11月22日(月)
今日は詩編147篇と、フィレモン(ピレモン)への手紙の1章を読みましょう。
この手紙は極めて個人的な手紙です。当然詳しい背景や経緯はわからないのですが、
フィレモンという人の奴隷で、ネオシモという人の処遇についてパウロが書いている手紙です。
相手の立場を尊重し、問題解決のために信仰的な考え方で書いていることがよく伺えます。
信仰が独善に陥ることなく、一般的な常識にも、良い意味で合致するように努力していることが伺えます。
「私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、
あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。
私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。
それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。
私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、
こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。
年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、
獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。
そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、
あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。
それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。」
(フィレモン6~14節)