その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。 – ブログ

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8月24日(木) 今日は詩編56篇と、エゼキエル書46~48章を読みましょう。 エゼキエル書は今日で最後です。お疲れさまでした。 神殿から流れ出る水は死海まで達します。 生命の源である神殿から流れ出る水は、生命の象徴です。 (エデンから流れる川とリンクしているようです) 川のほとりは植物がよく成長し、 人が生活するのに最も恵み豊かな土地です。 『彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。 神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。 ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。 見ると、水は右側から流れ出ていた。… 彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか。」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。 海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。この川が流れて行く所はどこででも、 そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。 この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。』 (エゼキエル書 47:1~2,6~9) 最後に句は、エゼキエルにとって、主の臨在こそが希望の源であり、これこそが、この書全体の真ん中に流れている思いです。 『町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、「主はここにおられる。」と呼ばれる。』 (エゼキエル書 48:35)

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