私たちはキリストのからだの部分だからです。 – ブログ

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11月4日(月) 今日は、詩編130篇と、エフェソの信徒への手紙(エペソ人への手紙)の4~5章を読みましょう。 キリストの体は一つであること、 古い生き方を捨てて、新しい生き方をするように。 そして光の子として生きるように。 私たちはキリストの体の部分であるから、父母と離れ、その妻と結ばれ、2人は一体となるように。 この奥義は、キリストと教会とを指して言っているということ。 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、 また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」 (エフェソ4:16) 「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。 ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」 (エフェソ4:29~32) 「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、 ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」 (エフェソ5:1~2) 「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。 自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。 かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。 私たちはキリストのからだの部分だからです。 『それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。』 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」

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