神様へ、 第1級聖書検定試験受検の機会と合格の恵みをお与えくださったことを、こころより感謝し賛美を捧げます。 聖書検定協会のスタッフ(採点者、電話での連絡対応者、問題作成者他) すべての方へ、 5級から1級までのすべての段階において、丁寧な解説、講評、励ましなど様々な側面からお導き、ご指導いただき本当にありがとうございました。ただただ感謝あるのみです。 さて、今回は1級の受検でしたが、そもそもキリスト信者でありながら、聖書のみ言葉をこれほどまでに体系的に学んだことも、またこれほどまでに広範囲にわたって理解したこともなかったので、ここ数年間はとても充実した学びの時間でした。検定試験の受検と合格勝ち取りが1つの動機付けとなり、また聖書勉強の目標ともなり、聖書の勉強の学びの姿勢にいつも以上の真剣さが加わって、受検後の疲労感はとても心地よい満足感に代わっていました。 試験問題(今回の級に限らず)はテキストから偏りなく出題されていて、本当によく考えてある問題だなあと、(受検後におちついてから)思いました。テキストの方も難解な語句はやさしく解説されていて、また、理解が一筋縄ではいかない内容のものも丁寧に説明をしてくださっていたのでとても助かりました。 今回の1級の試験は、これまでの2級までの試験の時以上に、自分の聖霊の賜物を試されているようで、本当に考えさせられました。特に、釈義の問題への対応は思うようにいかずまだまだ勉強不足を実感するいい機会となりました。まだまだ、勉強が足りません。いつしか、賜物が果実になるようにと思っております。 これからも、今まで以上に神のみ言葉を学び、知識を増やすと同時に行動が伴ったキリスト者になるように、真実なる神に向かって、キリストの道を、聖霊の導きを受けながら、すすみ、多くの人と交わりながら生きていきたいと思います。 本当にありがとうございました。
仕事で夜勤中に時間があり、この時間に何かをしたいと思い聖書検定の勉強を始めました。1級に合格できたことを嬉しく思います。 テキストについてくる御言葉カードが楽しみでした。1級は記述問題が多く、これと言った答えがないのが難しく感じました。 手軽に受けることができ、夜勤中の静かな時間に勉強して「合格」という結果を手にすることができてよかったです。 暗唱聖句が毎回出題され、覚えなければならなくなり、その御言葉が生活の中での励ましになり、御言葉を蓄えることの重要性がわかりました。 本当にありがとうございました。
主の御名を賛美致します。 洗礼を受けて何年も経ち、聖書も何回か通読し、でも何か足りなさを感じていました。私は本当に聖書を、福音を、理解しているのかな?と。でも神学校へ行く程の決心も無く、信仰書や注解書は偏りがあったりして、聖書をもっと体系的に学びたいと思っていました。そんな時に出会ったのが本検定です!教会学校へ行ってなかったので、唱で聖書66巻を覚えられて嬉しかったです。他にも毎週の礼拝や聖書通読だけでは知り得ない事、例えば中間時代や聖書の成り立ち等、学べて良かったです。1級では釈義もあって、聖書について初級から上級の手前ぐらい?まで網羅している感があります。 更にギリシア、ヘブライ語も合格を目指したいと思います。 本当に、信徒にも、そうでない方にも、受けて欲しいと思うような検定でした。そして何よりも、デザインが良い!私は表紙のデザインが好きです。ありがとうございました。
お陰様で三度目の正直で合格証書を頂きました。 この春(2023年3月)に神学校を終了しつつ、昨年春に家内(かつみ)と再婚しましたが、家内は教会の協力牧師をしており、爾来、毎日毎朝自宅祈祷会並びに一日も休まず聖書の学び三昧の日々でした。 思えば実家が仏教の中、亡き母があえて九州福岡の西南学院中学校へ入学を許してくれた事で初めて聖書に触れ、かつ毎日授業前の礼拝の学校生活でしたが、聖書を学ぶ授業ですら居眠りの時間と化していた状況でした。 そんな私が長じて、トルコやイスラエル(3回)に出張で訪問し、エルサレムに行ったのも今から早39年前頃になりましょうか。その時はまだクリスチャンではなく、仕事と観光の目的で楽しく過ごした日々でしたが、クリスチャンとして振り返ってみると恵まれた思い出ばかりでした。 今やイスラエルとアラブの高まる緊張、紛争は、世界の耳目を中近東に集め、釘付けにしていますが、聖書の学びを体系的に深めてくれた聖書検定は素晴らしい導き手となり、丁度Daniel SokatchイスラエルVsアラブの最新著作を読み解き始めておりますのも、聖書検定1級まで学びを積み上げ、これからは、死んだような歴史と文献でなく、生きた人類の世界と課題に取り組む立派な備えとなりました事、聖書検定の皆々様並びに神学校の助け手の諸先生のおかげに異なりません。 深く感謝申し上げます。 Amen
洗礼を受け、10年になりますが、毎週のメッセージや聖書通続だけでは理解できない事が多い中、3年前に体調を崩し、20年近く勤めた介護職を退職。療養生活を続ける中、2023年春頃より検定試験を開始。教会の姉妹達にも祈ってもらいながら、無事、2023年12月、1級を合格する事ができました。 子供の頃から勉強は大の苦手でしたが、このテキストはとにかく読み易くわかり易い説明とカラフルな差絵で構成され、あきがこないようあらゆる工夫がされていました。勉強したシーンがちょうど、礼拝のメッセージとリンクした時は、まるで大きなスクリーンで映像を見ているような気分になり、心の中で大興奮でした。ささやかな私の日常生活が聖書を通し、喜びと希望、平安に満ちた人生に変えられている事に、更にこの検定試験に拍車をかけてもらえたようで、聖書検定にチャレンジして本当に良かったと心から思いました。ありがとうございました。 今後の益々のご発展、ご活躍、恵みと大きな祝福がスタッフの皆様、お一人、おひとりにありますようお祈りを続けさせてもらいますね。私も皆様のように、御言葉、イエス様に従う者へと変えられたいと思います。
とてもわかりやすいテキストで、楽しく勉強できました。 ただ、一級の試験は、一夜漬けのようになってしまったので、やはり日頃から、これはどういう意味だろうか?と。考えながら聖書を読むことが大事だと思わされました。 次は、こども聖書検定・旧約聖書編にチャレンジします。もっともっと聖書を勉強してこどもたちに、伝えていきたいです。
1級までの合格は無理とあきらめていました。2級合格をもらった後、いろんな事情から学びを中断せざるを得なくなりました。そんな時、試験のやり方の変更の知らせが届き、ずいぶん悩みました。受けた結果は不合格でした。 この1年「くやしい」思いを胸に学んでみました。そして、なんとか合格できました。うれしくて、一人で満面の笑みを浮かべていました。この学びは私に大きな恵み与えてくれました。新約の通読がとても楽しいものに変えられていきました、感謝です。 スタッフの先生方の励ましにも心から感謝致します。
教会で宣教師である方が英会話を教えておられ、授業の最後にバイブルクラスがあり、その時に聖書検定の案内書をいただきました。半年前のことです。 試験を受けてみたいという思いにかられ、5級から4級と順に受けさせていただき合格することができました。 しかし、1級の試験は私には難かしく感じましたので合格できないと思っていました。半ばあきらめておりましたのに、合格の通知をクリスマスの時期に受け取り、神様からのクリスマスプレゼントと思い大変喜んでおります。 聖書に対する興味の持ち方が変わってきたように感じます。
1級聖書検定は5~2級までに学んだ内容を踏まえ、広く理解が必要でした。学んだことを振り返りつつ(覚えたつもりでも忘れていることが多かったので‥)、学びを進めていました。テキストの内容も難しくなって、挫折しそうになりましたが、受検して合格ににどりつけ、とても嬉しいです。 知らない言葉、知識がたくさんあり、すべてを理解できたとは言えませんが、今まで知らなかったことを知ることの楽しさを体験できました。
日本の大学に行った時に、聖書を発読み始めました。 (子供の頃、台湾の教会の日曜学校に行った時は、クリスチャンにはなりませんでした。) 特に台湾に帰国して、日本のような聖書を読む友達もいないので 教会の聖書勉強会にも慣れませんでした。 その後日本に行った時、銀座の教文館に行って聖書検定の本を見つけることができました。 でも日本国内在住でないと試験が受けることができませんでした。 しかし、父の日本在住の友人に頼んで、送付先となってもらい、 その友人から台湾に郵送をしてもらうことができました。 聖書検定のテキストを通して、聖書の勉強が理解しやすく、すごく助かりました。 本当に日本のクリスチャンは幸せだと思います。
ー聖書検定協会よりー 黄子珊さんは、第1級聖書検定を受検するために、台湾から東京のホテルに宿泊して受検をされました。
聖書は世界一読まれている本ですし、興味はある! でも、あの分厚さ、そして一見した時の内容のとっつきにくさに読むのをためらってきた… そんな皆様に大変オススメなのがこの聖書検定です!
一人で修行のように読むよりもずっと興味深く、分かりやすく聖書を読みはじめられます。「キリスト教入門」「聖書入門」的な一般書は何冊も読んだことがありますが、それらでは感じられなかった「入門」した感じ、聖書に、キリスト教に、出会った感じを強く感じたのが聖書検定でした!
ありがとうございました!私にこの検定をオススメしてくれた先輩にも感謝です!
真のクリスチャンとして第1級に合格できたことに誇りと自信を持っています。
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
この聖句は、私の中でも特別な輝きを放っています。
2022年アドベント
主よ
せめてこの聖なるこの時は
世界中の人々が
あなたの愛を感じることができますように。
世界中の人々に平和を祈ります。
アーメン
・カラフルなテキストが送られてきて楽しみでしたが、初めのうちは少しとまどいました。本箱では目立ってよかったです。
・保守的な考えの方から、前進的な聖書の考えの方迄の人達に納得してもらうような、説明迄をしようとされていて、中立、中道、バランスを守るのはご苦労があると思われ、保守的な考え方をして育てられた者の一人としては有意義な学びでした。
・聖書の「きも」というべき「ポイント」への気づきをうながして下さったので助かりました。
・各級テキストの例題と模範解答という試みは、これだけは押さえておくようにとのメッセージのように受け取ることができて、確認行為ができて良い助けになりました。
・聖書地図には「現代の地名」と入っていて色が変えてあり参考になり有難たかったです。
・1級の時の受検の時は、問題が時間の割には記述式の割合が多くなっていて、少しとまどいました。最後の問題には手がつけられませんでしたし、その手前の質問も、選択だけでなく記述しなさいとの形式でしたので、「エー、この場面で未だ書くのですか?」という状況になってしまいました。それは、問題数が、それも書かせる問題が1級は多いので、初めの頃の問題は超スピードでやらないと、という「心がまえ」でのぞんで受検すべきだったなーと思いました。
・そのため、終わりの方の解答用紙には「あせり」が出て、「読みにくい」記述になり申し訳無いことになってしまいました。お許し下さい。
・1級の公式テキストの黙示録の模範解答の説明と6ページに及ぶその解説は、私にとっては成程「ふにおちた」ものでしたので嬉しかったです。幾冊もの資料と著書にトライアルをしてみたのですが、短く回答して下さるものには行きつくものには出会えませんでしたが、今回は納得をすることが大分とできたようです。
・「読みかえすことのできなかった老人の受検生の用紙に目を通して頂き感謝致します。」
・今後の受検をされる方々のためとも思いながら書かせて頂きました。
1級は記述問題が多く、制限時間ぎりぎりとなって殆ど見直しもできず、大変手ごわい試験でしたが、無事合格できてほっとしております。
聖書は世界人口の3割を占めるキリスト教徒の聖典で、史上最高のベストセラーと言われ、実際、特に欧米のマスメディアや日常会話等で聖書のフレーズが引用されることも多いようですし、聖書を知らぬまま一生を過ごすというのは、何とも残念な話です。以前から是非一度は読み通したいと思っていましたが、何せ全部で66巻、2千ページに上るこの膨大な本を読みこなすのは至難の業で、今迄かなわなかった次第です。
そんな中、聖書検定に巡りあえて夢がかなうことになりました。特に良かったと思ったのは、初学者の視点に立った分かりやすい説明と、中立的で決めつけ、押し付けの感じられない自然な解釈(分からないものは分からないとしています)、テーマ毎にフォローできる分量に区切り(全5冊、57項)、初歩から専門へとレベルアップできる構成で、難解語句や聖句の説明、またトリビア、更には充実した付録付きのテキストによって、まるで本当の講義を受けているような感じが得られ、これが大いに聖書通読の支えになったことです。
今後も5級~1級で学んだポイントを忘れず、できるだけ聖書をいつも手元に置いて、謙虚な気持ちでくり返し読み続け、自分自身の精神世界を豊かなものにしていきたいと思っております。
聖書という言葉だけ聞くと、今の現代人にとっては少し重くるしい、難しいイメージを持ちがちになりやすい為、興味関心を持つ方が珍しいかと思います。特に年配の方より若者の方が顕著に現れやすい傾向のように感じます。自分自身もその一人なのですが、このコロナ禍に入ってから少しでも自己投資をしたいと感じ、その中で見つけたのが聖書検定でした。
手軽に受けられるという事や比較的リーズナブルな値段で受けられる魅力に引かれて、気軽な気持ちで受検してきました。級の段階を踏むにつれ、最初あまり興味がなかった聖書について興味深くなり、それにより少しずつ知識量が増え、聖書の魅力を感じられるようになりました。
2~5級はスムーズに受検する事が出来、1級にもチャレンジしてみようと感じましたが、コロナ禍の会場試験で一時頭から遠ざかっていました。しかしある日朗報で2~5級と同じく通信による受検にして頂いた為、受検しやすくなり、チャレンジする勇気を頂きました。
聖書検定協会には本当に感謝しております。1級には無事合格を手に入れましたが、ここで終わりにする事なく、今後に生かせられる場面は少ないと思いますが、自己の自信向上のプラスとなり、本当に心から受検して良かったです。
・まずは1級に合格できて、大変うれしく思います。
・2級からの時間があまりなかったのですが、1級受検のチャンスが年に1度なので挑戦しました。結果、短期集中して勉強したので、覚えているうちに受検できてよかったのかもしれないです。
・教会学校の教師を長くしているので、自分の実力がどのくらい通用するのか図りたかった。
・今まではお話をする教案の箇所ばかりの学びになっていたが、今回の聖書検定で体系的に学ぶことができたし、理解が深まった。
・注解書を読むということもしたことがなかった。教会の図書室からコリント人への手紙を借りたが、大変勉強になったので、他の書も学びたいと思った。
・検定のテキストが立派なので、重くて持ち歩きには不向きだけど、字は大きくて見やすかったです。
主の御名を賛美します。
このたびはお励ましにより一級検定に参加させていただきましたことを深く感謝申し上げます。
今は聖書の学びはこれからと思っております。一級テキスト中の次のお言葉は最も心に残りました。「おもしろポイント」でタルムードについて書かれているところですが、その最後に「みごと『聖書検定』の第一級にパスしても、けっして『ユダヤ教のことをよく知っています』などとは言わないようにしましょう。」と書かれていて、私は自分の浅さを思い知らされました。これは生涯私の戒めです。
私は深い森のような聖書の入り口に立った所です。わけ入って行けば光は木の間から洩れて来ます。私は聖書探検者です。何とすばらしいことでしょうか。胸がわくわくします。鈴木先生のように、聖書のどこにでもすらりと行けたらいいな、と思っています。
私の一日はここ15年ほど続いている早天祈祷1日1章で始まります。司会は高崎市の恵みキリスト教会の藤原幸生牧師です。又、5年ほど前から聖書全巻書写をボールペンで続けています。今、2回目に入っています。書写の友人の益川佳子姉が検定に挑戦を始めました。もっと加えられるようお祈りしています。
私は、子どもから大人まで信徒が聖書全体を学ぶ必要性を感じていました。コロナ禍、一人で学べる教材として聖書検定に出会い、まず自分がチャレンジしました。さすがに1級は内容が豊富で、選択問題に1時間以上使ってしまい、記述問題では慌てて何度もシャープペンシルの芯を折りました。答案を送ったあと心配でしたが、合格証をいただき、これまでの学びが身になっていたことを実感しました。
教科書の記述にしばられず、本質が正しければ、異なる立場も正解でした。聖書検定は教会の中で学びの教材として、子どもにも大人にもお勧めできる検定だと思います。心から感謝いたします。
聖書を手に取ったこともない私でしたが、敬虔なクリスチャンの妻からイエス様の話を聞くうちに、気がついたら聖書検定へと導かれていました。
未知の分野でしたが、協会担当者皆様の温かいご教示のお陰で、いつしか5級・4級・3級・2級へと進ませて頂き、そして1級まで至ることができました。
聖書検定1級は、とてもとても自分は受検する資格はないと、考えていましたが、コロナ禍・世情混沌な今、想いを新たにし、朦朧とした状態での受検となりました。
ダメだとあきらめていましたが、1級合格の通知を受け取った時は本当に嬉しかったです。
今回の出来事が、神様のお導きによる私の聖書への入り口だと思っております。協会の皆様、いつも励まして頂きまして本当にありがとうございました。
「聖書検定」をきっかけとして、多くの方が聖書に接しキリストを知ることができればと思います。
皆様に主の恵と平安が豊かにありますようにお祈り申し上げます。
聖書検定を通じて多くのことを学ぶことができたので、心から感謝しています。
教会の門をたたいて、クリスチャンとなって約30年経ちますが、「神様からのラブレター」と呼ばれている聖書をもっと深く理解したいと思っていた頃、聖書検定を書店で知りました。
5級から始めていきましたが、「あっ!この聖句には、このような意味があったんだ!!」と今まで自分が知らなかった部分も聖書検定テキストには多くあったので貴重な学びの機会となりました。
イラストも多数掲載されていたのでわかりやすく、試験の解説も丁寧でとても有益でした。
また、通信教育制ということもあり、自分のペースで学ぶことができたのもとても感謝です!!
