7月9日(日)
大雨や土砂災害、厳しい暑さにお気をつけください。祈っております。
さて、今日は詩編10篇と、イザヤ書9~12章を読みましょう。
イザヤは不信仰な南北両王国への神の審判を語りました。しかし、いつも将来の明るい希望も語ります。これがイザヤ書の特徴です。もちろんイザヤは700年後、イエス・キリストにおいて成就されることまでは知りませんでした。ただ神のみぞ知る予言でした。ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
「ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
(イザヤ9:6)
「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。」
(イザヤ11:1~5)