キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。 – ブログ

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10月20日(木) 今日は、詩編110篇と、ローマ人への手紙9~10章を読みましょう。 「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。 しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」 (ロマ10:1~4) ここで「彼ら」と言われているのは、旧約聖書の民イスラエル人です。 律法を与えられたのに傲慢になり、律法を守っている自分たちだけが救われると誤解していました。 神はそんなつもりで律法を与えたのではないと論じています。 律法そのものは良いものでも、これを受けた人の「罪」のゆえに、誤解が生じました。 パウロはこの誤解をしていた代表的な人でしたが、聖霊の導きで、正しい理解に進みました。 すなわち、根源的なあのアダムの罪からの救いは、 ただ神の恵みとしてのイエス・キリストの十字架によって与えられます。

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