また、今回聖書検定で学んだことを、まだ救い主を受け入れていない人に伝えていく時に活かしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
19歳で受洗し、約半世紀が過ぎ人生の斜陽の時期を迎えた。仕事、家事などこの世的生活で忙しく、定年退職後も緩くなっているが仕事を続けている。心の真ん中には主がおられ祈りつつはあるが聖書を読みこなすことができず、人生の焦りの気持ちがあった。
4年前にネットで聖書検定があることを知り、すぐに取り寄せ夢中になり楽しく学べました。2級まで1年半くらいかかり、1級は難しくなっていて、最近は認知機能低下がみられ終了できないかもと不安がありました。
このコロナ禍、自宅受検できることになり、テキスト・過去問・暗唱を何回も繰り返し学習しました。楽しく聖書に触れることができました。ご指導いただきました先生方、本当にありがとうございました。
今後も更に学習していきたいと思います。
ほぼ1年前にスタートして、昨年末に1級に無事合格することができました。
私はキリスト教徒ではありませんが、永年バッハのカンタータや受難曲、ミサ曲等を聴いてきました。テキストは勿論聖書が中心です。オペラも好きで、キリスト教的な題材も多くあります。聖書が分からないと西洋音楽ないし西洋文化の理解は難しいと考え、知識として聖書についてよく知りたいと思っていました。そんな中、検定試験の紹介・申し込みのサイトで聖書検定を知り、今回の受検に至りました。
勉強を始めますと以前に見た手塚治虫の「旧約聖書物語」の見覚えのあるシーンが思い出されてその意味を改めて知ったり、オペラの「サロメ」のヨカナーンがバプテスマのヨハネであったことに驚いたり、ハイドンの「天地創造」はやはりこれだったのかと思ったり意味深いことの連続でした。2017年にイスラエルを訪ねましたが、その前にこの検定を受けておけばと思いました。
何とか最後まで勉強して、1級に合格できましたことを嬉しく思っています。
他の資格試験では終わるとその勉強をしませんが、今回は試験後もNHKの「100分で名著『旧約聖書』」を見返したり、未読であったキリスト教関連の電子書籍を読んだりしている自分に少し驚いています。
新たな豊かな世界を知る機会をいただきましたことに感謝いたしております。
受洗後、何十年か経ったが、読んでいない聖書箇所も多く、理解が難しいみことばも多かった。自分が正しく聖書を理解するためにも又、福音伝道するためにも聖書を学びたいと思っていた。
聖書検定は日常生活の合間に学ぶことが出来、テキストも項目ごとに簡潔にまとめられ、膨大な聖書に取り組みやすかった。
進化論を信じている人が多いようで、伝道の一歩が閉ざされることもあったが、進化論についても詳しく学べた。
又、愛という言葉の学びなど、色々学べて感謝します。
神様がすばらしい学びの時をくださったことを感謝します。教会の姉妹方3人と一緒に一年かけて学び合いました。私は30才でクリスチャンになり、72才でのチャレンジでした。42年間信仰生活をしてきましたが、テキストは良くまとめられていて新しい方と聖書を学ぶ時、参考にしたいと思います。 最後の一級は90分の限られた時間の中での解答で時間が足りず、最後のページは解答できず90点を目標に頑張っていたのですが80.8点で合格はできましたが…、でも4人で楽しく学べましたので、卒業できた満足感はあります。 問20-2, 問21は解答できず残念でした。それで聖書をしっかりと読み直そうと思っています。高齢者にはもう少し時間が欲しい!! 多くの日本人が聖書に興味を持ち、聖書検定を受ける者が起こされ、信仰が強められ、みことば理解が深められ、キリストの証人とされて生きる者とされますように祈っています。主にある尊い働きありがとうございます。
ハレルヤ!第1級聖書検定試験合格をいただき率直に嬉しいです。
5級の初歩的な聖書の知識から段階的に専門的な聖書知識へと学ばせていただき視界が広がっていきました。聖書の真髄がぎゅっとつまった『解説』、大版でカラフル、イメージが豊かにされる『デザイン』それぞれ親しみやすく宝物の1つとなりました。
共に学んだグループの仲間や先生方の励ましをいただき、とても充実した時でした。
答案用紙に毎回書いて下さったコメントにも感謝します。
『2年はかかるかな~?!』とあきらめかけることもありました。
しかし、この度は「最善を尽くすことが大切」と励まされ、『聖書から生きて働かれる神さまの愛』が流されたこと感謝です。
最初に私が個人的に学びをし、とても楽しく恵まれましたので、教会の婦人たちにも勧め、週1回持たれていた学び会を当てがう形で昨年1月から学びを始めました。
いつものように賛美と祈りをし、テキストを2課ぐらいずつ読むだけ。ほとんど予習もしません。新たに教えられてなるほどという内容が多く、時には私たちが教えられて来たことと少しニュアンスの違う内容もありましたが、私たちの聖書理解の幅は確実に広がりました。
また、「聖書に書かれていないのでわからない」と断言されていたことが痛快で、安心したりもしました。テキストを1冊終える度に訪れる試験は「70点で合格なのだから」と励ましながらの受検でしたが、やってみると皆満点取ろうと意欲満々。すばらしい60代・70代の4人組でした。
客観的に評価される機会の少ない私たち、また何より学んでいる内容が私たちの命である聖書ですから全員そろって1級合格できたことは大きな喜びであり、自信につながりました。丁寧なご指導に心から感謝しています。
今年もさらに御言葉を学んでいきたいとますます燃えている私たちです。
聖書の学び·理解を深めることができ、感謝しています!
コロナ禍の中で有意義な時間の使い方ができ、心の栄養にもなりました!
素敵なみことばカードも癒しになりました♪
どうもありがとうございました☆
今年最後の1級受受日に、何とか準備が間に合い受検して合格が叶いました。
受検に際して、協会からご親切な、ご指導アドバイスをいただき、高齢者の私は本当に助かりました。
来年は、呆けているかもしれないと思い、今年頑張りましたが、鈴木崇巨先生のテキストが無駄がなく、あまり苦労せずに学べ、分かりやすかったです。
1級の試験は、使徒の書簡がメインテーマでした。記述式問題に向けて、パウロの書簡を使徒言行録と関連付けて学び直しました。
受洗後50年目で、はじめて、パウロの書簡の意味が全体の流れの中で、少しですが 見通せた気がします。死ぬ前に、これが分かって感激です。
聖書は、日頃のデボーションで、一句の聖句に感激することが多いのですが、一連の流れの中で捉えると、全く違った面が見えてくることに驚きました。
日曜礼拝や、祈祷会では、大きな聖書の流れを扱わない事が多いので、今回は本当に、新しい観点で学ぶことができました。
聖書に精通しておられるクリスチャンの方にもお勧めしたい検定でした。
聖書検定を知ったのはバイブルハウス南青山のネットショップでの検索でした。
聖書通読を進めていくと単調で読むのが苦になる民数記やレビ記の細かい祭祀規定を、ビジュアル的な資料があれば楽しく読めるのではないかと探したのです。
検定ってどうかなと最初は思いましたが、5級から2級までの通信の学びはとても楽しかったです。
1級を受けたときは、過去問は読んでいたのに記述問題はやはり難しかったです。あと暗証聖句の重要性を思い知りました。何となく覚えている聖句の出典箇所が言えない常態でした。何とか合格できたものの、もっと学ぼうと思っています。
とはいえ信仰は学びがすべてではないので、祈りと教会生活を大切にみことばを魂に刻んでいきたいです。
2021年を迎え、今年の目標を聖書検定1級合格と決めて、母と一緒に5級から聖書検定の勉強を始めました。一緒に勉強することで、途中で諦めることなく勉強を続けることができ、母と一緒に1級合格の目標を達成することができました。母と次はギリシャ語の勉強を頑張るという新たな目標を持ってこれからも学びを継続していきたいと思います。
樹海のように果てしない聖書が、聖書検定の学びを通して、エリアマップのある大きな公園のようになり、聖書がもっと身近なものになりました。私は同時期に始めた息子の後を追って何とか続けることが出来ました。教会の婦人たちも、学びたいけれどもなかなか一人では続けられないというので、一緒に学ぼうかと検討中です。手書きでも一級の試験が受けられるようにしていただけたら嬉しいです。
先日、聖書検定1級の合格証が届きました。ありがとうございます。
今年の初めに、聖書検定の存在を知りまして、早速5級から挑戦させていただきました。まだ、幼かったころ、日曜学校に通っていたことがあり、その時に購入した聖書は持っておりましたが、もちろん通読などしたことがありませんでした。
検定用のテキストをすべて購入して、一つ一つテキストと聖書を読み進み、5級を受けるときには1度目の通読を終えることが出来て、自分でもびっくりしてしまいました。
4級、3級、2級、1級と興味を持ち続けて学べたのはとても分かりやすいテキストと先生方による各級受検時に頂けるコメントのおかげです。
93点という評価は大変うれしく思います。これで終わりにすることなく、ここからがスタートかな··と考えております。奥深い難解な聖書をこれからも大切に
読み続けていきたいと思っています。
毎回コメントいただいた先生方、感謝です。また、この検定にかかわってくださった先生方、感謝です。この検定に出会えたこと、神に感謝します。
ありがとうございました。
私は新型コロナ蔓延に伴い、令和2年の受検を延期し、令和3年10月に長野県内のテストセンターで受検した者です。
受検の動機は、一念発起して聖書を読んでみようと、そして聖書を学んで人生の参考にしようと、そう思い立ったからです。
幸いにして、良いテキストにめぐり会え、また鈴木崇巨先生の御著書二冊にもめぐり会え、得るところ大でした。
振り返ると悪戦苦闘の聖書勉強でした。第五級では聖書66が覚えられず数か月立ちすくみましたし、第一級ではコリント第一の難しい文章に何度も受検を断念しようと思いました。勉強ノートを読み返してみますと、聖書勉強には苦しみが多かったと思います。ですが、今となってはみんな良い思い出です。
昨年七月からの約一年半、右も左も分からぬよちよち歩きの私をここまで導いて下さった聖書検定には御礼の申し上げようもございません。
私は一昨年、定年退職して実家の母のもとに戻り、久しぶりに親子水入らずの平穏な毎日を過ごしておりましたが、母が突然要介護となってしまって以来、一転して老いと衰えを見つめる毎日となりました。テキストで習った戒めの言葉「メメント·モリ」を胸に刻み、今後は有意義な介護生活を生きて参ります。
私を聖書に導き中途挫折から守って下さった神様、ありがとうございました。
聖書検定の更なる御発展とここに集う皆様の御多幸をお祈りいたします。
昨年11月、教会の掲示板で聖書検定のポスターを見て、行けることろまで行ってみる、これ以上は無理だと思ったらそこを私のゴールとするという目標を立てて、第5級から初めてみましたが、その目標はいつの間にか、今年のうちに第1級に合格するというものに変わっていました。私は人名や地名を覚えるのが苦手なのですが、テキストに載っている名前の半分くらいは覚えられたような気がします。また、幕屋に関する記述など、文章だけでは理解しにくいことを、挿絵を見ながら視覚的に知ることができたような気がします。神には始まりも終わりもないのと同様に、神のみ言葉を学ぶことにもまた終わりはないと私は考えております。今後も何らかの形で学びを続けながら、神について少しでも知ることができればと考えております。1年間お世話になりました。
コロナ禍になって、でもこの時にしかできないことをしたいと思っていた時、教会の郵便物の中にあった「聖書検定」が目に留まり、「よし、今年限定で取り組もう。」と、不安もある中で申し込みました。
第1回、2月12日に5級を受検し、10月22日に1級の受検にたどりつき、合格をもらいました。言葉も文章も幼稚なままに、霧の中にいた自分が、クリアな世界を与えられ、聖書の登場人物や地理がとても好きになり、教会で会う方々と登場人物の性格を比較して楽しんでいます。
「おもしろポイント」は先輩のおしゃべりブレイクのようで、ここでも学ぶこと、考えることが多いです。受検の結果の点数が悔しかったり、講評でほめられると嬉しく家事をしたりと、励まされました。(一般的に言われる後期高齢に今年から入る年になると、ほめられ、単純に喜べることが少ない自分を発見。)
受検している間に受難週があり、イースター、ペンテコステも教会の暦にあり、受検が終わって、アドベントクリスマスシーズンとなりました。これらも「テキスト」を持って読み返しつつ学び続けます。教会や生活圏での話に少しでも、神様のこと、イエス様のこと、信仰の先輩のことを自然に話せるように生活していきたいです。「聖書検定」の存在も。
みなさまのお働きがこれからも祝福のうちに続けられますように。
本当に有難うございました。
聖書検定は信仰を深める事にもとても有効な方法と思います。
5級のテキストを手に取り、よく知っているアダムやイブのお話などから取り組み、むずかしいと中々開かなかった聖書がとても身近に思えました。
4級、3級と進むにつれ、時代背景、地図地理的な解説やイラストにより、ノアの箱舟や幕屋等、とてもわかりやすかったです。
2級からは聖書の本質を追求するように常に「あなたはどのように思うか。」と問われるように思いました。
そして1級に臨んだ時には、聖書をより深く理解できたと同時に、現代に生きる私たちはそこから何を学び、自分がどのようにこれから生きて行く事が大切かが、聖書の御言葉の中に記されていたのだと知りました。まるで聖書の中を旅したように私の人生を振り返りながら、時に涙して、時になつかしく、とても充実した学びの時間でした。
聖書検定は、正しく神の御言葉を理解するためのトレーニングプログラムで、そのテキストは第三の聖書のように今私の宝物となりました。
このチャンスを与えてくださったみなさまに心より感謝いたします。
戻していただいた解答用紙に添えたれたあたたかいお言葉、見守っていただいた事、本当にうれしかったです。
5級から1級までの学習を通じて大きな収穫は聖書の全体像がつかめたこと。今後、聖書とのお付き合いの方法が手にはいったことです。「聖書検定協会」に感謝。
試験当日、会場行きのバスのなかで突然、体調不良に襲われ、あわや、ピンチに手を差しのべて下さった「神様」に感謝。私は教会で15年以上読書会を仲間と共にしてきました。勿論、これも大きな収穫でした。その過程で聖書を正しく読み、学ぶことの重要性を痛感してきました。己の再教育の場を探していたところ牧師から聖書検定の存在を知らされました。
●聖書検定協会の「目的、理念、特徴」に賛同。特に、目的の「勤勉な国民性を捉え検定と言う媒体にしました」の発想は ユニークであり成功を祈る者であります。
●テキストについて言えば、著者は長く聖書を学校等で教えてこられた方であり、非常に分かりやすい。
●装丁には視覚に訴える力が込められており老若男女を問わず楽しく学べます。教材の中にある御言葉カードも魅力的なものばかりです。
●飛び級がないところ。各級毎に点数がつくので一つ一つ丁寧な学びが必要とされます。
●通信のため、教材を見ようと思えば見て点数をあげることも出来ますがその分、1級で苦労するでしょう。
●記述(釈義)の為の学習は論文形式であり、学習に深さが必要とされます。牧師等教職の苦労が偲ばれます。
●パソコン能力が試されます。当方も年齢からするとスマホの利用開始も早く、やれるつもりだったが最初は66巻の入力に35分もかかった。これでは難問の釈義まで進めません。努力して10分短縮はしましたたが。
●CBT試験方式の採用が斬新。苦労したが又、やってみたい。英検とか他の実務検定の人と一緒に受検し貴重な体験でした。皆さん是非、挑戦してみてください!
