人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。 – ブログ

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8月16日(木) 山口・周防大島町で、行方不明になっていたヨシキくん(2歳になったばかり)が、15日朝に3日ぶりに無事発見されて本当に良かったですね。 お母さんの必死の呼びかけには胸詰まるものがありました。 また、颯爽と月光仮面(古い?)のように現れた、大分県に住むボランティアの尾畠春夫さん(78)がヨシキくんを発見しましたが、本当にこのような方がいてくれてよかったですね。 私たちも迷った時に、神様が、「〇〇さん、出ておいで!」って常に呼びかけていてくださることを感じて、感謝です。 さて、今日は詩編47篇と、エゼキエル書13~16章を読みましょう。 エゼキエルはよくたとえ話で語りました。 幻にしろ、変わったパフォーマンスにしろ、例え話にしろ、実に変わった人です。 「森の中のぶどうの木」も変なたとえです。ぶどうは甲府盆地のような日当たりの良い平地の畑で栽培します。森の中のぶどうの木なんて、意味のないことです。しかもその森が山火事にあいます。エルサレムはそれほど荒れ廃れると預言しました。そして、その通りになってゆきます。 [人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。] (エゼキエル書 15:2)

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