7月18日(日)
今日は詩編19篇と、イザヤ書40~43章を読みましょう。
初代イザヤが死んでから200年近い歳月が流れ、時は「バビロン捕囚」の時、イザヤの流れをくむ、とある預言者が出て神の御心を語りました。これがイザヤ書40章から55章であり、この部分を「第二イザヤ」と呼ぶ人々がいます。
▪️「喜びなさい、捕囚の時は終わろうとしています。」
イザヤ書40章以下は、捕囚の屈辱は終わり、解放の希望を語りますので、とても明るい内容となります。
[「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」]
(イザヤ40:1~2)
▪️「人の考えも及ばない、不思議なことを行われる神」
捕囚の民が再び故郷に帰ることができるというのは奇跡に近い難しいことです。
しかし、自然界を自由に操ることにできる神は、どんなことでもなさる全能の力を持っておられます。第二イザヤには、そのような全能の神の力がよく語られています。
[見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。]
(イザヤ43:19~20)