聖書検定1級を取らせていただきましてありがとうございます。昨年の12月頃にこの検定の存在を知り、長年教会に通っているものなので挑戦したいと思いまして5級から順番に勉強しました。
読みきれないほどの分量である聖書をわかりやすく簡潔にまとめたテキストには感銘を受けました。これなら誰がやっても聖書が何か?ということが理解できると思います。
また、聖書が書かれた歴史や旧約から新約までの空白の歴史について勉強できたのはプラスになりました。教会ではどうしても聖書の内容からの説教になりますので空白期間の歴史については知らない方も多いのではないでしょうか?
また、1級では第一コリントの釈義があり、それがきっかけで第一コリントがよく理解できるようになりました。
検定を受けてから説教を聴いたり、聖書を読むと検定で学んだことを思い出しながら理解を深めていけるように感じました。
今までありがとうございました。
ハレルヤ、聖書検定第1級に合格できて感謝します。
思えば、1年前に教会の牧師先生が、「みんなで聖書検定を通して聖書の学びをして、来年には1級を目ざして頑張ろう。」と提案されたのが動機でした。
私は17歳で受洗し、今年は信仰生活40年の節目の年でしたので、挑戦してみました。神様のあわれみで、40年間主に礼拝を捧げ、奏楽の奉仕をさせていただいています。
いざ5級からの学びを始めてみますと、いろんな発見があり、良い学びの時となりました。(時間がある時に復習しようと思います。)
1級聖書検定試験は、パソコン操作での受検でしたので、不安だらけでした。(パソコン操作は苦手でしたので)私の年代でパソコン操作の受検で、それも、聖書検定1級の合格が与えられ、とても嬉しかったです。
主の恵みに感謝します。
聖書検定の存在を知った時、是非取得したいと思い勉強を続けてきました。
自分の中で正しい聖書理解ができたと思います。是非是非、初段⁈など更なる高みを目指した級の設定をお願いします!
絶対受験します!
良い勉強の機会を与えていただきました。
これからの、自習に役立ちます。
さらに、学んでいきます。
こんばんは。合格通知が届きました。大変嬉しく受け取り、家族にも祝福されました。
今回はコロナ禍の中、各地で受験できるようご尽力くださりありがとうございました。
試験の内容は、もう少し記述式の設問があると準備していましたので、あと2~3問そういった設問があるとよいかなと思いました。一級なのである程度骨折れる内容もよいかと思います。
是非今後ますますこの聖書検定試験が広められたらと願います。尽力できることがあれば、何なりとお申し付けください。
とにかく大変嬉しかったです。勉強になりました。
ありがとうございます。
家族にも知人にもクリスチャンの居ない私は、大きな力に導かれて教会に辿り着き、洗礼を受けました。けれど当然、聖書も教義も、詳しいことは何も知りません。そんなとき、書店で、聖書検定の案内を見つけたのです。
聖書検定は、テキストがカラーで楽しく、数千年の時を超えて、当時の人々の暮らしに連れて行ってくれます。まるで疑似体験のように聖書の教えに触れるので、入信前・入信したての方でも理解しやすく、覚えやすいです。
受験はちょっと・・・と思う方でも、聖書にご興味がおありなら、聖書検定のテキストだけでも、持っておいて損はないと思います。見やすくまとまった資料集として活用できます。
1級まで進めば、釈義の出題もありますので、聖書によく馴染んでいる信徒の方でも、更に一歩進んだ理解に導かれることでしょう。
2020年のコロナ禍による「巣ごもり」タイム、この聖書検定を、5級から順々に進めてゆき、有意義な時間にすることができました。ありがとうございます。今回、惜しくも3点差で最高点を逃したこともあり、またいつか1級を受験したいと思います。
聖書検定1級受験感想記
1級に合格した。教会生活30年。六角精児ではないが、♪30年付き合って確信が持てた そう、「聖書知識と信仰心は比例しない」ということである。
私はH/Tの“聖書塾”“神学講座”の修了証も保有するが同じ感覚である。
でも、それなりに聖書に接してはきた、とは言えるであろう。
この受験勉強を通じて強く感じたのはTEXTのつくりのよさである。聖書全体をくまなく扱うことをせず、重要度の高いものを重点的に扱っている。それに文体も穏やかで快い。これはこのtextだけでなく、鈴木崇巨先生の著作全般に言えることである。
基本は聖書全体を俯瞰的に捉え、その上で基幹となる書を中心に展開している。
これは注解書などには求めることができない視点で、平信徒にとってとても馴染みやすい聖書解説書ともいえよう。
2級は旧約中心、1級は新約、の傾向だが、1級は新旧全域を押さえるものにするやりかたもあると思えるが、合格ラインを下げなくてはならないかも知れない。
第1級聖書検定試験に合格できてとても嬉しいです。ご指導、ありがとうございました。年初に広告を見て、年内に合格するという目標をたてました。テキストはカラフルで文章がわかりやすく、勉強のやる気を起こさせるものでした。今回の学びで、今まで読んできた聖書の内容が繋がったことは感謝です。いかに知らない事が多いかを認識させられました。5級から2級までは、自宅で行って郵送しましたが、添削が丁寧で、総評を読むのが楽しみでした。生と死、病、ジェンダーなどの神さまの領域にある事を、聖書から答えを導き出すのは、難しいことだと思いました。1級のテストはオンラインテストのためか、過去問にくらべて記述がはるかに少なかったとおもいます。使ったテキストはこれからも活用するつもりです。
わたしはクリスチャンではありませんが、聖書は人生に一度は読んでみたいと思っていました。
4年ほど前に聖書と鈴木崇巨さんの「1年で聖書を読破する」を購入し、読破にチャレンジしたことがありました。
今となっては生活が充実していたのかわかりませんが、その時は仕事とかプライベートの忙しさで断念してしまいました。
コロナ禍になり会社も休業を行うということで外出も出来ない。それなら聖書をもう一度読もうと思い、さっそく「1年で聖書を読破する」 と聖書をもう一度購入し、朝から夜まで読んでいました。
ただ読み続けないと「仕事はどうなる?生活はどうなる?」という不安が出てきて読まずにはいられませんでした。その時はこころの避難所になっていました。正直内容は追いついてませんでしたが1ヶ月くらいで読破できました。そうするとまだ知りたい。理解したい。と強く思うようになりました。
その時にネットでこの聖書検定を知り、聖書の通信教育だと思いながら学ぼうと検定を受けさせていただきました。(しかもテキストはたまたま鈴木崇巨さんが著者)
聖句を覚えたり、聖書外の常識的な事とか、字を書いたり、5級が受かった時は懐かしい感覚の喜びがありました。
なかなか覚えが悪いし、字も汚い。そういえば何年もの間パソコンやスマホで字を書いたり覚えたりしてなかった自分に気がつきました。
世界に対する考え方とか、捉え方が変わり、自分自身が利己的であったことにも気づきました。
1級の認定書をいただいた時は、自然と神に感謝しました。
ほんとうにこの検定を受けてよかったです。
これからも聖書を読み続けます。
今年はコロナ禍で外出を控えて過ごし読書時間を普段より多く持てました。
読書にも目標を持とうと考えた末、若かりし時に途中で挫折した聖書の読破!?を目指しました。
その過程で聖書検定なるものの存在を知り、5級から段階を踏んで学習を続けました。
分かり易いテキストにプラスして関連書籍も沢山読みました。
最後の1級はパソコン苦手もあって受験には結構苦労しましたがなんとか合格することができました。
今後も見返しながらより理解を深めていくよう心掛けてまいります。
今後ともよろしくお願い致します。
(1)コロナ禍と言う事で、CBT試験の実施のため、自宅近くの試験会場や日程を選ぶ事が出来て、受験しやすかったです。
(2)試験内容の、Ⅰコリントの釈義に関して、非常に難しく感じましたが、自分の理解の中から答えるしかないと思い、解答しました。でも、この問題は、クリスチャンになったばかりの方には難しくて、正直言って、大変と思います。
(3)1級は覚える事が沢山で、大変でしたが、聖書や注解書や教会の方に聞いたりして集中して学べた事を心から感謝しています。
聖書検定、略して「聖検(せいけん)」。クリスチャン・ホームに育った私にとって、「せいけん」と言えば、聖書研究、略して「聖研(せいけん)」でした。ただ、「聖研」にはどこか学ばなくてはならないものというイメージが付き纏った一方で、「聖検」は聖書そのものをさらに深く読もうとの思いに私を導いてくれました。言うなれば、「聖検」は、本当の意味での「聖研(聖書研究)」へのチャレンジ(挑戦)を促してくれたのです。
第1級聖書検定試験に合格出来たこと、大変嬉しく思います。とても達成感があります。妻の紹介で聖書検定を知り、約一年間学び続けてきました。まず感じたのは、テキストがとても分かりやすく、フラットな視点で書かれている点です。キリスト教会には様々な教派があり、自分達の教派が正しく、他の教派の意見を断罪する方も多い中、聖書検定のテキストの内容は、中立な立場からの内容で安心できました。また、創世記からヨハネの黙示録を全体的に網羅されていて、自分の知らなかった事を多く発見できた時は大きな喜びを感じました。 受洗してから5年経ち、教会での奉仕も少しずつお手伝いさせていただく中で、もっともっと聖書のことを深く学びたい、神さまのことをもっと知りたい、という思いが大きくなってきました。そんな時に聖書検定に出会いました。これは神様の導きだったのではないか?と思っております。 試験後の鈴木先生の茶話会は、とても楽しかったです。貴重なお話もお聞きできましたし、何よりも鈴木先生の人柄に触れ、その柔和な言動に感動しました。そして、代表の村上様、関係者の皆様、このようなすばらしい機会を与えて下さり、本当にありがとうございました。今後も応援し続けます。
聖書検定とこの度出会えたことは、大変感謝なことでした。今年5月頃にお茶の水のクリスチャンセンター内の本屋さんでみつけ、5級より学んでいきました。このような聖書の学び方は初めてでしたので、とてもありがたい機会でした。聖書の内容について系統立てて学びができました。また聖書理解・キリスト教信仰の根本的な理解について、旧約時代からイエスさまが生まれてからのユダヤ教についてなど、聖書には書かれていない事柄まで多くのことを知ることができました。大変興味深かったです。1級は2級合格後、時間もなく勉強不足での受検であったため、甘い採点で合格させていただいた感じです。 5級から順を追って勉強してきて感じていることは、まだまだ聖書のことがわかっていないし、もっともっと聖書を読み続けていきたいということです。 聖句暗記も、細かい事柄などもすぐ忘れてしまうたちですので、聖書検定のテキストは5級から1級まで身近に置いて、これからも復習し続けたいと思います。一緒に聖書を学ぶ友人達にも紹介致しました。多くの方がこの聖書検定に出会い、よい刺激を受けられて、創造主である神様の素晴らしさを知っていただきたいと望んでおります。ありがとうございました!! また1級に挑戦してみたいです!
500字以内の問題や、1000字以内の感想文、9項の2000字の釈義の問題などに答えられるように、何度も書いて備えをしていましたが、神様の恵みでしょうか、長い論文から救われました。合格点に達したことを喜んでいます。 第9項の釈義の問題はとても難しく、別冊のテキストも必要だと思いました。また不思議なことに、今はまちがえた箇所の答えが、しっかりと記憶に残っています。 聖書を通読するだけでは、なかなか頭の整理ができませんでした。テキストを通して学んだことが大きな益となりました。 ありがとうございました。
合格できるとは思っていませんでしたので、とてもうれしく思います。 やっと聖書の入口に立てた感じがします。私は64才から教会に行き、65才で洗礼を受けました。5年間、聖書を読み、もっと知りたく思い受検しました。試験中に聖書の神様が、多くのことをお示し下さいました。ありがとうございます。
聖書検定は絶対におすすめです。 聖書勉強に役に立つかもしれないと思い、今年3月からやり始めました。最初はそんなに大したことではないと思っていましたが、検定各級を勉強するにつれ、これはすばらしかったです。 50才を過ぎましたが、年と関係なく聖書勉強にとても役に立ちました。更に試験をとおして結果を目で確認し、とても楽しかったです。最終的に第1級の合格の結果を得て、今年は幸せいっぱいの年となりました。これからも聖書勉強をやりつづけたいと思います。このチャンスをくださった神様と聖書検定協会に感謝を申し上げます。
この度は、聖書検定1級の合格証をいただきましてありがとうございました。 私はクリスチャンではなく、これまで聖書を手に取ったこともありませんでした。ある日ふと、書店でこの検定のパンフレットを見かけて、ちょっと面白そうだなと思って、5級のテキストを買ってみたのが、2019年3月でした。40を過ぎての頭の体操のつもりで始めました。テキストはとても分かりやすく、子供の絵本のように易しい言葉で説明されていて、級を順に進んでいくと、気が付けば聖書を通読し、全体像が分かるようになっていました。そして、2019年11月、9ヶ月の時間を経て合格し、今は知識・教養が充実したような気持ちです。検定の趣旨とは異なるかもしれませんが、ビジネスマンの大人の教養としてとてもすばらしい一冊でした。神に感謝。
長年聖書を読み、学んできたつもりでしたが、聖書検定を通して、スッキリと整理されたような気がします。「難しい」ところは「難しい」、「わからない」ところは「わからない」と素直に書いてあるところも好感が持てるテキストです。 第1級を受検するに当たり、生命倫理等の現代的問題について特にしっかりテキストを読みました。しかし、微妙な問題もあり、正解が無いようなこともあるので、試験として出すのはどうかと思うことも確かです。テキストに参考として記載するのは良いと思います。 昨年の過去問では、コリント人への手紙の釈義で1600字以上、という問題があり、非常に心配でしたが、今年は無かったので助かりました。 色々な解釈がある聖書を検定としてテキストを作成するのは非常に大変な作業であると思います。本当にご苦労様です。 読書離れが進む近頃ですが、ぶ厚い聖書を読んでみよう、学んでみようと思う方がひとりでも起こされるよう、この聖書検定が用いられるようお祈り致します。 ありがとうございました。
今年聖書検定を受け始めました。体系的に聖書を学びたいと思っていましたが、聖書検定を通して旧約聖書、新約聖書を俯瞰して学ぶことができました。クリスチャンとして今でも多くのことを聖書から学んできましたが、今回新たに学ぶことや感動することも多々あり感謝します。また、聖書に書かれていない歴史的な背景なども知ることができ、今後の学びにも、楽しみが深まりました。これからも、聖書を学び続け、神様、イエス様との関係を深めていきたいです。
長く聖書に接していると、良くも悪くも慣れが生じます。多くのインデックスが出来あがり、読んだことがある、知っている、という事が多くなってきます。それだけ聖書に関わった事であり、とても良い事ではあるのですが、困った事に、それがインデックスのみになってしまい、内容があやふやになってしまっている場合や、更に困った事に、その事態に気付いていない、ということになってしまっている場合があります。 求道者の頃、牧師が”ベテランクリスチャンというのは注意しないといけません。”とお話し下さった。私の心に時折、この言葉が浮びます。 気づくと、私もそう呼ばれる程の年齢と経験を重ねました。読んだ事がある。知っている、と思った時、すでに謙(へりくだ)り主のみ言葉を聞くという姿勢ではなくなっている自分。注意しなければ、牧師の言われていた事はこの事なのだ。 その思いの中で、聖書検定を知り。すぐ5級から始めました。一つ一つ整理し、確認し、ノートにまとめました。時にはテキストでは扱わない部分まで興味が広がり調べつづけ、聖書のあちこちを旅しました。 “神様、この理解で大丈夫でしょうか?” “神様まちがっていますか?”ふと気づくと、求道者の私になっていました。感謝です。私はずっと求道者でありたい。
第一級の聖書検定に合格いたしましたが、実はそれまでの勉強の過程で、多くの偶然?がありました。 私は、それは、神様の導きであると思っております。(ちなみに私はクリスチャンではありません。)神様の導きについて一つだけ挙げてみますが、昨年(2019年)こんなことがありました。2019年3月のはじめに、突然「3月17日に津和野に行きなさい」という啓示があり、今住んでいる広島から車で津和野に向かいました。そして津和野教会を見学しているときに、ある年表に「3月17日、大浦天主堂に於いてイザベリナ杉本ゆりがプティジャン神父にキリシタンであることを打ち明ける」と書いてありました。クリスチャンでは有名な「信徒発見」のことでした。そして、その後ですが、実は私が住んでいる広島県甘日市市には、津和野藩御船屋敷があり、ここより津和野まで長崎の潜伏キリシタンを徒歩で連行させたのでした。 そして、この屋敷は私の自宅から歩いて2、3分のところにあったのです。私は潜伏キリシタンの悲しみを解放させてあげなければと思っております。(その後も多くの神様との出会い、聖霊体験がありました。)
聖書検定を通して、とても多くのことを学ぶことができ、心から感謝しています。 学んだ内容が、後になって役に立っていることを感じます。最近2冊の本を読みました。 一つは「清教徒」(石原兵永著)です。この本の中でピルグリム・ファーザーズのことを、「行く先を知らないで出て行った」(へブル11.8)と書かれているのを見たとき、「4級で学んだ聖句だ」と心に浮かんで、涙があふれるような思いがしました。また、「ピューリタン」(大木英夫著)を読む中で、「救済史」「ハイルスゲシヒテ」と書かれてあり、「これは1級で学んだばかりの内容だ」と思いだし、聖書検定で学んだことが、今になって大変役に立っていることを実感してやまない次第です。 「塩で味つけられた、やさしい言葉」で添削をしてくださった皆様方、短い期間でしたが、ていねいにご指導してくださり、本当にありがとうございました。
カトリック教会からのチャレンジャー、ローザマリアです! 2017年の復活徹夜祭で洗礼を受け、同年9月に堅信を授かりました。 (洗礼→堅信の間が5ヶ月と早いですが、何だか「司教様が茨城に来るタイミング(←3年に1回)」らしく、“早い人は早く、遅い人は遅い”のです。) という訳で、堅信までは“勉強会”があったのですが、それ以降は“参加するべき勉強会”はなかったので「このままじゃマズイ!」と思っていました。 聖検に出会えたのは偶然です。「家でできる、聖書の通信講座みたいなのないかな~」と検索していたら、ドンピシャ、ヒットしたのですから!! え、でも偶然、じゃなくて、聖霊様?? 勉強は楽しかったです!!聖書を知的に理解すること(歴史背景などアウトラインをつかむこと)も、さらに深い理解の為大きな助けになるのだと思います。 この世界では皆、同じように食べたり、飲んだり、働いたり、眠ったり、嬉しかったり、悩んだり、人間関係でモメたりetc.していますが、“イエスのみ名を信じる人々”は、やっぱり世界が違うのでしょう。世界の捉え方が違っているのですね。その世界とは、“神が「良し」と創造し、人は罪を犯したけれど、神の愛により、イエス様が罪をあがなって下さり、終末のあとには完全に神が支配する時が来る”という世界です。それは神の愛の希望に住まう素晴らしいことですね!!!
