ブログ – ページ 152 – 聖書検定協会公式サイト

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あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。

9月21日(月) 今日から聖書通読も39週目に入ります。 そして、今日から新約聖書に入ります。 今日は、詩編85篇と、マルコの福音書1~2章を読みましょう。 【イエスの時代のユダヤ地方を知りましょう。】 ローマ帝国はその地方の有力者を領主にしたり、ローマから派遣した総督を置いたりして統治しました。 イエス・キリストの主な活動地ガリラヤは、土地の有力者が領主となり、 また、サマリヤ、ユダヤは、ローマから派遣された総督によって支配されていました。 【マルコによる福音者】 新約聖書の各書の名前がつけられたのは、紀元2世紀になってからです。 ですから著者マルコがどんな人であったかは、今となってはわかりません。 しかし、紀元2世紀の教父が、使徒12:12に出てくる「マルコと呼ばれたヨハネ」 が福音書を書いたと言っていますので、そうかもしれません。 【病人のいやし】 マルコによる福音書は、全体の五分の一近くが、病人のいやしについて書いています。 病気は汚れた霊によるものと考えられていました。 「ヨハネは、ラクダの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 彼は宣べ伝えて言った。『私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。 私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。』 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、 ご覧になった。そして天から声がした。 『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』」 (マルコ1:6~11)

見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。

9月20日(日) 今日で聖書通読は、旧約聖書が終わりです。 おめでとうございます。本当にお疲れ様でした。 旧約聖書を通読した感想はいかがでしたか? それは新約聖書に読み進んでみると、感涙するかもしれませんね。 今日は、詩編84篇と、マラキ書1~4章(新共同訳1~3章)を読みましょう。 【正しい礼拝を】マラキ2:1~2 礼拝のことが語られていますから、捕囚から帰り、神殿礼拝も再開された後の預言書ですが、詳しいことは不明です。 【突然来られるメシアの予言】マラキ3:1 メシアの到来は突然であるから、そのための心の準備をするように。 【メシア到来の予言】マラキ4:1~2 (新共同訳3:19~20) 【メシア到来の準備をする者】マラキ4:5 (新共同訳3:23) バプテスマのヨハネにおいて成就されました。 「見よ、わたしは
大いなる恐るべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。 
彼は父の心を子に
子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって
この地を撃つことがないように。」 (マラキ3:23~24) +++ 旧約聖書のまとめ +++ (1)アダムの罪…アダムの罪(原罪)は、とどまることなく続きました。 (2)神の賛美…罪人を祝福しようという神の約束(アブラハムへの約束)は、決して曲げられることなく続きました。 (3)メシア予言…やがて出現するメシアの到来が、見え隠れして、一貫して流れています。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。

9月19日(土) 連休初日ですね。 「GoToトラベル」を利用する方もおられるでしょう。 どうぞ旅の安全が守られますように祈ります。 今日で、ゼカリヤ書は終わり、明日のマラキ書で旧約聖書は終わります。 気を緩めないで、最後まで旧約を読みましょう。 と言っても、通読の最初に、マタイ、ヨハネ、使徒を読んでいるので、 マルコからですね。 今日は、詩編83篇と、ゼカリヤ書12~14章を読みましょう。 ゼカリヤ書の特徴は、やがて神が全く新しい祝福を注いでくださるという、 メシア的な希望に満ちた預言であることです。 「その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。 彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、 その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」 (ゼカリヤ書12:9~10)

見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。

9月18日(金) 今日は、詩編82篇と、ゼカリヤ書9~11章を読みましょう。 9章以下は、イザヤ書の時と同様に「第二ゼカリヤ書」と呼ばれ、 紀元前4~3世紀に追加されたのではないかと考えられています。 マタイ福音書21:1~11のイエス・キリストのエルサレム入場の予言になりました。 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。 見よ。あなたの王があなたのところに来られる。 この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。 それも、雌ろばの子の子ろばに。 わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。 戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、 その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。」 (ゼカリヤ書9:9~10) 旧約聖書の中で最も難しい書と言われるゼカリヤ書の中で、 特に難しいく、理解に苦しむのは11章と言われています。

外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。

9月17日(木) 菅新総理は、耳が大きくて、対面する人の方に角度がついていますね。 ちょうど、手を耳にかざして、よく聞こうとするような感じです。 民の悩みをよく聞いてくれる首相になるといいですね。 今日は、詩編81篇と、ゼカリヤ書7~8章を読みましょう。 エルサレム神殿破壊の七十周年を翌年に控えた状況です。(7:5) 神は、情熱と憤りを持って、イスラエルの運命の逆転を宣言します。 離散した世界中の神の民の集合を宣言します。 「残りの者よ」と呼ばれていた人々は、 「ユダの家よ。イスラエルの家よ。」と国家的な呼び名を得ます。 こうして第一ゼカリヤ(1~8章)は諸国民の告白によって終了し、 下記の節のような結論を迎えるのです。 「万軍の主はこう仰せられる。『再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来る。 一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、 「さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の主を尋ね求めよう。私も行こう。」と言う。 多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の主を尋ね求め、 主の恵みを請うために来よう。』万軍の主はこう仰せられる。 『その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、 ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、 『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。 神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ。』と言う。」 (ゼカリヤ書8:20~23)

