10月16日(水)
今日は、詩編110篇と、ローマ人への手紙9~10章を読みましょう。
「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。
しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。
というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」
(ロマ10:1~4)
ここで「彼ら」と言われているのは、旧約聖書の民イスラエル人です。
律法を与えられたのに傲慢になり、律法を守っている自分たちだけが救われると誤解していました。
神はそんなつもりで律法を与えたのではないと論じています。
律法そのものは良いものでも、これを受けた人の「罪」のゆえに、誤解が生じました。
パウロはこの誤解をしていた代表的な人でしたが、聖霊の導きで、正しい理解に進みました。
すなわち、根源的なあのアダムの罪からの救いは、
ただ神の恵みとしてのイエス・キリストの十字架によって与えられます。