ブログ – ページ 139 – 聖書検定協会公式サイト

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人に従うより、神に従うべきです。

1月28日(木) 今日は、使徒の働き(使徒言行録)5章、6章を読みましょう。 使徒の働き(使徒言行録)は、ペンテコステの出来事が、事のおこりで、 今に至るまで続いていることを語り伝えようとしています。 そのようなつもりで使徒の働き(使徒言行録)を読みましょう。   「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。 私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。 そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、 このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。 私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。』」 使徒5:29~32

使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。

1月27日(水) 聖書通読は、今日から第5週目に入ります。 使徒の働き(使徒言行録)3章、4章を読みましょう。 ●聖霊の不思議な働きとして「いやし」があります。 聖霊は足の不自由な人をいやしました。(使3:1~10) ●聖霊の不思議な働きとして「信仰をもたせること、説教」があります。 弟子が、イエス・キリストについて語ると、たくさんの人が信じました。 また、弟子たちが語る時には、聖霊が働いて、大胆に語ることができました。(使4:1~10) 「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」 使徒4:31~33

あなたがたの息子や娘は預言し、 青年は幻を見、老人は夢を見る。

1月26日(火) さあ!今日から使徒の働き(使徒言行録)に入ります。 イエス・キリストは「十字架の死と復活」の予告をされたように、 「聖霊が降る」という約束も予告されました。(使徒1:3~5) 2章では、聖霊が突然降り、弟子たちの舌が勝手に働いて、外国語を話し始めたという不思議なことが起こりました。 天地創造の前から存在していた聖霊とは、神(の働き)です。 風のように、目には見えない聖霊が、流暢な外国語を話すという形をとって、弟子たちに現れたのです。 弟子たちはこの不思議な体験によって、神が今も生きて働かれていることを体験しました。   「神は言われる。 終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 すると、あなたがたの息子や娘は預言し、 青年は幻を見、老人は夢を見る。」 (使徒2:17)  

イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

1月25日(月) 今日はヨハネの福音書21章を読みます。 ナント、今日でヨハネの福音書も終わりです。 ヨハネ20:19-23で、復活中のイエス・キリストは聖霊について語られました。 これは「使徒の働き(使徒言行録)」の全てにおいて実現しました。 明日から「使徒」を読み進めましょう!   「イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』 ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。 『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』 イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」 (ヨハネ21:17)

これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

1月24日(日) 今日はヨハネによる福音書19~20章を読みましょう。 再び【十字架の窓を通して】 福音書は、神が人となったお方、イエス・キリストの教えられたことと、なされた事とがかいてあります。 特に、その方が、十字架上で死に、復活されたことが書いてあります。 1.「罪のゆるし」 2.「神と人との和解」 3.「私たちの重荷を共に負ってくださる」 4.「永遠の命の約束」 5.「新しく生まれかわるために」 旧約聖書も、新約聖書もこの五つを明らかにするために書かれている、膨大な書物です。 「この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」 (ヨハネ20:30~31)

父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。

1月23日(土) 今日はヨハネによる福音書17~18章を読みましょう。 【イエスの祈り】 「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。『父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。』」 (ヨハネ17:1~3) 「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」 (ヨハネ17:24~26) 【裏切られ、逮捕される】 「そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、『だれを捜すのか。』と彼らに言われた。彼らは、『ナザレ人イエスを。』と答えた。イエスは彼らに『それはわたしです。』と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らといっしょに立っていた。」 (ヨハネ18:1~5)

あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

1月22日(金) そうです、私たちは、今まさに患難の中を通っています。しかし、勇敢であるようにします。なぜなら、私たちの主はすでに世に勝ったお方でありますから。 今日はヨハネによる福音書15~16章を読みましょう。 【神と人間の和解】 神は全知全能で、聖く、正しいお方ですから、私たちはおそれ多くて、神の前に出ることすらできません。しかし、罪が許されて、清められましたので、安心して神の前に出ることができます。神と仲良く交際しても良くなりました。このような神と人間の関係を作り上げるために、イエス・キリストは十字架の上で、人間の罪の犠牲となってくださいました。 神と私たちは良い関係になりました。神があなたの親友です。あなたは気軽に神に話しかけても良いのです。このような神と人との和解の関係は一時的なものではなく、あなたの望む限り、永遠に続きます。何故ならば、あなたの罪は完全に、永遠に許されるからです。そのために支払われた代償があまりにも高価で尊いからです。それは、神が人とtなったお方、すなわち、キリストの命を犠牲にしているからです。 「『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』」 (ヨハネ16:33)

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」

1月21日(木) 今日はヨハネによる福音書13~14章を読みましょう。 いよいよ、受難と復活の章に入ります。 【弟子の足を洗う】 「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」 (ヨハネ13:14~15) 【裏切り者の予告】 「イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。』」 (ヨハネ13:21) 【ペテロの離反の予告】 「イエスは答えられた。『わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。』」 (ヨハネ13:38) 【イエスは父に至る道】 「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」 (ヨハネ14:6) 【聖霊を与える約束】 「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」 (ヨハネ14:17~18)  

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

1月20日(水) 今日はヨハネによる福音書11~12章を読みましょう。 「私は死んだらどうなるのでしょうか。」これは。誰もが持つ心の中の問いです。そして、誰もこれに答えることはできません。証明できないからです。もし、これに答える方法があるとするならば、事実として死に、事実として死後の状態を見せることです。キリストは、人が死んだのち、新しい体をもってよみがえることを見せました。そして、神の国(天国)において永遠に生きます。このような単純な心理を、わかりやすい事実を通して示すために、人々の見ている前で、十字架の上で死に、大勢の人々の前に復活されました。 「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。』」 (ヨハネ11:25)

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

1月19日(火) 今日はヨハネによる福音書9~10章を読みましょう。 【生まれつきの盲人をいやす(シロアムの池)】 「またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。』イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。『行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。』そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。」 (ヨハネ9:1~7) 【羊の囲いのたとえ】 「『まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。』イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。そこで、イエスはまた言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。』」 (ヨハネ10:1~11)