見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。

9月16日(水) 今年は、秋が短いとか。 しかし、食欲の秋、芸術の秋とはよく言ったもので、 本当に美味しいものを食べたいと思い、芸術の鑑賞をしたいと思いますよね。 たっぷり秋を楽しめるといいですね。 今日は、詩編80篇と、ゼカリヤ書4~6章を読みましょう。 捕囚後のエルサレムのユダヤ人は、大変苦しい生活でした。 しかし、神殿再建は、必ず成し遂げられます。 なぜなら、どんな反対にあっても、再建は主の霊によって成されるからです。 エパ(エファ)升(36ℓ容量)の中に罪を全部詰め込み、 シヌアル(シンアル)(バビロンの古名)にもっていくという幻です。 これも分かりにくい幻です。言おうとしていることはバビロンがその罪の報いを受けること。 そして自分たちユダヤ人がその罪を取り除かれて、神殿を中心にした新しい生活を始めることの預言です。 『あなたは金と銀を取って、冠を作り、それをエホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、彼にこう言え。 『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。 彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。 彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。 その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。』」 (ゼカリヤ書6:12~13)

わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。

9月15日(火) ちょと涼しくなり過ごしやすくなりました。 新しい内閣が発足します。 過ごしやすい日本になりますように。 主の恵みと平安が注がれますよう祈ります。 今日は、詩編79篇と、ゼカリヤ書1~3章を読みましょう。 ダリヨス(ダレイオス)の第2年、捕囚後、紀元前520年。 ゼカリヤは続けて八つの幻を見ます。少しわかりにくいかもしれませんが、 どれも神殿再建に関係があります。 すなわち捕囚の辱めを受けていたユダヤ人の名誉が神によって回復されるという幻です。 『それゆえ、主はこう仰せられる。 「わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。――万軍の主の御告げ。―― 測りなわはエルサレムの上に張られる。」もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。 「わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。」』 (ゼカリヤ書1:16~17)

わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。

9月14日(月) 今日で、聖書通読は38周目を迎えます。 なんと、今週で旧約聖書が終わります。 今日は、詩編78篇と、ハガイ書の全部、1,2章を読みましょう。 ペルシャ王ダリヨス(ダレイオス)の時代、捕囚民がエルサレムに帰って来た頃です。 正確には紀元前520年頃に当たります。 ハガイの励ましの預言によって、打ちひしがれていた人々が神殿再建に取り掛かりました。 律法によれば、汚れたものに触れたものは、汚れたものとなる。 同じように、壊れた神殿での礼拝は汚れた礼拝になる。 だから1日も早く神殿を再建、完成するようにとの預言。 神殿建設を推進するユダヤ人の指導者ゼルバベルをメシアのように語っています。 『「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。 わたしは天と地とを揺り動かし、もろもろの王国の王座をくつがえし、 異邦の民の王国の力を滅ぼし、戦車と、それに乗る者をくつがえす。 馬と騎兵は彼ら仲間同士の剣によって倒れる。 その日、――万軍の主の御告げ。 ――シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。 ――主の御告げ。――わたしはあなたを印形のようにする。 わたしがあなたを選んだからだ。――万軍の主の御告げ。――」』 (ハガイ書 2:21~23)

そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。

9月13日(日) 空が高くなりましたね。 今日は、詩編77篇と、ゼパニヤ(ゼファニヤ)書の全部、1~3章を読みましょう。 南王国でヨシヤの時代(紀元前640-609年)に、 偶像礼拝や罪への裁きを預言し、悔い改める者は残されるという預言をしました。 どんなに神を離れようとも、立ち帰るならば神は救ってくださること、 また、必ずそういう人々がいることを語っています。特に3章9節は、 ペンテコステの時に成就し、今も続いています。 「そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。 彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。」 (ゼパニヤ(ゼファニヤ)書 3:9)

私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。

9月12日(土) 一雨ごとに、秋に近づきますね。 今日は、詩編76篇と、ハバクク書の全部、1~3章を読みましょう。 【 1.なぜ悪人が栄え続けるか 1:1~4 】  ハバクク書の時期と場所は特定できませんが、多分、北王国を滅ぼし、自分たち(南王   国)を苦しめているアッシリア帝国を、ここでは指していると思われます。 【 2.バビロニアがアッシリアを倒す 1:5~7 】  カルデア人とは、バビロニア帝国を指します。しかし、アッシリアが滅んでも、バビロ  ニアに変わるだけで、ユダヤ人にとって問題の根本解決にはなりません。 【 3.なぜ罪人が栄え続けるか 2:4 】  結局答えはわからないけど、高慢にならず、信仰によって生きるものは勝利を得、神に  祝福されます。 【 4.礼拝の時に歌われたものか 3:19 】  預言者の嘆きと主の答えが交互に出てきたり、文章も詩になっていますからエルサレム  の神殿で司会者と会衆と聖歌隊などが交互に歌ったのかもしれません。 「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。 指揮者のために。弦楽器に合わせて。」 (ハバクク書 3:18~19)