今回は、聖書検定1級受検の機会をいただき誠にありがとうございます。今年大学を卒業する身なもので、卒業制作を進める傍ら自分なりに勉強を重ね、合格することができました。本当にありがとうございました。 特に今回は記述することが多く、ただ単に暗記するのではなく、しっかり聖書を読みこんで、その内容をしっかり体にしみこませておかないと、自分の言葉で書くことができないなと感じました。今回、なんとか合格でしたが、勉強不足なところもあり、満足する結果とはなりませんでした。添削していただいた解答をもう一度読み直し、ますます聖書のことを深く知れるよう努力していきたいと思います。最後になりますが、私は東京の美術大学で、現在「聖書の動物・植物」をテーマに卒業制作を進めています。「本の形をしていない聖書」とでも言うべき作品を展示しておりますので、ぜひ1月17日~20日、武蔵野美術大学の9号館地下大展示室にお越しください。宣伝になってしまいましたが、今回、この制作にあたりこの検定を通して聖書のことを深く知ることがでたこと、感謝いたします。 (※香川日菜子さんは、この作品で研究室賞を受賞されました。おめでとうございます。)
認定証を受け取った今、嬉しさより安堵感の気持ちでいっぱいです。 コメントについては、あくまでも参考程度に書かせていただきます。 当事者でないと分からない部分もあるからです。 勉強するにあたって、 まずは、祈る事から始まります。そして、聖書を通読します。創世記から黙示録まで読みます。そして、級毎のテキストを読みます。そして、聞きます。 級毎に必須暗唱聖句があります。その聖句を通じて暗唱する事も大切ですが、その暗唱聖句を通じて、今の私に何が問われているのか、何が語られているかに気付く事の方がより重要です。 気付くことによって、涙する事もあるでしょう。でも、その涙は、主にあって喜ぶ事かもしれません。その事が、主の、恵みに授かる事でしょう。 先程、「級毎のテキストを読みます」と書きましたが、級毎に色々な単元、項目がございます。その時、この項目が現代の私達に問われているのかと考えながら、読み進めていく事が大切です。そういったことによって、知的な学びでなく、霊的に信仰が深くなるでしょう。 勉強するに当ってしてはならないこと。 学習が進むにつれ聖書理解が豊富になるでしょう。 だけど、酔いしれてはいけません。 案外、知らず知らずのうちに、傲慢になっているかもしれません。 主イエス・キリストなる創り主を無視している事になるのです。 だから、謙虚になりながら、「イスラエルの民は、可哀相な奴だと」馬鹿にして読んだりしてはいけません。 聖書テキストを通じて、聖霊が今の私達に問われているのです。 何が言いたいのかと申しますと、主に対してへりくだりながら、聖書知識を増やしていく事が重要です。決して、己に酔いしれてはなりません。それが、学習する上で欠かせません。 聖書検定の真の意味とは? 講演で、「聖書検定が国民運動になっていればと願っている」とおっしゃっていますが、その通りだと思います。別な表現をすれば、聖書検定を通じて、福音を聞き、主の事を知って欲しいと言う事でしょう。 それを一言で国民運動とおっしゃりたかったのでしょう。 受検を終えた今だから言えますが、学ぶに当って、合格することよりも重要な事は、主の愛を知る事でしょう。主の恵みに授かる事です。 ここに、聖書検定の意義があるのです。 そういう意味では、世間の資格試験とは根本的に違うのです。 最後に、私は、まだ聖者や祈り、御言葉が分かっておりません。協会から認定証をいただいたものの、聖書理解が霊的にも知的にも浅いと言わざるを得ません。ただ学習するによって、主にささげる思いで勉強すれば、恵み深い世界が無尽に広がっていきます。それは、まさに目の前に光が差し込むような感覚です。受検することが献身です。 これから受検する方は、主の前にへりくだる事を忘れないで欲しいです。そして、主の愛を知って欲しいです。それを踏み外したら、ただの教養や自己啓発に過ぎません。知的には豊かになりますが、傲慢になります。 学ぶも台無しになってしまうのでしょう。試験で高得点を獲得する事よりも、主の愛を知る事が大切です。それが、後に信仰生活を豊かにして下さるでしょう。
最近、京都検定・天然石検定・ハーブ検定など面白いユニークな資格や検定試験などを紹介したニュースを特集していたのを覚えていたのですが、聖書検定が何かの広告に紹介された時、迷わず申し込みました。 それは、世界で最も読まれている本の第1位が聖書だからです。神学校に行かなくても、聖書の内容・知識が理解できるものがあればと思っていました。 5級から2級までは通信教育のように自分で勉強でき、問題も自宅で解答できるので大変気楽にできました。1級は、東京・銀座で試験があり、それも○×や選択やマークシートではなく、すべて筆記による試験でした。受検会場はなんとも言えない緊張が漂っていました。 まるで聖書を知り尽くし、その知識を試そうとしている受検生の集まりに見えてきました。私も久し振りに緊張がピークに達しました。 90分間、今まで勉強してきたことを一生懸命思い出し解答しました。時間は足りなかったが、終わった時、達成感を覚えました。合格ありがとうございます。 聖書検定試験は、神様からの招しで始まったのだと思います。
私は5級のテキストを読み終えた時、これは、「神様の霊」が働かれていると直感。 更に、そのイエス様が選ばれた著者と構成者が、主の使命を全うすべく尽力されていると分かりました。それで、私も1級まで頑張ろうと決意。 第1級の試験当日の夜でした。不思議に疲れが消えて、聖書が読みたくて、読みたくて、たまらなくなったのです。今も、楽しくて、嬉しいです。 「聖書検定」に心から感謝しております。
今回の聖書検定の学びで聖書の基本的な教えが良く分かりました。 聖書検定の事を知ったのは、2017年11月23日に名古屋のCLC文庫(キリスト教書店)で、5級のテキストを買いました。仕事も忙しくなっていましたので、学びを始めたのは2018年5月のGWのころから学び始めました。 第1回の1級の検定試験に間に合うように朝15〜20分ほど学ばせていただき、「朝15分があなたを変える」ではありませんが、とても良い学びの時でした。 今後、多くの人が聖書検定の事を知り、聖書の学びが出来るように願っています。
待ち時間の折、ロビーで、1級は実力やからなあ!と話し合っている受検者。5~2級は通信なので、答案を記入する際、テキストを見てもわからないが、1級試験はフリーハンド、参考書・聖書持込み禁止、頭の中で整理して、理論的に文章を作成するという過程は知力的に厳しさを感じた。 しかし、検定受検を通し聖書の成り立ち、各巻の記事の把握、神の計画、将来的展望等が縦横に学べた事は幸いであった。深く自分の人生に神が関わり、計画を持って下さっているのが理解できた。時代や情勢がどのようになろうと、この聖書の神に信頼を置いて歩んで行く事の確さを確信をもって、人々に伝えていく力を5~1級の学びを通して勝ち得た事が私にとって大変収穫であり喜びであった。 ていねいな添削、導き、本当にありがとうございました。
今回、聖書検定第1級を受検できたこと、そして、合格できたことは正直とても嬉しく思いました。神様に感謝しています。はじめて「聖書検定」というのがあることを知った時、5級から2級までは通信で受検でしたので、当時教会学校の奉仕をしていたこともあり、チャレンジしました。1級受検の時は、実は家内が認知症で介護することもあり、東京での受検を悩み、その時に聖書検定協会の村上さんに電話をしました。「受検できるようにお祈りしています。」と言って下さり、神様の恵みにより家内をショートステイに一時預かって頂き受検する機会が与えられました。その事を村上さんに電話で伝えると「受検でき良かったですね。東京でお待ちしております。」との返事をいただきました。 仕事と介護の中で少ない時間でしたが無事合格できました。勉強している間は、はじめて中学1年の時に教会の門をたたいてから今まで40数年経ちましたが、はじめて聖書を聞き、礼拝で聖書のお話を聞き、素直に聖書を学んでいたことを思い出しながら楽しく勉強できました。この事を他のクリスチャンや友人にも伝えたいと思います。 本当に有難うございました。
「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6) 主の御名を賛美します。今回の合格は主の力とあわれみによることであり、主に感謝し、いっさいの栄光を主に帰します。 学びを進めていく中、「第9項釈義」に、直視できず、数日逃げる私に、神様は冒頭のみことばを与えて取り組ませてくださり、丁寧にみことばに向き合っていくにはあまりにも時間が足りない、と自分の準備不足の愚かさに対しても、使用しているディボーションテキストの箇所が急に、その時期「第1コリント」に変えられて学ばせてくださったりと、励ましあわれみ続けてくださいました。又、テキスト文中から「聖霊の導きを受けて聖書の解釈がなされるべき。(霊的解釈)」と、聖霊様に本当に頼ろうと目をむけさせてくださり、「今、自分がもっている知識の中で一生懸命書けばそれでよいということです。」と、励まされ、学び続けることができました。 試験本番では、問1、新約27巻記入が1マス余り、いきなりのミスに慌て心が動揺し手が震えてしまいました。続けての問いにも、自分の学び不足と、この試験に臨んだことは場違いだったのではとの気持ちがふとよぎったりしました。 ですので、最後まで受検できたのも神様のあわれみによること、としか言いようがありません。 学びは、知らなかった多くのことが教えられ感謝しています。教えられたことは、神様にあって生かされていくことを願います。 一般信徒にこのような機会を与えてくださった方々のご苦労と、主に心から感謝いたします。 栄光をいっさい主に帰して。
この度は聖書検定の開催お疲れ様でした。 私も参加して本当に良かったと思っています。第一回をもう少し強調してもよかったと思います。 私自身、教会に通う者ですが、学歴も社会的地位も持っていなかったので、今回の検定はそんな僕にもありがたいものでした。もちろん主はそんな肩書きを重んじられる方ではありませんが、ひとつのきっかけになると思います。 今後も聖書検定の普及、つまりは聖書の普及、この国にクリスチャンが増えること、それは救われる人が増えるという神の喜びになる計画、村上理事が話されていた使命を全うしてください。 大阪の地から、祈り応援しています。
第一級聖書検定合格通知をいただきありがとうございました。 この度の検定のことでは、たいへんお世話になりました。 いつもごていねいなご対応をいただき御礼申し上げます。 「聖書検定協会」を創設してくださいました村上芳様はじめ聖書検定協会の皆様に、また5冊のテキストを執筆してくださいました鈴木崇巨先生に、心からの感謝を申し上げます。 「求道者伝道テキスト」によって鈴木先生のことを存じ上げるようになりましたが、超教派的な姿勢をお持ちの先生だと感じておりました。この先生のお書きになったテキストなら、受けてみたいと思った次第でございます。 私は、平信徒として半世紀以上は聖書を読んでまいりましたが、総合的に、また体系だって学び理解し、表現する訓練は殆んどしてきませんでした。ですから、自分の聖書知識を整理し確認する意味でも、たいへん有益な学びでございました。 美しいカラー図表とイラストで彩られ、分かり易く興味をそそられる内容のテキストでの学びにより、大変充実した時を過ごさせていただきました。 この2か月、1級検定の試験のために、かつてない位、勉強いたしました。模擬試験にならって、自分なりに聖書から、へブル人への手紙は500字に、黙示録は1000字に、各書簡は200字以内にまとめて覚えました。コリント第一が最大の難問でした。繰り返し書簡を読んで、今思えば難解な箇所ばかりの釈義を演習してきましたが、あまりの難しさに悲鳴をあげておりました。 ですから本試験の聖書に関する出題がかなり易しく感じられ、コリントの釈義の箇所には拍子抜けしてしまいました。検定の主旨を考えれば、そんなに難解な箇所は出題されることはなかったと納得・・・でもおかげ様で、みことばの奥深さをあらためて知り、自分の無知を再認識いたしました。 とは言いますものの、当日は、時間が足りなくて、全体を見直す余裕もございませんでした。さほどゆっくり書いていたわけではありませんが、黙示録の1000字を400字に縮めるのに手間取ったのか、最後、コリントの釈義の序論を書いた時点で、残り20分しかなくて焦りました。もう殴り書き状態で何を書いたか思い出せない位でございましたが、満点を付けていただいたのにはただもうびっくりし、ありがたくも、また恐縮にも存じました。
“1年で聖書を読破する“の本にそって聖書を読み始めましたが意味がわからず困っていた時に、聖書検定についてネットで知り、早速5級から始めました。聖書に何回も出て来る言葉や、今まで何となく聞き流していたことが次々と理解できて、聖書を読むのが楽しくなりました。級が進むにつれて難しくなりましたが、私にとっては聖書や信仰についての解説が感情的にではなく客観的に書かれていたことが受入れやすく説得力を感じました。歴史的背景を知ることで聖書を身近に感じることもできました。黙示録に示されている希望についても初めて理解るすことができたように思います。1級まで合格することができ、聖書も1年で読破できました。丁寧なご指導をありがとうございました。 1級合格後も、更に聖書を深く学んでいくことができるようなテキストができることを願い期待しております。聖書がさっぱり理解できないと感じておられる方へ、本当に自信を持っておすすめしたいわかりやすいテキストです。
試験問題の内容が論述式が多いのは、理解力を確かめる良い方法ですが、解答時間 が90分というのは、時間が足りませんでした。見直しの時間がありませんでした。 採点の基準が明確なのは、素晴らしい事です。模範解答を作成された出題者の苦労がしのばれます。 釈義の内容の良い勉強になりました。
神様へ、
第1級聖書検定試験受検の機会と合格の恵みをお与えくださったことを、こころより感謝し賛美を捧げます。
聖書検定協会のスタッフ(採点者、電話での連絡対応者、問題作成者他) すべての方へ、
5級から1級までのすべての段階において、丁寧な解説、講評、励ましなど様々な側面からお導き、ご指導いただき本当にありがとうございました。ただただ感謝あるのみです。
さて、今回は1級の受検でしたが、そもそもキリスト信者でありながら、聖書のみ言葉をこれほどまでに体系的に学んだことも、またこれほどまでに広範囲にわたって理解したこともなかったので、ここ数年間はとても充実した学びの時間でした。検定試験の受検と合格勝ち取りが1つの動機付けとなり、また聖書勉強の目標ともなり、聖書の勉強の学びの姿勢にいつも以上の真剣さが加わって、受検後の疲労感はとても心地よい満足感に代わっていました。
試験問題(今回の級に限らず)はテキストから偏りなく出題されていて、本当によく考えてある問題だなあと、(受検後におちついてから)思いました。テキストの方も難解な語句はやさしく解説されていて、また、理解が一筋縄ではいかない内容のものも丁寧に説明をしてくださっていたのでとても助かりました。
今回の1級の試験は、これまでの2級までの試験の時以上に、自分の聖霊の賜物を試されているようで、本当に考えさせられました。特に、釈義の問題への対応は思うようにいかずまだまだ勉強不足を実感するいい機会となりました。まだまだ、勉強が足りません。いつしか、賜物が果実になるようにと思っております。
これからも、今まで以上に神のみ言葉を学び、知識を増やすと同時に行動が伴ったキリスト者になるように、真実なる神に向かって、キリストの道を、聖霊の導きを受けながら、すすみ、多くの人と交わりながら生きていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
仕事で夜勤中に時間があり、この時間に何かをしたいと思い聖書検定の勉強を始めました。1級に合格できたことを嬉しく思います。
テキストについてくる御言葉カードが楽しみでした。1級は記述問題が多く、これと言った答えがないのが難しく感じました。
手軽に受けることができ、夜勤中の静かな時間に勉強して「合格」という結果を手にすることができてよかったです。
