彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 – ブログ

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7月22日(日) 今日は、東京も36度、明日の月曜日は37度になるそうです。 「命に関わる危険な暑さ・熱中症に厳重警戒」です。 引き続き、西日本の安全と復興を祈ります。 聖書通読は今日から30週目に入ります。 今日は詩編22篇と、イザヤ書51~54章を読みましょう。 「第二イザヤ」(40章から55章)のもう一つの特徴は、将来、ある人の「僕(しもべ)」が現れ、その人は人々の罪を背負って苦しみを経験すると預言しています。もちろん、これは、イエス・キリストによって成就されます。ここは旧約聖書の中でも有名な、そして不思議な預言です。 以上のように「第二イザヤ」も補習からの解放を時間的に、順を追って書いているのではなく、バラバラに、またあるところは、繰り返し神の御心をあれこれ語っています。 [彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。] (イザヤ53:3~6) [わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。] (詩篇22:1) 詩篇22章は古くから「メシヤの受難の詩」と呼ばれています。 十字架上のイエスの叫びでもあります。(マタ27:46)

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