます。

7月16日(木) 今日は詩編18篇と、イザヤ書38~39章を読みましょう。 [そのとき、イザヤに次のような主のことばがあった。 「行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられます。 『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。 わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう。 わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、この町を守る。』 これがあなたへの主からのしるしです。主は約束されたこのことを成就されます。] (イザヤ38:4~7) 明日からは、「第二イザヤ」と呼ばれている、イザヤ40章から55章に入ります。 モーセを通して律法を与えられたイスラエルの民は、大変宗教的な民族となりました。 子供の時から律法を教えられ、唯一の幕屋(神殿)を中心に生活していました。 当然信仰熱心な人もいました。逆に不信仰な人もいました。 そんな中で「神の御心を語る人」が自然発生的に出ました。 その人をヘブライ語で「ナービー」といいますが、日本語では「預言者」と訳しています。 有名な預言者のところには弟子が集まり小さな学校のようになり、 先生が死んでも同じ流れをくむ学校のようなものは続いたと思われます。 明日からの「第二イザヤ」をお楽しみに!

私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。

7月15日(水) 今日は詩編17篇と、イザヤ書34~37章を読みましょう。 「アッシリアを恐れるな!アッシリアに屈するな!」と預言しています。 以上のようにイザヤ書は歴史的に順を追っては書かれていません。 色々な預言がバラバラにまとめられています。 39章までが一区切りです。 「ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしを冒涜したあのことばを恐れるな。今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」 (イザヤ37:5~7) 「神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。」 (詩篇17:6~8)