暗唱聖句が毎回出題され、覚えなければならなくなり、その御言葉が生活の中での励ましになり、御言葉を蓄えることの重要性がわかりました。
本当にありがとうございました。
主の御名を賛美致します。
洗礼を受けて何年も経ち、聖書も何回か通読し、でも何か足りなさを感じていました。私は本当に聖書を、福音を、理解しているのかな?と。でも神学校へ行く程の決心も無く、信仰書や注解書は偏りがあったりして、聖書をもっと体系的に学びたいと思っていました。そんな時に出会ったのが本検定です!教会学校へ行ってなかったので、唱で聖書66巻を覚えられて嬉しかったです。他にも毎週の礼拝や聖書通読だけでは知り得ない事、例えば中間時代や聖書の成り立ち等、学べて良かったです。1級では釈義もあって、聖書について初級から上級の手前ぐらい?まで網羅している感があります。
更にギリシア、ヘブライ語も合格を目指したいと思います。
本当に、信徒にも、そうでない方にも、受けて欲しいと思うような検定でした。そして何よりも、デザインが良い!私は表紙のデザインが好きです。ありがとうございました。
お陰様で三度目の正直で合格証書を頂きました。
この春(2023年3月)に神学校を終了しつつ、昨年春に家内(かつみ)と再婚しましたが、家内は教会の協力牧師をしており、爾来、毎日毎朝自宅祈祷会並びに一日も休まず聖書の学び三昧の日々でした。
思えば実家が仏教の中、亡き母があえて九州福岡の西南学院中学校へ入学を許してくれた事で初めて聖書に触れ、かつ毎日授業前の礼拝の学校生活でしたが、聖書を学ぶ授業ですら居眠りの時間と化していた状況でした。
そんな私が長じて、トルコやイスラエル(3回)に出張で訪問し、エルサレムに行ったのも今から早39年前頃になりましょうか。その時はまだクリスチャンではなく、仕事と観光の目的で楽しく過ごした日々でしたが、クリスチャンとして振り返ってみると恵まれた思い出ばかりでした。
今やイスラエルとアラブの高まる緊張、紛争は、世界の耳目を中近東に集め、釘付けにしていますが、聖書の学びを体系的に深めてくれた聖書検定は素晴らしい導き手となり、丁度Daniel SokatchイスラエルVsアラブの最新著作を読み解き始めておりますのも、聖書検定1級まで学びを積み上げ、これからは、死んだような歴史と文献でなく、生きた人類の世界と課題に取り組む立派な備えとなりました事、聖書検定の皆々様並びに神学校の助け手の諸先生のおかげに異なりません。
深く感謝申し上げます。
Amen
洗礼を受け、10年になりますが、毎週のメッセージや聖書通続だけでは理解できない事が多い中、3年前に体調を崩し、20年近く勤めた介護職を退職。療養生活を続ける中、2023年春頃より検定試験を開始。教会の姉妹達にも祈ってもらいながら、無事、2023年12月、1級を合格する事ができました。
子供の頃から勉強は大の苦手でしたが、このテキストはとにかく読み易くわかり易い説明とカラフルな差絵で構成され、あきがこないようあらゆる工夫がされていました。勉強したシーンがちょうど、礼拝のメッセージとリンクした時は、まるで大きなスクリーンで映像を見ているような気分になり、心の中で大興奮でした。ささやかな私の日常生活が聖書を通し、喜びと希望、平安に満ちた人生に変えられている事に、更にこの検定試験に拍車をかけてもらえたようで、聖書検定にチャレンジして本当に良かったと心から思いました。ありがとうございました。
今後の益々のご発展、ご活躍、恵みと大きな祝福がスタッフの皆様、お一人、おひとりにありますようお祈りを続けさせてもらいますね。私も皆様のように、御言葉、イエス様に従う者へと変えられたいと思います。
とてもわかりやすいテキストで、楽しく勉強できました。
ただ、一級の試験は、一夜漬けのようになってしまったので、やはり日頃から、これはどういう意味だろうか?と。考えながら聖書を読むことが大事だと思わされました。
次は、こども聖書検定・旧約聖書編にチャレンジします。もっともっと聖書を勉強してこどもたちに、伝えていきたいです。
1級までの合格は無理とあきらめていました。2級合格をもらった後、いろんな事情から学びを中断せざるを得なくなりました。そんな時、試験のやり方の変更の知らせが届き、ずいぶん悩みました。受けた結果は不合格でした。
この1年「くやしい」思いを胸に学んでみました。そして、なんとか合格できました。うれしくて、一人で満面の笑みを浮かべていました。この学びは私に大きな恵み与えてくれました。新約の通読がとても楽しいものに変えられていきました、感謝です。
スタッフの先生方の励ましにも心から感謝致します。
教会で宣教師である方が英会話を教えておられ、授業の最後にバイブルクラスがあり、その時に聖書検定の案内書をいただきました。半年前のことです。
試験を受けてみたいという思いにかられ、5級から4級と順に受けさせていただき合格することができました。
しかし、1級の試験は私には難かしく感じましたので合格できないと思っていました。半ばあきらめておりましたのに、合格の通知をクリスマスの時期に受け取り、神様からのクリスマスプレゼントと思い大変喜んでおります。
聖書に対する興味の持ち方が変わってきたように感じます。
1級聖書検定は5~2級までに学んだ内容を踏まえ、広く理解が必要でした。学んだことを振り返りつつ(覚えたつもりでも忘れていることが多かったので‥)、学びを進めていました。テキストの内容も難しくなって、挫折しそうになりましたが、受検して合格ににどりつけ、とても嬉しいです。
知らない言葉、知識がたくさんあり、すべてを理解できたとは言えませんが、今まで知らなかったことを知ることの楽しさを体験できました。
日本の大学に行った時に、聖書を発読み始めました。
(子供の頃、台湾の教会の日曜学校に行った時は、クリスチャンにはなりませんでした。)
特に台湾に帰国して、日本のような聖書を読む友達もいないので
教会の聖書勉強会にも慣れませんでした。
その後日本に行った時、銀座の教文館に行って聖書検定の本を見つけることができました。
でも日本国内在住でないと試験が受けることができませんでした。
しかし、父の日本在住の友人に頼んで、送付先となってもらい、
その友人から台湾に郵送をしてもらうことができました。
聖書検定のテキストを通して、聖書の勉強が理解しやすく、すごく助かりました。
本当に日本のクリスチャンは幸せだと思います。
ー聖書検定協会よりー
黄子珊さんは、第1級聖書検定を受検するために、台湾から東京のホテルに宿泊して受検をされました。
聖書は世界一読まれている本ですし、興味はある! でも、あの分厚さ、そして一見した時の内容のとっつきにくさに読むのをためらってきた… そんな皆様に大変オススメなのがこの聖書検定です!
一人で修行のように読むよりもずっと興味深く、分かりやすく聖書を読みはじめられます。「キリスト教入門」「聖書入門」的な一般書は何冊も読んだことがありますが、それらでは感じられなかった「入門」した感じ、聖書に、キリスト教に、出会った感じを強く感じたのが聖書検定でした!
ありがとうございました!私にこの検定をオススメしてくれた先輩にも感謝です!
真のクリスチャンとして第1級に合格できたことに誇りと自信を持っています。
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
この聖句は、私の中でも特別な輝きを放っています。
2022年アドベント
主よ
せめてこの聖なるこの時は
世界中の人々が
あなたの愛を感じることができますように。
世界中の人々に平和を祈ります。
アーメン
・カラフルなテキストが送られてきて楽しみでしたが、初めのうちは少しとまどいました。本箱では目立ってよかったです。
・保守的な考えの方から、前進的な聖書の考えの方迄の人達に納得してもらうような、説明迄をしようとされていて、中立、中道、バランスを守るのはご苦労があると思われ、保守的な考え方をして育てられた者の一人としては有意義な学びでした。
・聖書の「きも」というべき「ポイント」への気づきをうながして下さったので助かりました。
・各級テキストの例題と模範解答という試みは、これだけは押さえておくようにとのメッセージのように受け取ることができて、確認行為ができて良い助けになりました。
・聖書地図には「現代の地名」と入っていて色が変えてあり参考になり有難たかったです。
・1級の時の受検の時は、問題が時間の割には記述式の割合が多くなっていて、少しとまどいました。最後の問題には手がつけられませんでしたし、その手前の質問も、選択だけでなく記述しなさいとの形式でしたので、「エー、この場面で未だ書くのですか?」という状況になってしまいました。それは、問題数が、それも書かせる問題が1級は多いので、初めの頃の問題は超スピードでやらないと、という「心がまえ」でのぞんで受検すべきだったなーと思いました。
・そのため、終わりの方の解答用紙には「あせり」が出て、「読みにくい」記述になり申し訳無いことになってしまいました。お許し下さい。
・1級の公式テキストの黙示録の模範解答の説明と6ページに及ぶその解説は、私にとっては成程「ふにおちた」ものでしたので嬉しかったです。幾冊もの資料と著書にトライアルをしてみたのですが、短く回答して下さるものには行きつくものには出会えませんでしたが、今回は納得をすることが大分とできたようです。
・「読みかえすことのできなかった老人の受検生の用紙に目を通して頂き感謝致します。」
・今後の受検をされる方々のためとも思いながら書かせて頂きました。
1級は記述問題が多く、制限時間ぎりぎりとなって殆ど見直しもできず、大変手ごわい試験でしたが、無事合格できてほっとしております。
聖書は世界人口の3割を占めるキリスト教徒の聖典で、史上最高のベストセラーと言われ、実際、特に欧米のマスメディアや日常会話等で聖書のフレーズが引用されることも多いようですし、聖書を知らぬまま一生を過ごすというのは、何とも残念な話です。以前から是非一度は読み通したいと思っていましたが、何せ全部で66巻、2千ページに上るこの膨大な本を読みこなすのは至難の業で、今迄かなわなかった次第です。
そんな中、聖書検定に巡りあえて夢がかなうことになりました。特に良かったと思ったのは、初学者の視点に立った分かりやすい説明と、中立的で決めつけ、押し付けの感じられない自然な解釈(分からないものは分からないとしています)、テーマ毎にフォローできる分量に区切り(全5冊、57項)、初歩から専門へとレベルアップできる構成で、難解語句や聖句の説明、またトリビア、更には充実した付録付きのテキストによって、まるで本当の講義を受けているような感じが得られ、これが大いに聖書通読の支えになったことです。
今後も5級~1級で学んだポイントを忘れず、できるだけ聖書をいつも手元に置いて、謙虚な気持ちでくり返し読み続け、自分自身の精神世界を豊かなものにしていきたいと思っております。
聖書という言葉だけ聞くと、今の現代人にとっては少し重くるしい、難しいイメージを持ちがちになりやすい為、興味関心を持つ方が珍しいかと思います。特に年配の方より若者の方が顕著に現れやすい傾向のように感じます。自分自身もその一人なのですが、このコロナ禍に入ってから少しでも自己投資をしたいと感じ、その中で見つけたのが聖書検定でした。
手軽に受けられるという事や比較的リーズナブルな値段で受けられる魅力に引かれて、気軽な気持ちで受検してきました。級の段階を踏むにつれ、最初あまり興味がなかった聖書について興味深くなり、それにより少しずつ知識量が増え、聖書の魅力を感じられるようになりました。
2~5級はスムーズに受検する事が出来、1級にもチャレンジしてみようと感じましたが、コロナ禍の会場試験で一時頭から遠ざかっていました。しかしある日朗報で2~5級と同じく通信による受検にして頂いた為、受検しやすくなり、チャレンジする勇気を頂きました。
聖書検定協会には本当に感謝しております。1級には無事合格を手に入れましたが、ここで終わりにする事なく、今後に生かせられる場面は少ないと思いますが、自己の自信向上のプラスとなり、本当に心から受検して良かったです。
・まずは1級に合格できて、大変うれしく思います。
・2級からの時間があまりなかったのですが、1級受検のチャンスが年に1度なので挑戦しました。結果、短期集中して勉強したので、覚えているうちに受検できてよかったのかもしれないです。
・教会学校の教師を長くしているので、自分の実力がどのくらい通用するのか図りたかった。
・今まではお話をする教案の箇所ばかりの学びになっていたが、今回の聖書検定で体系的に学ぶことができたし、理解が深まった。
・注解書を読むということもしたことがなかった。教会の図書室からコリント人への手紙を借りたが、大変勉強になったので、他の書も学びたいと思った。
・検定のテキストが立派なので、重くて持ち歩きには不向きだけど、字は大きくて見やすかったです。
主の御名を賛美します。
このたびはお励ましにより一級検定に参加させていただきましたことを深く感謝申し上げます。
今は聖書の学びはこれからと思っております。一級テキスト中の次のお言葉は最も心に残りました。「おもしろポイント」でタルムードについて書かれているところですが、その最後に「みごと『聖書検定』の第一級にパスしても、けっして『ユダヤ教のことをよく知っています』などとは言わないようにしましょう。」と書かれていて、私は自分の浅さを思い知らされました。これは生涯私の戒めです。
私は深い森のような聖書の入り口に立った所です。わけ入って行けば光は木の間から洩れて来ます。私は聖書探検者です。何とすばらしいことでしょうか。胸がわくわくします。鈴木先生のように、聖書のどこにでもすらりと行けたらいいな、と思っています。
私の一日はここ15年ほど続いている早天祈祷1日1章で始まります。司会は高崎市の恵みキリスト教会の藤原幸生牧師です。又、5年ほど前から聖書全巻書写をボールペンで続けています。今、2回目に入っています。書写の友人の益川佳子姉が検定に挑戦を始めました。もっと加えられるようお祈りしています。
私は、子どもから大人まで信徒が聖書全体を学ぶ必要性を感じていました。コロナ禍、一人で学べる教材として聖書検定に出会い、まず自分がチャレンジしました。さすがに1級は内容が豊富で、選択問題に1時間以上使ってしまい、記述問題では慌てて何度もシャープペンシルの芯を折りました。答案を送ったあと心配でしたが、合格証をいただき、これまでの学びが身になっていたことを実感しました。
教科書の記述にしばられず、本質が正しければ、異なる立場も正解でした。聖書検定は教会の中で学びの教材として、子どもにも大人にもお勧めできる検定だと思います。心から感謝いたします。
聖書を手に取ったこともない私でしたが、敬虔なクリスチャンの妻からイエス様の話を聞くうちに、気がついたら聖書検定へと導かれていました。
未知の分野でしたが、協会担当者皆様の温かいご教示のお陰で、いつしか5級・4級・3級・2級へと進ませて頂き、そして1級まで至ることができました。
聖書検定1級は、とてもとても自分は受検する資格はないと、考えていましたが、コロナ禍・世情混沌な今、想いを新たにし、朦朧とした状態での受検となりました。
ダメだとあきらめていましたが、1級合格の通知を受け取った時は本当に嬉しかったです。
今回の出来事が、神様のお導きによる私の聖書への入り口だと思っております。協会の皆様、いつも励まして頂きまして本当にありがとうございました。
「聖書検定」をきっかけとして、多くの方が聖書に接しキリストを知ることができればと思います。
皆様に主の恵と平安が豊かにありますようにお祈り申し上げます。
聖書検定を通じて多くのことを学ぶことができたので、心から感謝しています。
教会の門をたたいて、クリスチャンとなって約30年経ちますが、「神様からのラブレター」と呼ばれている聖書をもっと深く理解したいと思っていた頃、聖書検定を書店で知りました。
5級から始めていきましたが、「あっ!この聖句には、このような意味があったんだ!!」と今まで自分が知らなかった部分も聖書検定テキストには多くあったので貴重な学びの機会となりました。
イラストも多数掲載されていたのでわかりやすく、試験の解説も丁寧でとても有益でした。
また、通信教育制ということもあり、自分のペースで学ぶことができたのもとても感謝です!!
