11月16日(月)
今日は、詩編141篇と、テモテへの手紙第一の1~3章を読みましょう。
テモテへの二通の手紙とテトスへの手紙は、「牧会書簡」と呼ばれています。
パウロの生きた社会では、男女の差別がありました。女性は公的な場所で発言しないものでした。
ですから、2章8~15節は真理の問題ではなく、文化人類学的な問題として考える必要があります。
現代の社会では12節「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。
ただ、静かにしていなさい。」を、このまま受け入れることはできません。そのように解釈するべきだと思います。
「ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。
同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、
むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。
女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。
ただ、静かにしていなさい。アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。
また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。
しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。」
(テモテ第一 2:8~15)
「私は、近いうちにあなたのところに行きたいと思いながらも、この手紙を書いています。
それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。
神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。
『キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、
諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。』」
(テモテ第一 3:14~16)