初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 – ブログ

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1月15日(土) 大学入学共通テスト頑張ってくださいね。 それにしてもなぜ一番寒いピークに行われるのでしょうか? さて、今日から、ヨハネによる福音書を読みましょう。 マタイによる福音書とは、少しおもむきが異なります。しかし、イエス・キリストの【教え】と【なされたこと】が書いてあるという点においては同じです。 そして、十字架と復活に焦点が合わされていることも同じです。 新約聖書はもっぱらイエス・キリストのことが書いてあります。旧約聖書はイエス・キリストに向かって書かれています。そのイエス・キリストの教えとなされたことは、十字架に焦点が合わされていました。すなわち、聖書の核心は、イエス・キリストの十字架(死と復活)です。 十字架という窓を通して、聖書全体を読みましょう。 今日はヨハネによる福音書1~2章を読みましょう。 【神が人となった】ヨハネ1:1,14 ここで、「ことば」というのは、キリストのことを指しています。唯一の全能の神が貧しい人間となって姿を現し、惨めな十字架上の死を遂げられた、というのが福音書の語ろうとしているところです。 [初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。] (ヨハネ1:1~5) 「ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」この事があったのは、ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた。その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」」 (ヨハネ1:26~34)

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