また、今回聖書検定で学んだことを、まだ救い主を受け入れていない人に伝えていく時に活かしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
19歳で受洗し、約半世紀が過ぎ人生の斜陽の時期を迎えた。仕事、家事などこの世的生活で忙しく、定年退職後も緩くなっているが仕事を続けている。心の真ん中には主がおられ祈りつつはあるが聖書を読みこなすことができず、人生の焦りの気持ちがあった。
4年前にネットで聖書検定があることを知り、すぐに取り寄せ夢中になり楽しく学べました。2級まで1年半くらいかかり、1級は難しくなっていて、最近は認知機能低下がみられ終了できないかもと不安がありました。
このコロナ禍、自宅受検できることになり、テキスト・過去問・暗唱を何回も繰り返し学習しました。楽しく聖書に触れることができました。ご指導いただきました先生方、本当にありがとうございました。
今後も更に学習していきたいと思います。
ほぼ1年前にスタートして、昨年末に1級に無事合格することができました。
私はキリスト教徒ではありませんが、永年バッハのカンタータや受難曲、ミサ曲等を聴いてきました。テキストは勿論聖書が中心です。オペラも好きで、キリスト教的な題材も多くあります。聖書が分からないと西洋音楽ないし西洋文化の理解は難しいと考え、知識として聖書についてよく知りたいと思っていました。そんな中、検定試験の紹介・申し込みのサイトで聖書検定を知り、今回の受検に至りました。
勉強を始めますと以前に見た手塚治虫の「旧約聖書物語」の見覚えのあるシーンが思い出されてその意味を改めて知ったり、オペラの「サロメ」のヨカナーンがバプテスマのヨハネであったことに驚いたり、ハイドンの「天地創造」はやはりこれだったのかと思ったり意味深いことの連続でした。2017年にイスラエルを訪ねましたが、その前にこの検定を受けておけばと思いました。
何とか最後まで勉強して、1級に合格できましたことを嬉しく思っています。
他の資格試験では終わるとその勉強をしませんが、今回は試験後もNHKの「100分で名著『旧約聖書』」を見返したり、未読であったキリスト教関連の電子書籍を読んだりしている自分に少し驚いています。
新たな豊かな世界を知る機会をいただきましたことに感謝いたしております。
受洗後、何十年か経ったが、読んでいない聖書箇所も多く、理解が難しいみことばも多かった。自分が正しく聖書を理解するためにも又、福音伝道するためにも聖書を学びたいと思っていた。
聖書検定は日常生活の合間に学ぶことが出来、テキストも項目ごとに簡潔にまとめられ、膨大な聖書に取り組みやすかった。
進化論を信じている人が多いようで、伝道の一歩が閉ざされることもあったが、進化論についても詳しく学べた。
又、愛という言葉の学びなど、色々学べて感謝します。
神様がすばらしい学びの時をくださったことを感謝します。教会の姉妹方3人と一緒に一年かけて学び合いました。私は30才でクリスチャンになり、72才でのチャレンジでした。42年間信仰生活をしてきましたが、テキストは良くまとめられていて新しい方と聖書を学ぶ時、参考にしたいと思います。
最後の一級は90分の限られた時間の中での解答で時間が足りず、最後のページは解答できず90点を目標に頑張っていたのですが80.8点で合格はできましたが…、でも4人で楽しく学べましたので、卒業できた満足感はあります。
問20-2, 問21は解答できず残念でした。それで聖書をしっかりと読み直そうと思っています。高齢者にはもう少し時間が欲しい!!
多くの日本人が聖書に興味を持ち、聖書検定を受ける者が起こされ、信仰が強められ、みことば理解が深められ、キリストの証人とされて生きる者とされますように祈っています。主にある尊い働きありがとうございます。
ハレルヤ!第1級聖書検定試験合格をいただき率直に嬉しいです。
5級の初歩的な聖書の知識から段階的に専門的な聖書知識へと学ばせていただき視界が広がっていきました。聖書の真髄がぎゅっとつまった『解説』、大版でカラフル、イメージが豊かにされる『デザイン』それぞれ親しみやすく宝物の1つとなりました。
共に学んだグループの仲間や先生方の励ましをいただき、とても充実した時でした。
答案用紙に毎回書いて下さったコメントにも感謝します。
『2年はかかるかな~?!』とあきらめかけることもありました。
しかし、この度は「最善を尽くすことが大切」と励まされ、『聖書から生きて働かれる神さまの愛』が流されたこと感謝です。
最初に私が個人的に学びをし、とても楽しく恵まれましたので、教会の婦人たちにも勧め、週1回持たれていた学び会を当てがう形で昨年1月から学びを始めました。
いつものように賛美と祈りをし、テキストを2課ぐらいずつ読むだけ。ほとんど予習もしません。新たに教えられてなるほどという内容が多く、時には私たちが教えられて来たことと少しニュアンスの違う内容もありましたが、私たちの聖書理解の幅は確実に広がりました。
また、「聖書に書かれていないのでわからない」と断言されていたことが痛快で、安心したりもしました。テキストを1冊終える度に訪れる試験は「70点で合格なのだから」と励ましながらの受検でしたが、やってみると皆満点取ろうと意欲満々。すばらしい60代・70代の4人組でした。
客観的に評価される機会の少ない私たち、また何より学んでいる内容が私たちの命である聖書ですから全員そろって1級合格できたことは大きな喜びであり、自信につながりました。丁寧なご指導に心から感謝しています。
今年もさらに御言葉を学んでいきたいとますます燃えている私たちです。
聖書の学び·理解を深めることができ、感謝しています!
コロナ禍の中で有意義な時間の使い方ができ、心の栄養にもなりました!
素敵なみことばカードも癒しになりました♪
どうもありがとうございました☆
今年最後の1級受受日に、何とか準備が間に合い受検して合格が叶いました。
受検に際して、協会からご親切な、ご指導アドバイスをいただき、高齢者の私は本当に助かりました。
来年は、呆けているかもしれないと思い、今年頑張りましたが、鈴木崇巨先生のテキストが無駄がなく、あまり苦労せずに学べ、分かりやすかったです。
1級の試験は、使徒の書簡がメインテーマでした。記述式問題に向けて、パウロの書簡を使徒言行録と関連付けて学び直しました。
受洗後50年目で、はじめて、パウロの書簡の意味が全体の流れの中で、少しですが 見通せた気がします。死ぬ前に、これが分かって感激です。
聖書は、日頃のデボーションで、一句の聖句に感激することが多いのですが、一連の流れの中で捉えると、全く違った面が見えてくることに驚きました。
日曜礼拝や、祈祷会では、大きな聖書の流れを扱わない事が多いので、今回は本当に、新しい観点で学ぶことができました。
聖書に精通しておられるクリスチャンの方にもお勧めしたい検定でした。
聖書検定を知ったのはバイブルハウス南青山のネットショップでの検索でした。
聖書通読を進めていくと単調で読むのが苦になる民数記やレビ記の細かい祭祀規定を、ビジュアル的な資料があれば楽しく読めるのではないかと探したのです。
検定ってどうかなと最初は思いましたが、5級から2級までの通信の学びはとても楽しかったです。
1級を受けたときは、過去問は読んでいたのに記述問題はやはり難しかったです。あと暗証聖句の重要性を思い知りました。何となく覚えている聖句の出典箇所が言えない常態でした。何とか合格できたものの、もっと学ぼうと思っています。
とはいえ信仰は学びがすべてではないので、祈りと教会生活を大切にみことばを魂に刻んでいきたいです。
2021年を迎え、今年の目標を聖書検定1級合格と決めて、母と一緒に5級から聖書検定の勉強を始めました。一緒に勉強することで、途中で諦めることなく勉強を続けることができ、母と一緒に1級合格の目標を達成することができました。母と次はギリシャ語の勉強を頑張るという新たな目標を持ってこれからも学びを継続していきたいと思います。
樹海のように果てしない聖書が、聖書検定の学びを通して、エリアマップのある大きな公園のようになり、聖書がもっと身近なものになりました。私は同時期に始めた息子の後を追って何とか続けることが出来ました。教会の婦人たちも、学びたいけれどもなかなか一人では続けられないというので、一緒に学ぼうかと検討中です。手書きでも一級の試験が受けられるようにしていただけたら嬉しいです。
先日、聖書検定1級の合格証が届きました。ありがとうございます。
今年の初めに、聖書検定の存在を知りまして、早速5級から挑戦させていただきました。まだ、幼かったころ、日曜学校に通っていたことがあり、その時に購入した聖書は持っておりましたが、もちろん通読などしたことがありませんでした。
検定用のテキストをすべて購入して、一つ一つテキストと聖書を読み進み、5級を受けるときには1度目の通読を終えることが出来て、自分でもびっくりしてしまいました。
4級、3級、2級、1級と興味を持ち続けて学べたのはとても分かりやすいテキストと先生方による各級受検時に頂けるコメントのおかげです。
93点という評価は大変うれしく思います。これで終わりにすることなく、ここからがスタートかな··と考えております。奥深い難解な聖書をこれからも大切に
読み続けていきたいと思っています。
毎回コメントいただいた先生方、感謝です。また、この検定にかかわってくださった先生方、感謝です。この検定に出会えたこと、神に感謝します。
ありがとうございました。
私は新型コロナ蔓延に伴い、令和2年の受検を延期し、令和3年10月に長野県内のテストセンターで受検した者です。
受検の動機は、一念発起して聖書を読んでみようと、そして聖書を学んで人生の参考にしようと、そう思い立ったからです。
幸いにして、良いテキストにめぐり会え、また鈴木崇巨先生の御著書二冊にもめぐり会え、得るところ大でした。
振り返ると悪戦苦闘の聖書勉強でした。第五級では聖書66が覚えられず数か月立ちすくみましたし、第一級ではコリント第一の難しい文章に何度も受検を断念しようと思いました。勉強ノートを読み返してみますと、聖書勉強には苦しみが多かったと思います。ですが、今となってはみんな良い思い出です。
昨年七月からの約一年半、右も左も分からぬよちよち歩きの私をここまで導いて下さった聖書検定には御礼の申し上げようもございません。
私は一昨年、定年退職して実家の母のもとに戻り、久しぶりに親子水入らずの平穏な毎日を過ごしておりましたが、母が突然要介護となってしまって以来、一転して老いと衰えを見つめる毎日となりました。テキストで習った戒めの言葉「メメント·モリ」を胸に刻み、今後は有意義な介護生活を生きて参ります。
私を聖書に導き中途挫折から守って下さった神様、ありがとうございました。
聖書検定の更なる御発展とここに集う皆様の御多幸をお祈りいたします。
昨年11月、教会の掲示板で聖書検定のポスターを見て、行けることろまで行ってみる、これ以上は無理だと思ったらそこを私のゴールとするという目標を立てて、第5級から初めてみましたが、その目標はいつの間にか、今年のうちに第1級に合格するというものに変わっていました。私は人名や地名を覚えるのが苦手なのですが、テキストに載っている名前の半分くらいは覚えられたような気がします。また、幕屋に関する記述など、文章だけでは理解しにくいことを、挿絵を見ながら視覚的に知ることができたような気がします。神には始まりも終わりもないのと同様に、神のみ言葉を学ぶことにもまた終わりはないと私は考えております。今後も何らかの形で学びを続けながら、神について少しでも知ることができればと考えております。1年間お世話になりました。
コロナ禍になって、でもこの時にしかできないことをしたいと思っていた時、教会の郵便物の中にあった「聖書検定」が目に留まり、「よし、今年限定で取り組もう。」と、不安もある中で申し込みました。
第1回、2月12日に5級を受検し、10月22日に1級の受検にたどりつき、合格をもらいました。言葉も文章も幼稚なままに、霧の中にいた自分が、クリアな世界を与えられ、聖書の登場人物や地理がとても好きになり、教会で会う方々と登場人物の性格を比較して楽しんでいます。
「おもしろポイント」は先輩のおしゃべりブレイクのようで、ここでも学ぶこと、考えることが多いです。受検の結果の点数が悔しかったり、講評でほめられると嬉しく家事をしたりと、励まされました。(一般的に言われる後期高齢に今年から入る年になると、ほめられ、単純に喜べることが少ない自分を発見。)
受検している間に受難週があり、イースター、ペンテコステも教会の暦にあり、受検が終わって、アドベントクリスマスシーズンとなりました。これらも「テキスト」を持って読み返しつつ学び続けます。教会や生活圏での話に少しでも、神様のこと、イエス様のこと、信仰の先輩のことを自然に話せるように生活していきたいです。「聖書検定」の存在も。
みなさまのお働きがこれからも祝福のうちに続けられますように。
本当に有難うございました。
聖書検定は信仰を深める事にもとても有効な方法と思います。
5級のテキストを手に取り、よく知っているアダムやイブのお話などから取り組み、むずかしいと中々開かなかった聖書がとても身近に思えました。
4級、3級と進むにつれ、時代背景、地図地理的な解説やイラストにより、ノアの箱舟や幕屋等、とてもわかりやすかったです。
2級からは聖書の本質を追求するように常に「あなたはどのように思うか。」と問われるように思いました。
そして1級に臨んだ時には、聖書をより深く理解できたと同時に、現代に生きる私たちはそこから何を学び、自分がどのようにこれから生きて行く事が大切かが、聖書の御言葉の中に記されていたのだと知りました。まるで聖書の中を旅したように私の人生を振り返りながら、時に涙して、時になつかしく、とても充実した学びの時間でした。
聖書検定は、正しく神の御言葉を理解するためのトレーニングプログラムで、そのテキストは第三の聖書のように今私の宝物となりました。
このチャンスを与えてくださったみなさまに心より感謝いたします。
戻していただいた解答用紙に添えたれたあたたかいお言葉、見守っていただいた事、本当にうれしかったです。
5級から1級までの学習を通じて大きな収穫は聖書の全体像がつかめたこと。今後、聖書とのお付き合いの方法が手にはいったことです。「聖書検定協会」に感謝。
試験当日、会場行きのバスのなかで突然、体調不良に襲われ、あわや、ピンチに手を差しのべて下さった「神様」に感謝。私は教会で15年以上読書会を仲間と共にしてきました。勿論、これも大きな収穫でした。その過程で聖書を正しく読み、学ぶことの重要性を痛感してきました。己の再教育の場を探していたところ牧師から聖書検定の存在を知らされました。
●聖書検定協会の「目的、理念、特徴」に賛同。特に、目的の「勤勉な国民性を捉え検定と言う媒体にしました」の発想は ユニークであり成功を祈る者であります。
●テキストについて言えば、著者は長く聖書を学校等で教えてこられた方であり、非常に分かりやすい。
●装丁には視覚に訴える力が込められており老若男女を問わず楽しく学べます。教材の中にある御言葉カードも魅力的なものばかりです。
●飛び級がないところ。各級毎に点数がつくので一つ一つ丁寧な学びが必要とされます。
●通信のため、教材を見ようと思えば見て点数をあげることも出来ますがその分、1級で苦労するでしょう。
●記述(釈義)の為の学習は論文形式であり、学習に深さが必要とされます。牧師等教職の苦労が偲ばれます。
●パソコン能力が試されます。当方も年齢からするとスマホの利用開始も早く、やれるつもりだったが最初は66巻の入力に35分もかかった。これでは難問の釈義まで進めません。努力して10分短縮はしましたたが。
●CBT試験方式の採用が斬新。苦労したが又、やってみたい。英検とか他の実務検定の人と一緒に受検し貴重な体験でした。皆さん是非、挑戦してみてください!
聖書検定1級を取らせていただきましてありがとうございます。昨年の12月頃にこの検定の存在を知り、長年教会に通っているものなので挑戦したいと思いまして5級から順番に勉強しました。
読みきれないほどの分量である聖書をわかりやすく簡潔にまとめたテキストには感銘を受けました。これなら誰がやっても聖書が何か?ということが理解できると思います。
また、聖書が書かれた歴史や旧約から新約までの空白の歴史について勉強できたのはプラスになりました。教会ではどうしても聖書の内容からの説教になりますので空白期間の歴史については知らない方も多いのではないでしょうか?
また、1級では第一コリントの釈義があり、それがきっかけで第一コリントがよく理解できるようになりました。
検定を受けてから説教を聴いたり、聖書を読むと検定で学んだことを思い出しながら理解を深めていけるように感じました。
今までありがとうございました。
ハレルヤ、聖書検定第1級に合格できて感謝します。
思えば、1年前に教会の牧師先生が、「みんなで聖書検定を通して聖書の学びをして、来年には1級を目ざして頑張ろう。」と提案されたのが動機でした。
私は17歳で受洗し、今年は信仰生活40年の節目の年でしたので、挑戦してみました。神様のあわれみで、40年間主に礼拝を捧げ、奏楽の奉仕をさせていただいています。
いざ5級からの学びを始めてみますと、いろんな発見があり、良い学びの時となりました。(時間がある時に復習しようと思います。)
1級聖書検定試験は、パソコン操作での受検でしたので、不安だらけでした。(パソコン操作は苦手でしたので)私の年代でパソコン操作の受検で、それも、聖書検定1級の合格が与えられ、とても嬉しかったです。
主の恵みに感謝します。
聖書検定の存在を知った時、是非取得したいと思い勉強を続けてきました。
自分の中で正しい聖書理解ができたと思います。是非是非、初段⁈など更なる高みを目指した級の設定をお願いします!
絶対受験します!
良い勉強の機会を与えていただきました。
これからの、自習に役立ちます。
さらに、学んでいきます。
こんばんは。合格通知が届きました。大変嬉しく受け取り、家族にも祝福されました。
今回はコロナ禍の中、各地で受験できるようご尽力くださりありがとうございました。
試験の内容は、もう少し記述式の設問があると準備していましたので、あと2~3問そういった設問があるとよいかなと思いました。一級なのである程度骨折れる内容もよいかと思います。
是非今後ますますこの聖書検定試験が広められたらと願います。尽力できることがあれば、何なりとお申し付けください。
とにかく大変嬉しかったです。勉強になりました。
ありがとうございます。
家族にも知人にもクリスチャンの居ない私は、大きな力に導かれて教会に辿り着き、洗礼を受けました。けれど当然、聖書も教義も、詳しいことは何も知りません。そんなとき、書店で、聖書検定の案内を見つけたのです。
聖書検定は、テキストがカラーで楽しく、数千年の時を超えて、当時の人々の暮らしに連れて行ってくれます。まるで疑似体験のように聖書の教えに触れるので、入信前・入信したての方でも理解しやすく、覚えやすいです。
受験はちょっと・・・と思う方でも、聖書にご興味がおありなら、聖書検定のテキストだけでも、持っておいて損はないと思います。見やすくまとまった資料集として活用できます。
1級まで進めば、釈義の出題もありますので、聖書によく馴染んでいる信徒の方でも、更に一歩進んだ理解に導かれることでしょう。
2020年のコロナ禍による「巣ごもり」タイム、この聖書検定を、5級から順々に進めてゆき、有意義な時間にすることができました。ありがとうございます。今回、惜しくも3点差で最高点を逃したこともあり、またいつか1級を受験したいと思います。
聖書検定1級受験感想記
1級に合格した。教会生活30年。六角精児ではないが、♪30年付き合って確信が持てた そう、「聖書知識と信仰心は比例しない」ということである。
私はH/Tの“聖書塾”“神学講座”の修了証も保有するが同じ感覚である。
でも、それなりに聖書に接してはきた、とは言えるであろう。
この受験勉強を通じて強く感じたのはTEXTのつくりのよさである。聖書全体をくまなく扱うことをせず、重要度の高いものを重点的に扱っている。それに文体も穏やかで快い。これはこのtextだけでなく、鈴木崇巨先生の著作全般に言えることである。
基本は聖書全体を俯瞰的に捉え、その上で基幹となる書を中心に展開している。
これは注解書などには求めることができない視点で、平信徒にとってとても馴染みやすい聖書解説書ともいえよう。
2級は旧約中心、1級は新約、の傾向だが、1級は新旧全域を押さえるものにするやりかたもあると思えるが、合格ラインを下げなくてはならないかも知れない。
第1級聖書検定試験に合格できてとても嬉しいです。ご指導、ありがとうございました。年初に広告を見て、年内に合格するという目標をたてました。テキストはカラフルで文章がわかりやすく、勉強のやる気を起こさせるものでした。今回の学びで、今まで読んできた聖書の内容が繋がったことは感謝です。いかに知らない事が多いかを認識させられました。5級から2級までは、自宅で行って郵送しましたが、添削が丁寧で、総評を読むのが楽しみでした。生と死、病、ジェンダーなどの神さまの領域にある事を、聖書から答えを導き出すのは、難しいことだと思いました。1級のテストはオンラインテストのためか、過去問にくらべて記述がはるかに少なかったとおもいます。使ったテキストはこれからも活用するつもりです。
わたしはクリスチャンではありませんが、聖書は人生に一度は読んでみたいと思っていました。
4年ほど前に聖書と鈴木崇巨さんの「1年で聖書を読破する」を購入し、読破にチャレンジしたことがありました。
今となっては生活が充実していたのかわかりませんが、その時は仕事とかプライベートの忙しさで断念してしまいました。
コロナ禍になり会社も休業を行うということで外出も出来ない。それなら聖書をもう一度読もうと思い、さっそく「1年で聖書を読破する」 と聖書をもう一度購入し、朝から夜まで読んでいました。
ただ読み続けないと「仕事はどうなる?生活はどうなる?」という不安が出てきて読まずにはいられませんでした。その時はこころの避難所になっていました。正直内容は追いついてませんでしたが1ヶ月くらいで読破できました。そうするとまだ知りたい。理解したい。と強く思うようになりました。
その時にネットでこの聖書検定を知り、聖書の通信教育だと思いながら学ぼうと検定を受けさせていただきました。(しかもテキストはたまたま鈴木崇巨さんが著者)
聖句を覚えたり、聖書外の常識的な事とか、字を書いたり、5級が受かった時は懐かしい感覚の喜びがありました。
なかなか覚えが悪いし、字も汚い。そういえば何年もの間パソコンやスマホで字を書いたり覚えたりしてなかった自分に気がつきました。
世界に対する考え方とか、捉え方が変わり、自分自身が利己的であったことにも気づきました。
1級の認定書をいただいた時は、自然と神に感謝しました。
ほんとうにこの検定を受けてよかったです。
これからも聖書を読み続けます。
ありがとうございました。
今年はコロナ禍で外出を控えて過ごし読書時間を普段より多く持てました。
読書にも目標を持とうと考えた末、若かりし時に途中で挫折した聖書の読破!?を目指しました。
その過程で聖書検定なるものの存在を知り、5級から段階を踏んで学習を続けました。
分かり易いテキストにプラスして関連書籍も沢山読みました。
最後の1級はパソコン苦手もあって受験には結構苦労しましたがなんとか合格することができました。
今後も見返しながらより理解を深めていくよう心掛けてまいります。
今後ともよろしくお願い致します。
(1)コロナ禍と言う事で、CBT試験の実施のため、自宅近くの試験会場や日程を選ぶ事が出来て、受験しやすかったです。
(2)試験内容の、Ⅰコリントの釈義に関して、非常に難しく感じましたが、自分の理解の中から答えるしかないと思い、解答しました。でも、この問題は、クリスチャンになったばかりの方には難しくて、正直言って、大変と思います。
(3)1級は覚える事が沢山で、大変でしたが、聖書や注解書や教会の方に聞いたりして集中して学べた事を心から感謝しています。
聖書検定、略して「聖検(せいけん)」。クリスチャン・ホームに育った私にとって、「せいけん」と言えば、聖書研究、略して「聖研(せいけん)」でした。ただ、「聖研」にはどこか学ばなくてはならないものというイメージが付き纏った一方で、「聖検」は聖書そのものをさらに深く読もうとの思いに私を導いてくれました。言うなれば、「聖検」は、本当の意味での「聖研(聖書研究)」へのチャレンジ(挑戦)を促してくれたのです。
第1級聖書検定試験に合格出来たこと、大変嬉しく思います。とても達成感があります。妻の紹介で聖書検定を知り、約一年間学び続けてきました。まず感じたのは、テキストがとても分かりやすく、フラットな視点で書かれている点です。キリスト教会には様々な教派があり、自分達の教派が正しく、他の教派の意見を断罪する方も多い中、聖書検定のテキストの内容は、中立な立場からの内容で安心できました。また、創世記からヨハネの黙示録を全体的に網羅されていて、自分の知らなかった事を多く発見できた時は大きな喜びを感じました。
受洗してから5年経ち、教会での奉仕も少しずつお手伝いさせていただく中で、もっともっと聖書のことを深く学びたい、神さまのことをもっと知りたい、という思いが大きくなってきました。そんな時に聖書検定に出会いました。これは神様の導きだったのではないか?と思っております。
試験後の鈴木先生の茶話会は、とても楽しかったです。貴重なお話もお聞きできましたし、何よりも鈴木先生の人柄に触れ、その柔和な言動に感動しました。そして、代表の村上様、関係者の皆様、このようなすばらしい機会を与えて下さり、本当にありがとうございました。今後も応援し続けます。
聖書検定とこの度出会えたことは、大変感謝なことでした。今年5月頃にお茶の水のクリスチャンセンター内の本屋さんでみつけ、5級より学んでいきました。このような聖書の学び方は初めてでしたので、とてもありがたい機会でした。聖書の内容について系統立てて学びができました。また聖書理解・キリスト教信仰の根本的な理解について、旧約時代からイエスさまが生まれてからのユダヤ教についてなど、聖書には書かれていない事柄まで多くのことを知ることができました。大変興味深かったです。1級は2級合格後、時間もなく勉強不足での受検であったため、甘い採点で合格させていただいた感じです。
5級から順を追って勉強してきて感じていることは、まだまだ聖書のことがわかっていないし、もっともっと聖書を読み続けていきたいということです。
聖句暗記も、細かい事柄などもすぐ忘れてしまうたちですので、聖書検定のテキストは5級から1級まで身近に置いて、これからも復習し続けたいと思います。一緒に聖書を学ぶ友人達にも紹介致しました。多くの方がこの聖書検定に出会い、よい刺激を受けられて、創造主である神様の素晴らしさを知っていただきたいと望んでおります。ありがとうございました!!
また1級に挑戦してみたいです!
500字以内の問題や、1000字以内の感想文、9項の2000字の釈義の問題などに答えられるように、何度も書いて備えをしていましたが、神様の恵みでしょうか、長い論文から救われました。合格点に達したことを喜んでいます。
第9項の釈義の問題はとても難しく、別冊のテキストも必要だと思いました。また不思議なことに、今はまちがえた箇所の答えが、しっかりと記憶に残っています。
聖書を通読するだけでは、なかなか頭の整理ができませんでした。テキストを通して学んだことが大きな益となりました。
ありがとうございました。
合格できるとは思っていませんでしたので、とてもうれしく思います。
やっと聖書の入口に立てた感じがします。私は64才から教会に行き、65才で洗礼を受けました。5年間、聖書を読み、もっと知りたく思い受検しました。試験中に聖書の神様が、多くのことをお示し下さいました。ありがとうございます。
聖書検定は絶対におすすめです。
聖書勉強に役に立つかもしれないと思い、今年3月からやり始めました。最初はそんなに大したことではないと思っていましたが、検定各級を勉強するにつれ、これはすばらしかったです。
50才を過ぎましたが、年と関係なく聖書勉強にとても役に立ちました。更に試験をとおして結果を目で確認し、とても楽しかったです。最終的に第1級の合格の結果を得て、今年は幸せいっぱいの年となりました。これからも聖書勉強をやりつづけたいと思います。このチャンスをくださった神様と聖書検定協会に感謝を申し上げます。
この度は、聖書検定1級の合格証をいただきましてありがとうございました。
私はクリスチャンではなく、これまで聖書を手に取ったこともありませんでした。ある日ふと、書店でこの検定のパンフレットを見かけて、ちょっと面白そうだなと思って、5級のテキストを買ってみたのが、2019年3月でした。40を過ぎての頭の体操のつもりで始めました。テキストはとても分かりやすく、子供の絵本のように易しい言葉で説明されていて、級を順に進んでいくと、気が付けば聖書を通読し、全体像が分かるようになっていました。そして、2019年11月、9ヶ月の時間を経て合格し、今は知識・教養が充実したような気持ちです。検定の趣旨とは異なるかもしれませんが、ビジネスマンの大人の教養としてとてもすばらしい一冊でした。神に感謝。
長年聖書を読み、学んできたつもりでしたが、聖書検定を通して、スッキリと整理されたような気がします。「難しい」ところは「難しい」、「わからない」ところは「わからない」と素直に書いてあるところも好感が持てるテキストです。
第1級を受検するに当たり、生命倫理等の現代的問題について特にしっかりテキストを読みました。しかし、微妙な問題もあり、正解が無いようなこともあるので、試験として出すのはどうかと思うことも確かです。テキストに参考として記載するのは良いと思います。
昨年の過去問では、コリント人への手紙の釈義で1600字以上、という問題があり、非常に心配でしたが、今年は無かったので助かりました。
色々な解釈がある聖書を検定としてテキストを作成するのは非常に大変な作業であると思います。本当にご苦労様です。
読書離れが進む近頃ですが、ぶ厚い聖書を読んでみよう、学んでみようと思う方がひとりでも起こされるよう、この聖書検定が用いられるようお祈り致します。
ありがとうございました。
今年聖書検定を受け始めました。体系的に聖書を学びたいと思っていましたが、聖書検定を通して旧約聖書、新約聖書を俯瞰して学ぶことができました。クリスチャンとして今でも多くのことを聖書から学んできましたが、今回新たに学ぶことや感動することも多々あり感謝します。また、聖書に書かれていない歴史的な背景なども知ることができ、今後の学びにも、楽しみが深まりました。これからも、聖書を学び続け、神様、イエス様との関係を深めていきたいです。
長く聖書に接していると、良くも悪くも慣れが生じます。多くのインデックスが出来あがり、読んだことがある、知っている、という事が多くなってきます。それだけ聖書に関わった事であり、とても良い事ではあるのですが、困った事に、それがインデックスのみになってしまい、内容があやふやになってしまっている場合や、更に困った事に、その事態に気付いていない、ということになってしまっている場合があります。
求道者の頃、牧師が”ベテランクリスチャンというのは注意しないといけません。”とお話し下さった。私の心に時折、この言葉が浮びます。
気づくと、私もそう呼ばれる程の年齢と経験を重ねました。読んだ事がある。知っている、と思った時、すでに謙(へりくだ)り主のみ言葉を聞くという姿勢ではなくなっている自分。注意しなければ、牧師の言われていた事はこの事なのだ。
その思いの中で、聖書検定を知り。すぐ5級から始めました。一つ一つ整理し、確認し、ノートにまとめました。時にはテキストでは扱わない部分まで興味が広がり調べつづけ、聖書のあちこちを旅しました。
“神様、この理解で大丈夫でしょうか?” “神様まちがっていますか?”ふと気づくと、求道者の私になっていました。感謝です。私はずっと求道者でありたい。
第一級の聖書検定に合格いたしましたが、実はそれまでの勉強の過程で、多くの偶然?がありました。
私は、それは、神様の導きであると思っております。(ちなみに私はクリスチャンではありません。)神様の導きについて一つだけ挙げてみますが、昨年(2019年)こんなことがありました。2019年3月のはじめに、突然「3月17日に津和野に行きなさい」という啓示があり、今住んでいる広島から車で津和野に向かいました。そして津和野教会を見学しているときに、ある年表に「3月17日、大浦天主堂に於いてイザベリナ杉本ゆりがプティジャン神父にキリシタンであることを打ち明ける」と書いてありました。クリスチャンでは有名な「信徒発見」のことでした。そして、その後ですが、実は私が住んでいる広島県甘日市市には、津和野藩御船屋敷があり、ここより津和野まで長崎の潜伏キリシタンを徒歩で連行させたのでした。
そして、この屋敷は私の自宅から歩いて2、3分のところにあったのです。私は潜伏キリシタンの悲しみを解放させてあげなければと思っております。(その後も多くの神様との出会い、聖霊体験がありました。)
聖書検定を通して、とても多くのことを学ぶことができ、心から感謝しています。
学んだ内容が、後になって役に立っていることを感じます。最近2冊の本を読みました。
一つは「清教徒」(石原兵永著)です。この本の中でピルグリム・ファーザーズのことを、「行く先を知らないで出て行った」(へブル11.8)と書かれているのを見たとき、「4級で学んだ聖句だ」と心に浮かんで、涙があふれるような思いがしました。また、「ピューリタン」(大木英夫著)を読む中で、「救済史」「ハイルスゲシヒテ」と書かれてあり、「これは1級で学んだばかりの内容だ」と思いだし、聖書検定で学んだことが、今になって大変役に立っていることを実感してやまない次第です。
「塩で味つけられた、やさしい言葉」で添削をしてくださった皆様方、短い期間でしたが、ていねいにご指導してくださり、本当にありがとうございました。
カトリック教会からのチャレンジャー、ローザマリアです!
2017年の復活徹夜祭で洗礼を受け、同年9月に堅信を授かりました。
(洗礼→堅信の間が5ヶ月と早いですが、何だか「司教様が茨城に来るタイミング(←3年に1回)」らしく、“早い人は早く、遅い人は遅い”のです。)
という訳で、堅信までは“勉強会”があったのですが、それ以降は“参加するべき勉強会”はなかったので「このままじゃマズイ!」と思っていました。
聖検に出会えたのは偶然です。「家でできる、聖書の通信講座みたいなのないかな~」と検索していたら、ドンピシャ、ヒットしたのですから!!
え、でも偶然、じゃなくて、聖霊様??
勉強は楽しかったです!!聖書を知的に理解すること(歴史背景などアウトラインをつかむこと)も、さらに深い理解の為大きな助けになるのだと思います。
この世界では皆、同じように食べたり、飲んだり、働いたり、眠ったり、嬉しかったり、悩んだり、人間関係でモメたりetc.していますが、“イエスのみ名を信じる人々”は、やっぱり世界が違うのでしょう。世界の捉え方が違っているのですね。その世界とは、“神が「良し」と創造し、人は罪を犯したけれど、神の愛により、イエス様が罪をあがなって下さり、終末のあとには完全に神が支配する時が来る”という世界です。それは神の愛の希望に住まう素晴らしいことですね!!!
今回は、聖書検定1級受検の機会をいただき誠にありがとうございます。今年大学を卒業する身なもので、卒業制作を進める傍ら自分なりに勉強を重ね、合格することができました。本当にありがとうございました。
特に今回は記述することが多く、ただ単に暗記するのではなく、しっかり聖書を読みこんで、その内容をしっかり体にしみこませておかないと、自分の言葉で書くことができないなと感じました。今回、なんとか合格でしたが、勉強不足なところもあり、満足する結果とはなりませんでした。添削していただいた解答をもう一度読み直し、ますます聖書のことを深く知れるよう努力していきたいと思います。最後になりますが、私は東京の美術大学で、現在「聖書の動物・植物」をテーマに卒業制作を進めています。「本の形をしていない聖書」とでも言うべき作品を展示しておりますので、ぜひ1月17日~20日、武蔵野美術大学の9号館地下大展示室にお越しください。宣伝になってしまいましたが、今回、この制作にあたりこの検定を通して聖書のことを深く知ることがでたこと、感謝いたします。
(※香川日菜子さんは、この作品で研究室賞を受賞されました。おめでとうございます。)
認定証を受け取った今、嬉しさより安堵感の気持ちでいっぱいです。
コメントについては、あくまでも参考程度に書かせていただきます。
当事者でないと分からない部分もあるからです。
勉強するにあたって、
まずは、祈る事から始まります。そして、聖書を通読します。創世記から黙示録まで読みます。そして、級毎のテキストを読みます。そして、聞きます。
級毎に必須暗唱聖句があります。その聖句を通じて暗唱する事も大切ですが、その暗唱聖句を通じて、今の私に何が問われているのか、何が語られているかに気付く事の方がより重要です。
気付くことによって、涙する事もあるでしょう。でも、その涙は、主にあって喜ぶ事かもしれません。その事が、主の、恵みに授かる事でしょう。
先程、「級毎のテキストを読みます」と書きましたが、級毎に色々な単元、項目がございます。その時、この項目が現代の私達に問われているのかと考えながら、読み進めていく事が大切です。そういったことによって、知的な学びでなく、霊的に信仰が深くなるでしょう。
勉強するに当ってしてはならないこと。
学習が進むにつれ聖書理解が豊富になるでしょう。
だけど、酔いしれてはいけません。
案外、知らず知らずのうちに、傲慢になっているかもしれません。
主イエス・キリストなる創り主を無視している事になるのです。
だから、謙虚になりながら、「イスラエルの民は、可哀相な奴だと」馬鹿にして読んだりしてはいけません。
聖書テキストを通じて、聖霊が今の私達に問われているのです。
何が言いたいのかと申しますと、主に対してへりくだりながら、聖書知識を増やしていく事が重要です。決して、己に酔いしれてはなりません。それが、学習する上で欠かせません。
聖書検定の真の意味とは?
講演で、「聖書検定が国民運動になっていればと願っている」とおっしゃっていますが、その通りだと思います。別な表現をすれば、聖書検定を通じて、福音を聞き、主の事を知って欲しいと言う事でしょう。
それを一言で国民運動とおっしゃりたかったのでしょう。
受検を終えた今だから言えますが、学ぶに当って、合格することよりも重要な事は、主の愛を知る事でしょう。主の恵みに授かる事です。
ここに、聖書検定の意義があるのです。
そういう意味では、世間の資格試験とは根本的に違うのです。
最後に、私は、まだ聖者や祈り、御言葉が分かっておりません。協会から認定証をいただいたものの、聖書理解が霊的にも知的にも浅いと言わざるを得ません。ただ学習するによって、主にささげる思いで勉強すれば、恵み深い世界が無尽に広がっていきます。それは、まさに目の前に光が差し込むような感覚です。受検することが献身です。
これから受検する方は、主の前にへりくだる事を忘れないで欲しいです。そして、主の愛を知って欲しいです。それを踏み外したら、ただの教養や自己啓発に過ぎません。知的には豊かになりますが、傲慢になります。
学ぶも台無しになってしまうのでしょう。試験で高得点を獲得する事よりも、主の愛を知る事が大切です。それが、後に信仰生活を豊かにして下さるでしょう。
最近、京都検定・天然石検定・ハーブ検定など面白いユニークな資格や検定試験などを紹介したニュースを特集していたのを覚えていたのですが、聖書検定が何かの広告に紹介された時、迷わず申し込みました。
それは、世界で最も読まれている本の第1位が聖書だからです。神学校に行かなくても、聖書の内容・知識が理解できるものがあればと思っていました。
5級から2級までは通信教育のように自分で勉強でき、問題も自宅で解答できるので大変気楽にできました。1級は、東京・銀座で試験があり、それも○×や選択やマークシートではなく、すべて筆記による試験でした。受検会場はなんとも言えない緊張が漂っていました。
まるで聖書を知り尽くし、その知識を試そうとしている受検生の集まりに見えてきました。私も久し振りに緊張がピークに達しました。
90分間、今まで勉強してきたことを一生懸命思い出し解答しました。時間は足りなかったが、終わった時、達成感を覚えました。合格ありがとうございます。
聖書検定試験は、神様からの招しで始まったのだと思います。
私は5級のテキストを読み終えた時、これは、「神様の霊」が働かれていると直感。
更に、そのイエス様が選ばれた著者と構成者が、主の使命を全うすべく尽力されていると分かりました。それで、私も1級まで頑張ろうと決意。
第1級の試験当日の夜でした。不思議に疲れが消えて、聖書が読みたくて、読みたくて、たまらなくなったのです。今も、楽しくて、嬉しいです。
「聖書検定」に心から感謝しております。
今回の聖書検定の学びで聖書の基本的な教えが良く分かりました。
聖書検定の事を知ったのは、2017年11月23日に名古屋のCLC文庫(キリスト教書店)で、5級のテキストを買いました。仕事も忙しくなっていましたので、学びを始めたのは2018年5月のGWのころから学び始めました。
第1回の1級の検定試験に間に合うように朝15〜20分ほど学ばせていただき、「朝15分があなたを変える」ではありませんが、とても良い学びの時でした。
今後、多くの人が聖書検定の事を知り、聖書の学びが出来るように願っています。
待ち時間の折、ロビーで、1級は実力やからなあ!と話し合っている受検者。5~2級は通信なので、答案を記入する際、テキストを見てもわからないが、1級試験はフリーハンド、参考書・聖書持込み禁止、頭の中で整理して、理論的に文章を作成するという過程は知力的に厳しさを感じた。
しかし、検定受検を通し聖書の成り立ち、各巻の記事の把握、神の計画、将来的展望等が縦横に学べた事は幸いであった。深く自分の人生に神が関わり、計画を持って下さっているのが理解できた。時代や情勢がどのようになろうと、この聖書の神に信頼を置いて歩んで行く事の確さを確信をもって、人々に伝えていく力を5~1級の学びを通して勝ち得た事が私にとって大変収穫であり喜びであった。
ていねいな添削、導き、本当にありがとうございました。
今回、聖書検定第1級を受検できたこと、そして、合格できたことは正直とても嬉しく思いました。神様に感謝しています。はじめて「聖書検定」というのがあることを知った時、5級から2級までは通信で受検でしたので、当時教会学校の奉仕をしていたこともあり、チャレンジしました。1級受検の時は、実は家内が認知症で介護することもあり、東京での受検を悩み、その時に聖書検定協会の村上さんに電話をしました。「受検できるようにお祈りしています。」と言って下さり、神様の恵みにより家内をショートステイに一時預かって頂き受検する機会が与えられました。その事を村上さんに電話で伝えると「受検でき良かったですね。東京でお待ちしております。」との返事をいただきました。
仕事と介護の中で少ない時間でしたが無事合格できました。勉強している間は、はじめて中学1年の時に教会の門をたたいてから今まで40数年経ちましたが、はじめて聖書を聞き、礼拝で聖書のお話を聞き、素直に聖書を学んでいたことを思い出しながら楽しく勉強できました。この事を他のクリスチャンや友人にも伝えたいと思います。
本当に有難うございました。
「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6)
主の御名を賛美します。今回の合格は主の力とあわれみによることであり、主に感謝し、いっさいの栄光を主に帰します。
学びを進めていく中、「第9項釈義」に、直視できず、数日逃げる私に、神様は冒頭のみことばを与えて取り組ませてくださり、丁寧にみことばに向き合っていくにはあまりにも時間が足りない、と自分の準備不足の愚かさに対しても、使用しているディボーションテキストの箇所が急に、その時期「第1コリント」に変えられて学ばせてくださったりと、励ましあわれみ続けてくださいました。又、テキスト文中から「聖霊の導きを受けて聖書の解釈がなされるべき。(霊的解釈)」と、聖霊様に本当に頼ろうと目をむけさせてくださり、「今、自分がもっている知識の中で一生懸命書けばそれでよいということです。」と、励まされ、学び続けることができました。
試験本番では、問1、新約27巻記入が1マス余り、いきなりのミスに慌て心が動揺し手が震えてしまいました。続けての問いにも、自分の学び不足と、この試験に臨んだことは場違いだったのではとの気持ちがふとよぎったりしました。
ですので、最後まで受検できたのも神様のあわれみによること、としか言いようがありません。
学びは、知らなかった多くのことが教えられ感謝しています。教えられたことは、神様にあって生かされていくことを願います。
一般信徒にこのような機会を与えてくださった方々のご苦労と、主に心から感謝いたします。
栄光をいっさい主に帰して。
この度は聖書検定の開催お疲れ様でした。
私も参加して本当に良かったと思っています。第一回をもう少し強調してもよかったと思います。
私自身、教会に通う者ですが、学歴も社会的地位も持っていなかったので、今回の検定はそんな僕にもありがたいものでした。もちろん主はそんな肩書きを重んじられる方ではありませんが、ひとつのきっかけになると思います。
今後も聖書検定の普及、つまりは聖書の普及、この国にクリスチャンが増えること、それは救われる人が増えるという神の喜びになる計画、村上理事が話されていた使命を全うしてください。
大阪の地から、祈り応援しています。
第一級聖書検定合格通知をいただきありがとうございました。
この度の検定のことでは、たいへんお世話になりました。
いつもごていねいなご対応をいただき御礼申し上げます。
「聖書検定協会」を創設してくださいました村上芳様はじめ聖書検定協会の皆様に、また5冊のテキストを執筆してくださいました鈴木崇巨先生に、心からの感謝を申し上げます。
「求道者伝道テキスト」によって鈴木先生のことを存じ上げるようになりましたが、超教派的な姿勢をお持ちの先生だと感じておりました。この先生のお書きになったテキストなら、受けてみたいと思った次第でございます。
私は、平信徒として半世紀以上は聖書を読んでまいりましたが、総合的に、また体系だって学び理解し、表現する訓練は殆んどしてきませんでした。ですから、自分の聖書知識を整理し確認する意味でも、たいへん有益な学びでございました。
美しいカラー図表とイラストで彩られ、分かり易く興味をそそられる内容のテキストでの学びにより、大変充実した時を過ごさせていただきました。
この2か月、1級検定の試験のために、かつてない位、勉強いたしました。模擬試験にならって、自分なりに聖書から、へブル人への手紙は500字に、黙示録は1000字に、各書簡は200字以内にまとめて覚えました。コリント第一が最大の難問でした。繰り返し書簡を読んで、今思えば難解な箇所ばかりの釈義を演習してきましたが、あまりの難しさに悲鳴をあげておりました。
ですから本試験の聖書に関する出題がかなり易しく感じられ、コリントの釈義の箇所には拍子抜けしてしまいました。検定の主旨を考えれば、そんなに難解な箇所は出題されることはなかったと納得・・・でもおかげ様で、みことばの奥深さをあらためて知り、自分の無知を再認識いたしました。
とは言いますものの、当日は、時間が足りなくて、全体を見直す余裕もございませんでした。さほどゆっくり書いていたわけではありませんが、黙示録の1000字を400字に縮めるのに手間取ったのか、最後、コリントの釈義の序論を書いた時点で、残り20分しかなくて焦りました。もう殴り書き状態で何を書いたか思い出せない位でございましたが、満点を付けていただいたのにはただもうびっくりし、ありがたくも、また恐縮にも存じました。
“1年で聖書を読破する“の本にそって聖書を読み始めましたが意味がわからず困っていた時に、聖書検定についてネットで知り、早速5級から始めました。聖書に何回も出て来る言葉や、今まで何となく聞き流していたことが次々と理解できて、聖書を読むのが楽しくなりました。級が進むにつれて難しくなりましたが、私にとっては聖書や信仰についての解説が感情的にではなく客観的に書かれていたことが受入れやすく説得力を感じました。歴史的背景を知ることで聖書を身近に感じることもできました。黙示録に示されている希望についても初めて理解るすことができたように思います。1級まで合格することができ、聖書も1年で読破できました。丁寧なご指導をありがとうございました。
1級合格後も、更に聖書を深く学んでいくことができるようなテキストができることを願い期待しております。聖書がさっぱり理解できないと感じておられる方へ、本当に自信を持っておすすめしたいわかりやすいテキストです。
試験問題の内容が論述式が多いのは、理解力を確かめる良い方法ですが、解答時間
が90分というのは、時間が足りませんでした。見直しの時間がありませんでした。
採点の基準が明確なのは、素晴らしい事です。模範解答を作成された出題者の苦労がしのばれます。
釈義の内容の良い勉強になりました。